第19話


「鉤縄が来るぞ! 避けろ! 避けろ!」


 シカが叫んだ。瞬間、城壁よりも高く、鉤縄が飛び上がった。

 縄の先にある鉤は、壁を登るために引っかけるものだ。しかしそれだけではない。壁の上に飛んだ鉤は、守兵を引っ掛けて攻撃することもできるのだ。上手くいけば、壁から引きずり落とすこともできる。


「避けたら、草に火を付けろ!」

「分かっておる」

「来たぞ、おい。そっちに走れ。避けろ。避けろ」


 次々と城壁の上にかかっていく鉤縄を避ける。幾人か避けそこなって、手足を引っ掛けた。幸運なことに壁から落ちる者はいなかった。次はこちらの番と、十数人が草の束を抱えて壁の下を見た。壁にかけられた梯子と縄を伝って、敵兵が登ってきている。必死の形相で、いずれの目も血走っていた。


「火を付けたら落とせ! 落とせ! 落とせ!」


 シカたちのもとに、カンが戻ってくる。すでに草の束に火をつけていて、どこに落とすべきか迷っているようだった。


「カン! こっちだ!」


 シカが矢を放ちながら叫んだ。彼の前には梯子がかかっていて、その下から数人が登りはじめていた。


「キョウとテイは縄を切り落とせ。火は、梯子の上からだ」

「わかった」

「俺とハツは撃ち続けるぞ。カン、急げ! 急げ!」

「ここから落とすのか」

「そうだ。落とせ、落とせ」

「よし、おう」


 火のついた草の束をカンが投げ落とす。草の束は投げると同時に燃えさかり、敵がかけた梯子の上に落ちた。梯子を登る敵兵の顔面に当たる。慌てふためいて火を払う様子が見えたかと思うと、ふらりと梯子が揺れた。それを見て、シカが梯子の先を蹴る。するとさらに大きく揺れた梯子が敵兵数人と共に崩れ落ちた。


「見ろ」


 シカが城壁の下を指差した。

 カンが落とした草の束を中心に、火が地面を舐めるように燃え広がっていた。他の者が落とした草の束の場所も同様に、炎が上がっていた。その上から、次々と草の束が落ちていく。炎はさらに勢いを増し、噴きあがった。


「なぜ燃えておるのだ?」

「土に油を滲みこませてあるのかもしれん」

「まさか」

「実際、地が燃えておる」


 首をかしげるキョウに、ハツは淡々と言った。弩を構えながらまた一矢放ち、ふうと息を吐く。そこまでしてあったのかと驚きながら、キョウも壁にかかった鉤縄のひとつを剣で切り落とした。ぶつりと音が鳴る共に、落ちる縄の下で断末魔が聞こえる。その声を耳に受けながら、さらにもうひとつキョウが鉤縄を切り落とし、ハツがまた一矢放った。飛びだした矢の先で、顔も見えない一人の男が、ごろりと地に伏せた。


 油が滲みた城壁の下で、火はさらに広がっていく。

 梯子と鉤縄で登りはじめていた兵士のことごとくが落ち、火に飲まれていった。しかし、一部燃えていない場所があった。地面に油が滲みこんでいないらしく、燃える草の束がただ落ちていた。

 城壁に殺到する多くの兵は、火があがっていない場所に集まりだした。命令が下ったわけではない。自然にそこへ導かれ、壁を登ろうとしはじめた。その様子を壁の上から見ると、滑稽だった。死へ走っているかのように見えたからだ。


「弩を取れ! 敵が集まっておる。放てばすべて中る。ただひたすらに撃て!」


 卒長が叫ぶと同時に、百人は弩を構えた。弩が不得手だった者も、意気揚々と狙いを定めはじめる。すると突然、百人の背後から多数の気配が迫った。幾人かががくりと肩を揺らし、ふり返る。


「やあ。味方じゃ」

「驚かせるな」


 背後から迫っていた気配は、城内で待機していた味方の部隊だった。城門前にいた癸隊ではなく、正規兵だけで構成された二つの卒だった。


「予備隊か」

「そのようだ。これは良い」


 駆けつけた予備隊二百人が手に持つ弩を見て、キョウらがいる壬隊百人の士気が上がる。


「騒ぐな! さあ、ひたすらに撃て! 撃て!」


 壬隊を指揮している卒長が叫ぶ。どうやら予備隊が駆けつけてくることは分かっていたらしい。表情に、微塵の乱れもなかった。


 正規兵が、壬隊の隙間を縫うようにして入る。整然と弩を構え、城壁下を覗く。

 キョウも改めて城壁下を見る。多くの敵兵が再び梯子をかけようとして、火と火の間を駆け回っていた。火の弱い場所は、十か所ほどあった。それぞれに、二百か三百ほどの敵兵が詰め寄せていた。統制を失って、壁の上を目指そうとしている部隊も見えた。


「これならカンでも中てられるぞ」

「ああ。はは。これなら中りそうだ」


 キョウの皮肉に、カンは表情をゆがめながら笑い、弩を構えた。


 一斉に矢が放たれる。

 すべてが一人を射抜けば、三百が死ぬ。十回続ければ、三千が死ぬ。

 矢を放ちながら、キョウは愚かしく考えた。そう思わなければ、希望を持てないからだ。目の前で繰り広げられる凄惨な光景で理性を保つには、愚かさで目を覆う他なかった。

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