第17話 2126年 2月2日 21:56 状態:生存

 生き残るためのマニュアル


 歯磨きは丁寧に行ってください。虫歯はあらゆる病気につながります。

 神経の痛みは耐え難いものです。


 ◇


 あれからまた数時間歩き、やっと第4シェルターに到着した。中に入ると、網膜認証機の横に手作り感あふれるコンソールが取り付けられていた。ちゃんと機能してくれるか不安だったが、設定された十二桁のパスワードを入力すると、空気の抜ける様な音と共にエアロックが解放された。彼の腕前は確かだったらしい。


 シェルター内はまだ清潔を保っていて、一通り点検して回ったがどこも異常は無く、食料も十分に残っていた。彼も眠ったままの仲間を弔ったらしく、とある一角に灰が詰まった瓶が残されていた。


 今日はここに泊まって荷物を整理、明日の朝から病院に向かう計画だ。今から風呂に入って、飯を食ったらもう寝よう。病院の中がどうなっているか想像もつかない……こういう時はどれだけ酷い想像をしても、現実は常にそれを上回るものだ。


 風呂から上がり、頭にタオルを乗せてコーヒー牛乳を一気飲みする。風呂に上がって行うこの行為は日本人の根底にある日本的精神の行動的発露に違いない。温まった身体に冷えた物を急に入れると悪いかもしれないが、そうせずにはいられなかった。勿論、毎日って訳じゃないが。


 食料は持って来てはいるが、今日はシェルターの食べ物を拝借する事にする。どうせ誰も口にする事はないんだ。それなら俺が食った方がいいだろう。


 メニューはいつものように缶詰スープにパン、フリーズドライの野菜だが、今日はメインに牛肉のステーキだ。勿論新鮮な生肉というわけにはいかないが、カチカチに水分を抜かれていたとしても牛肉は牛肉だ。明日死ぬかもしれないし、偶にはこんな贅沢もいいだろう?


 風呂に入って、食事を終えた俺は暫くしてから眠る事にした。当然歯磨きもしてからだ。歯を悪くすると身体全体が悪くなるし、虫歯はいつ痛くなるか分からない時限爆弾だ。


 俺はベットに入って眠りに就いて――今、真っ白な空間の中にいる。


 だが、今は心の準備が出来ている。また上位者とやらが表れて、訳の分からん事を言って消えるのだろう。体も拘束されるだろう。出来るだけ意識を集中して、今日は逃げ切ってやるんだ。この意気込みのお陰か、今のところ体は自由だった。


「私がお前を拘束していないだけだ。お前の力では無い」


 突然声が響き渡った。黒い影は俺の真後ろに現れていのだ。反射的に振り向き、体勢を低く構えた。


「無駄だ。ここではお互いに危害は加えられない」

「やってみなきゃ分からないだろ?」

「やる前から分かる事もある……無駄だ」


 奴がそう言うのならそうなんだろう……薄々は分かっていた。ただ奴の言いなりになるのが嫌なだけで。俺は渋々構えを解き、ずっと聞きたかった事を聞いた。


「上位者、お前は……どこから来た?」

「……分からない。私は元々一人のミュータントに過ぎなかった。だが、いずれかの瞬間に私は私を産んだのだ」

「ミュータントだと? お前が?」

「そうだ。しかし今は力を得て、精神干渉を行える。今こうしている様に」


 驚きだった。まさか奴がミュータントだったなんて。しかし、俺に精神干渉を行う理由は分からないままだった。


「何故俺に精神干渉を行うんだ」

「お前には力がある」

「力なんか無い!」

「和解できる」

「和解和解って、一体何なんだ! 何と和解しろって言うんだ!」

「決まっている、新人類だ」


 奴がそう言った途端、視界が大きく歪み、まともに立っていられなくなった。まるで大荒れの嵐の中で小舟に乗っている気分だ。それでも俺は声を張り上げた。


「お前は何処にいる! 何処から俺を見てる!?」

「私はいない、『ある』のだ」

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