第18話

 

 卒長の挑発は、終わらなかった。

 寡兵(少数の軍のこと)であるのに、大軍を挑発し続ける様は奇妙としか思えなかった。


 太守の劉延は、援軍の要請をしていると言っていた。ならば、出来るかぎり長く持ちこたえなければならない。攻められないよう工夫し、時を稼いだほうがいいはずだった。それは誰が考えても思うことであるし、少なくとも、城壁の上にいる多くの兵がそう思っていた。しかし、誰も卒長に不信感を抱かなかった。近くで見る卒長の表情が、明らかに歪んでいたからだ。


 兵たちは皆、声を張りあげる卒長を信じた。

 挑発をせなばならない理由があるのだろうと、卒長の声に多くの者が追従した。


「これは間違いではない」


 顔面を真っ赤にしたままのハツが、愉快そうに言った。


「何故?」

「もう陽が暮れる。戦える時間は短い」

「それはわかっておる」

「このまま黙って野営をされてみろ。我らは一晩、敵の大軍の圧に震えることになる」

「そうかもしれん」


 ハツの言葉に、シカとキョウが頷いた。味方の士気が高いうちに一戦交えるべきなのは、同意できることだった。冷静さを取り戻して臆病になる者が一人でもいれば、途端に全体が崩れてしまうからだ。


 今すぐ戦うことで有利になることは、他にもあった。

 ひとつは長く行軍を続けてきた敵兵に、多少なりとも疲労が残っていることだ。これから城を落とせと言われれば、疲労により士気を落とすことになるだろう。いかに大軍といえども、疲弊した兵を短時間だけ追い返すだけならば難しくはない。


 挑発が続く中、突如、敵の大軍に揺らぎが生じた。

 揺れは次第に大きくなっていく。揺らぎの中心は、騎兵のようだった。城に向かって叫びだし、得物を振り回しているのが見えた。騎兵に同調して、周囲の歩兵たちも騒ぎ始めていた。


 城壁の上に立つ卒長は、揺らぎに向かってさらに挑発を繰り返した。

 するとついに、揺らぎは決壊した。


 どんと、地が弾む。

 肌を削るような圧が満ち、キョウはごくりと唾を飲みこんだ。


 敵陣に砂塵があがっている。

 砂塵の中心には、十数騎。先頭を駆ける騎兵が城壁を矛で指し、叫んでいた。叫び声を追うようにして、多くの兵があとに続いている。数は五千ほどだろうか。

 奇声をあげながら駆けている兵が見える。その横にも、後ろにも、城壁に向かって咆えながら駆けている兵が多く感じられた。暴走からの突撃だろうか。安易にそうと考えてみたが、どうやらそうではなかった。狂ったように見えても陣形を崩さず、整然と攻め寄せてくるからだ。陽が沈む前に終わらせてやるという意思が、敵を突き動かしているようだった。


 突撃せずにとどまっている敵兵もいた。五千だけで、白馬城が落とせると見込んだのだろう。

 実際、白馬城はさほど攻めにくい城ではなかった。大きい城ではないし、城壁も高くはない。いかに攻城戦が難しいものといっても、じっくりと時間をかけねばならぬ城ではなかった。


 殺到する五千の兵を見て、卒長の目がぎらりと光った。


「来たぞ! 弩を構えよ!」


 剣を振りあげた卒長が、空いた手で敵を指す。

 城壁の上には、人数分の弩が用意されていた。卒長が命ずるままに、みな弩を拾いあげていく。

 弩は弓と違い、戦を知らぬ者でも使える優れた武器である。狙いを付けるのも容易い。百人は殺到する敵兵に弩を向けつつ、欄干の隙間に身を隠した。


 矢が届く距離まで引き付ける。

 まだじゃ、まだじゃと、誰かがぶつぶつ呟いた。分かっておると、別の誰かが怒鳴る。


 ずいぶんと近くまで、敵が殺到してきた。

 卒長はまだ、発射の命を下さない。いつまで待つのだと、キョウは弩を持つ手に力を加えた。キョウの周りから、息をする音が減っていく。数度、呼吸の仕方を忘れたかのように不規則な息をする者がいた。


 敵の奇声が、大きくなっていく。歩兵はみな梯子や鉤縄を持って駆けていた。鉤縄だけを持っている兵は、城壁の上を睨みながら駆けている。


 次第に、奇声や雄たけびよりも地を踏み鳴らす音が大きくなった。

 城壁の上に震動が強く伝わり、ついに戦がはじまったのだと百人に知らしめた。


「放てえ!!」


 卒長が叫ぶと同時に、城壁の上の百人が同時に息を吸った。目を見開き、歯を食いしばる。


 城壁の上から一斉に矢が飛んだ。

 空気を切り裂く音が鳴り、百矢のうちの半分が敵兵を貫いた。


「中ったぞ!」

「あれほどの数がおるのだ。中るわい」

「早う、次。構えろ」

「次は中てる」

「来た。来た。来たぞ。中てろ。次じゃ」

「やあ。放て、放てよ。来ておるぞ」


 二射目に手間取る民兵を、卒長はじっと待っていた。半数ほどが構え直すと、再び矢を放つよう命じた。五十矢が飛び、半分ほどが敵兵を貫いた。


「弩に慣れた者は撃ち続けよ! 中てられぬ者は下がれ。草の束が後ろにある。抱えて持ってこい!」


 卒長が言うと、百人のうち半数が後方を見た。すると確かに、草の束がいくつも用意されていた。城壁の上に敷き詰められていた草を束ねたものだ。


「城壁に取り付かれたら、火をつけて投げ落とせ!」


 命に従い、幾人かが草の束を取りに走った。

 シカの伍では、カンだけが草の束を取りに行った。他の四人は一心不乱に弩を構え、撃ち続ける。そうしているうちに、敵兵の先頭が城壁のそばまでたどり着いた。運ばれてきた梯子が勢いよくかけられていく。同時に、何十もの鉤縄が投げられた。

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