第15話 2126年 2月2日 6:46 状態:生存

 生き残るためのマニュアル


 何らかの要因で早期にコールドスリープから覚醒してしまった場合、誰かの助けなしに再びコールドスリープを行うのは危険です。


 ◇


 俺は真っ白な空間に立っていた。そこには上も下も無く、距離も無い。まるで宇宙を漂っているようだ。こう言うと、立っているという表現が不適切に聞こえるが、俺は確かに立っているんだ――いや、浮いているのか?


 妙な話だが、俺はここが夢であると確信を持っている。一切の根拠は無いが、ここは夢だ。


 困惑して辺りを見回していると、唐突に視線の先で闇が生まれた。それは見る見るうちに人の形を作り、俺の元へ歩み寄って来た。異様な恐怖があった。


「恐れるな、古き者よ」


 それは闇が発した声だった。幾重にも反響し、全方位から俺の鼓膜を揺らした。深く低い、男の声だった。俺は逃げようとしたが、体が動かなかった。それからすぐに声も出せなくなった。


 闇はやがて俺の眼の前にまで来て、俺の顔を真正面から覗き込んだ。闇の顔は分からなかった。見えているのに、何処かぼやけているのだ。俺が困惑していると、闇が言った。


「我々は和解すべきだ……対話は続けられる」


 目を開けると、いつも通りの無機質な白い天井が目に入った。


 夢だった。妙な夢だ。


 あの黒い影は、『我々は和解すべきだ……対話は続けられる』と言っていた。我々って誰だ? 和解って何と? 


 しかし、一番気掛かりなのは、『対話は続けられる』というフレーズだ。この言葉は第4シェルターの彼のドックタグにも書かれていた。今の夢はあのドックタグを見た所為かも知れない。確かにあの時は多大なショックとストレスを感じたのだ、あの言葉が深層心理に刷り込まれたとしても不思議では無い。


 そろそろベッドから出よう。今日は大切な仕事がある。


 第4シェルターの彼が持っていた、バックパックの中身を確認する仕事が。もし彼が俺と同じように日記を書いていたり、地表活動に記録を残してくれていたら、それはかなりの価値がある。他のシェルターの状況も分かるかも知れない。


 今日の朝食、一パックで一食分の栄養素を摂取できるゼリー飲料を口に咥え、第4シェルターの彼――斎藤幸治のバックパックから中身を広げた。


 出てきた物は二食分のレーション、弾薬箱、様々な生存装備、題名の無いノートが三冊だ。


 最も興味を引く物は、ノートだ。その内の一冊を手に取って適当なページを開く。そこには他のシェルターの状況が書かれていた。


 日本にある極秘シェルターの数は全部で五十八基。そのうち三基が俺のいるエリアにある、第2、第3、第4シェルターだ。このノートによると、第3シェルターは全滅、俺が居る第2シェルターは不明とされていた。


 本来、シェルター間でお互いの状況と連絡が取れるはずだったが、現在それは不可能だ。理由は簡単。シェルター間での通信は、各地域に一つずつ存在する特殊なシェルター“メインシェルター”を介して行われるはずだったが、現在メインシェルターには何らかの致命的なインシデントが発生し、結果他のシェルターと連絡が取れなくなっているのだ。


 斎藤幸治は第3シェルターに向かったが、そこにはただ巨大なクレーターがあるだけだった。運の悪い事に、この広い日本の中で第3シェルターの真上に水爆が落ちたのだ。


 もう一冊のノートは地表活動の結果で、食べられる物とそうでない物が分けられていた。食べられる物は一部の植物だけで、それ以外は駄目。海にも行ったそうで、なんとそこには変異はしているものの、水棲動物が生息していたそうだ。ただし、肉は汚染されており食用は不可能だ。


 最後のノートは日記で、そこには彼が孤独により追い詰められていく様が克明に記されていた。彼はどういう訳か地表が生存可能になる二年前にコールドスリープから目覚め、まだ地表が危険な内に防護服を着て活動していたようだ。結局地表が生存可能になっても目覚めたのは彼だけだったが。


 最初はまともに記録していたが後半に近づくと、上位者、和解、対話は続けられるなどの意味深な言葉が頻繁に登場するようになっていき、最後は意味不明な言葉の羅列だ。


 しかし、最も興味深いのはそこでは無く、最初の方のページにあった。そこにはコピーされた一枚の地図と、地域で一番大きかった病院に戦争を生き残った科学者達が集まって、クリーチャーを人間に戻す試みが行われていたらしい……ということが記されていた。


 だがそれは過去の話で、現在は科学者たちは他の地域に移動したとも書いている。原因は実験中にクリーチャー達が押し寄せ、その上病院内が重度に放射線汚染されたからだそうだ。


 今は研究が行われていないとしても、病院内にはかなりのデータが残っているはずだ。行ってみる価値は大いにあるだろう。

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