第17話


 城壁の上に立った瞬間、首筋が硬くなった。

 まだ壁の外に目を向けてはいない。それでも、圧倒的な熱が流れてきていた。


 シカが先に、壁の外へ目を向けた。誘われるように、キョウも頭の向きを変える。なにかを見る前に、キョウの後ろで奇妙な悲鳴がにじみあがった。


「すさまじいな」


 言葉が漏れる。他に、何も思いつくことはなかった。思いついたとしても、目の前の光景がすべてを飲みこむだろう。

 白馬城の外は、無数の人間がおおい尽くしていた。はるか先に黄河が見えるが、河から城まで人の群れがうごめいていた。群れの先頭は、矢が届かない程度に距離を取っている。悠然と、整列を始めていた。


 城壁の上では、ここそこに奇声があがった。すぐに収められても、また奇声があがる。収めなければ、全員が狂うのではないか。自らの中にも湧きあがってくる狂気を抑え、キョウは歯を食いしばった。


「これが十万か」


 再び、言葉が漏れた。キョウの声に、周囲にいた幾人かが肩をふるわせた。


「いや。そうではないだろう」


 ハツが静かな声で言った。なぜだと、キョウは彼の顔を見る。

 敵兵を見渡すハツの表情は、硬かった。しかし、目だけはしっかりと見開かれていた。ひとつでも多くのことを見ようと、目だけが左右に振れている。


「違うのか」

「十万は、総数よ。ここにすべて来るはずもない」

「では、どれほどいるのだ」

「二万ほどではないか。どちらにせよ、追い返せる数ではないだろうが」

「追い返しても、残りの八万が来るのだろう」

「そうだろうな」


 ハツの口元が歪む。戈をにぎりなおし、何度か城壁を小突いた。その間も絶えず、目が左右に振れていた。生き抜くためにどうするべきか。必死に考えているようだった。


「全員、壁の上に並べ!」


 卒長の声がひびいた。百人が一斉に駆け、城壁の上に並んでいく。同時に壁の外へ向き直り、次の命令を待った。

 壁の下から、敵が見上げている。離れていて顔は見えないが、有利と分かって平然にしているに違いなかった。彼らの表情を思い浮かべるだけで、なぜか妙に苛立った。自然と奥歯を噛み締める。すると隣から歯ぎしりのような音が聞こえた。見ると、テイが奇妙な表情をして歯を食いしばっていた。


 一瞬、静まり返る。

 すべての流れが止まり、空気が固まった気がした。


 すうと、息を吸う音が聞こえる。卒長が立っている方向からだった。その呼吸音が百人の兵士すべてに伝わり、皆が大きく息を吸いこんだ。


「声をあげよ! 高く! 遠く! 黄河を震わせよ!」


 命令が下った瞬間、百人が咆えた。

 一人一人が、己の身体を破るほどの大声を放った。キョウも咆えたが、そばにいるカンの声が群を抜いていた。ただ一人で、百人分の咆哮を上げていた。周囲にいる者すべて気を失うのではないかと懸念し、キョウは叫びながら目だけで周囲を見回した。ところが誰も彼も、カンの声に力を得たようだった。さらに声を上げ、天を震わせるほどになった。


 寄せてきていた敵の大軍は、わずかに列を乱していた。明らかに数で有利と分かっているはずなのに、後ずさりする者もいた。


「見よ! 敵は皆、腰抜けばかりだ! 戦う前から逃げようとしておる!」


 剣先で敵兵を指しながら、卒長は笑うように叫んだ。彼の言葉を受け、百人の兵士たちがどっと笑いだした。大げさに武器を振り、笑い、叫び、咆えた。すると敵の大軍がさらに乱れた。ある者は怒り、ある者は竦み、ある者は呆然としていた。


「面白くなったものよ」

「上手く炊きつけられた」

「熱くてかなわん」


 シカが手を団扇代わりに振り、くっくと笑う。

 周囲に、もはや震えている者はいなかった。口を歪ませていたハツも、顔面を真っ赤にさせている。冷静な男でもこうなるのだなと思い、キョウは自らの頬に手を触れた。

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