第16話


 鐘の音が聞こえなくなるほどの叫び声が、城中から上がりはじめた。

 混乱を収めるため、正規兵が駆けまわっている。


「聞け!」


 怒鳴り声に似た大声が、キョウの背を貫いた。ふり返ると、キョウらの卒長が剣を高く掲げていた。険しい表情で周囲を睨みつけ、再度大声をはなった。彼に属する民兵たちは、大いに驚いた。物腰柔らかそうな卒長だと思っていたからだ。皆全身をこわばらせ、卒長の顔と掲げられた剣を交互に見た。


「整列せよ!」


 皆の目が集まってから、卒長は短く命じた。すぐに什長が駆け、受け持つ兵に呼びかけはじめる。キョウらはシカを先頭にして駆け、什長の前へ集まった。百人もの男たちが一瞬だけ入り乱れ、素早く整列していった。

 ざわめく城中のいくつかの場所で、音が消えた。

 正規兵、五百。民兵、五百。合わせて千人が、息をひそめて卒長に視線を向ける。事前に協力を要請していた民もいるようで、武器を持たない者が集まっているところもあった。


「我らは、北壁を守る!」


 キョウらの前に立つ卒長が、叫んだ。北壁という言葉に、周囲の緊張が高まっていく。声こそ上がらないものの、猛りと恐怖を混ぜた空気が広がった。

 北壁は、黄河がある方角だった。河北の兵が迫り、今まさに砂塵が立ちのぼっているのが見える壁だ。激戦となるのは必至で、もっとも死に近い。キョウの後ろで、テイが震えるような声を小さくこぼした。


「武具を取って、北門前へ!」


 卒長の声がひびくと、百人は一斉に自らの武具を整えはじめた。キョウは槍を取り、伍長であるシカのそばに立つ。少し遅れて、ハツとカンも武具を整え戻ってきた。


「やあ、行くぞ」

「おう」


 シカの声に、四人が短く応える。カチカチと、刃が鳴った。いつか来ると分かっていても、時が来ればなにか違うという想いに揺れる。その想いもまたなにかが違うと、隅の心が蹴り上げた。


 覚悟など決まらない。

 増していく不安が、思考を殺しているようだった。


 北門前へ行くと、すでに百ほどの兵が集まっていた。兵とは別に、百ほどの民もいた。


「北は卒が二つか」


 シカが言うと、そう見えるなと、ハツが頷いた。四方の壁それぞれに、二百ずつ配置されたのだろうか。とすれば、後詰め(予備隊)は二百ということになる。分かっていたことだが、余裕はまったく無い。


「北はもう少し多くしてほしいな」

「変わるまい。百増えても、敵は十万ぞ」

「はっは。そうだった」


 シカが笑う。ハツはかすかに震えていたが、冷静だった。彼らの前に立つ二人の卒長を見据え、目を細めている。

 やがて静まり返り、北門に静寂が宿った。

 城中の騒がしさも収まりはじめている。

 まだ見ぬ十万の敵兵の圧だけが、城壁の外から流れてくるようだった。


「北は、壬(じん)隊と癸(き)隊に分かれる」


 卒長の一人が言うと、右手を大きく振った。キョウらがいる卒は、壬隊であるようだった。


「壬隊は、急ぎ城壁の上へ。癸隊は、城門前で備えよ」


 命令が下されると、キョウらの前に立つ卒長が、城壁の上へ延びる階段を駆け上がっていった。遅れないよう、百の兵が追従する。キョウらの伍は最後尾だった。前の伍が動きだすまで、じっと待つ。ふと癸隊に目を向けると、幾人かの目に、安堵の色が浮かんでいた。


「いくぞ」


 シカの声がひびく。前の伍が動きだし、その後ろにぴたりとシカが付いた。階段で詰まっているためか、後方を走る兵の足は遅かった。

 じりじりと、城壁に沿う階段にせまる。登りはじめたころ、多くの者の声が頭上で上がった。壁の外の敵兵を見てのことだろう。キョウは釣られるように見上げたが、当然なにも見えなかった。


「焦らずとも、これから嫌ほど見ることになる」


 キョウの後ろで、ハツが言った。彼の声は静かだった。感情が消えたのではないかと思うほどだ。


「そうだな」


 槍をにぎる手に力をこめ、キョウは前を見た。

 シカの背が見える。

 いつも通りだなと、心の隅が妙に静かになった。

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