聖歴前15年 すてごま

「へへ、なあ待ってくれよ。なあ、クレオメ。まあ話を聞けって」


 両腕を背後に縛り上げられ、それでもマルベリーはわざと卑近に笑って見せた。

 首筋にクワの花を咲かせたアドニスではあるが、両脇には七名ずつ計十四名ものアドニスが武器を構えたまま警戒に当たっている。

 それはそのまま、マルベリーの実力の高さを表していた。


「話は聞くさ。おまえにはそのために御足労願ったのだからな」


 数段高い場所に設えられた玉座に座るアドニスは、マルベリーを見下しながら告げる。

 冷たい視線に、さすがのマルベリーも表情を曇らせた。

 

「なあ、クレオメ。借りた金はもう少し待ってくれれば必ず返すからさ、今日の所は勘弁してくれよ。アンタみたいな大物が俺みたいな野良犬をイジメてもむなしくなるだけだろう?」


 言いながらマルベリーは長い舌をベロリと出す。

 しかし、その弁明にもクレオメは眉を動かしたりしない。

 

「金を貸すとき、私たちは契約書を取り交わした筈だ。その中にはこう記してある。『期限までの返済を確認できない場合、借り主は生命の花をもってこれを購う』と」


 淡々と発された言葉は、マルベリーに容赦なく降り注ぐ。

 何万回も繰り返された文言を並べるのに、クレオメは言いよどんだりしない。金を貸すことと、それを取り立てることはクレオメの生業なのだ。

 

 数百年を生き続けるアドニスの外見的成長は十四歳で停止する。

 その後は、外的要因に因らず生命活動が停止することはない。

 しかし、内面の心理については外見と違って停止したりはせず、結果として、アドニスの中には内面的破綻を起こして錯乱する者が出てくる。

 精神的に不安定な時期を迎えたり、妙に行動的になったり、症状は様々であるが、その途上で死ななかった者はやがて無口で無表情になっていく。

 精神が植物に近づいていくと、やがて足首から生える根の処理も怠りがちになり、いつかはそれが地面に根付いて完全に植物化してしまうのだ。

 クレオメは既に、その一歩手前に立ち尽くす、古いアドニスだった。

 しかし、同時に古いアドニスに共通する生への強い渇望も抱えている。

 

「だいたい、俺が借りた金だってアンタからすれば小銭だろ?」


 片目を引き吊らせながらマルベリーが喚いた。

 黙って首筋の花を引き抜かれる気はないらしい。

 クレオメもまた、凍り付きそうな心への活力剤として、その抵抗を期待していた。


「金額の多寡は関係ないが、小銭と表現するのは難しいだろう。軍隊なら大隊を一年間は養える額だ」


 その金で若いアドニスがなにを為すのか。

 多少の期待はあった。それがまた、ともすれば生を手放そうとする両手に力を与えたのだ。

 少なくともマルベリーは何かを為す力を十分に持っており、本人がその気になれば借りた金と実力で辺境に国を興すことなども可能であった。

 しかし、期待は裏切られ彼に貸し出された金は無為に浪費された。

 妙な事業に投資し散財し、賭事にのめり込んではすり減らし、享楽にふけって女につぎ込んだのだ。

 マルベリーの女好きは有名で、それは金を貸す以前からクレオメの耳にも入っていた。アドニスは人間の女とまぐわっても子供が出来たりはしない。しかし、性交そのものは可能なのだ。

 だが、年齢を重ねるごとに生殖器は退化していき、やがて縮小化の末に完全な排泄器官と化す。当然、古いアドニスであるクレオメの生殖器も退化してしまっており、睾丸などどこにあるのか触ってもわからない。

 クレオメは自ら失われた生命力をマルベリーの内に見ていた。

 ギラギラと光る瞳と、獰猛なほどの欲求。

 それに賭博を愛好し、そのくせ、大金を求めている。

 刹那的な刺激を積み重ねることで生命の価値を膨らませていく。

 かつてのクレオメと、マルベリーの生き方はよく似ていた。

 しかし、博才と商才の点は、大君と呼ばれるほどの財産を築いたクレオメと、無一文で命を落としかけているマルベリーでは正反対であったのだと、状況が告げている。


「細かいことはいいだろ。そんなことよりもチャンスをくれよ。金は必ず返すからさ、今は待ってくれって」


 マルベリーは左右に立つ、クレオメの配下を睨みながらうなった。

 やがて一本の腕がマルベリーの首筋から生えた花の茎を掴んだ。

 このまま引き抜けば不死のアドニスでも死ぬ。

 

「待て、待て、待て。なにかあるだろう。方法を教えてくれよ。アンタの奴隷になったっていい。そこらの間抜けな部下よりもよほどいい仕事をする!」


 早口に命乞いをするマルベリーをクレオメは冷静に見つめていた。

 部下たちは気づいていないが、マルベリーは見苦しく装いながら、密かに、魔力を練っていた。

 機を見て魔法を発動し、最後の抵抗を行う腹だろう。

 その魔法精度と隠匿技能は確かに頭抜けており、個人として戦闘能力や機転で比肩しうる者はクレオメの部下にはいない。

 ふと思い立ち、クレオメは手を挙げた。


「待て」


 部下たちが動きを止め、マルベリーの花からも手が離される。

 あと一呼吸遅ければ、戦闘は始まり、この部屋の部下も半分は死んでいたかもしれない。

 クレオメ自身は生死にこだわりを持たなかったが、部下まで死なせるのは幾分、気がひけた。

 ふむ、どうしたものか。

 クレオメは鉛の様に重くなりかけた頭脳で思索を行う。

 金貸しとして、返さない者は見せしめにしなければならないが、同時にそれは、マルベリーとの戦闘を意味する。

 このままだと部下を守る責任か、金貸しのメンツのどちらかが傷ついてしまう。

 と、叡智の塔に住まうヒースの顔が脳裏に浮かんだ。

 つい先日、使い魔をよこして来たのだ。

 内容はヘパティカの討伐隊に人員を出せないかという問いだった。

 近年、アドニスだけの国が作られ、周辺の国家と戦闘に明け暮れている。

 その創設者がヘパティカで、一部からは“魔王”と呼ばれているらしい。

 ヒースとは利害の一致で、軍資金を出すことを了承したが、ヘパティカに互する配下が居なかったため、人員は出さないつもりでいた。


「マルベリー、機会をくれてやろうか?」


「頼む!」


 クレオメの問いにマルベリーは即座に返した。


「魔王ヘパティカの首に貴様の借金と同額の懸賞金を掛けてやろう。取ってこられたら借金は帳消しだ。やるか?」


「勿論!」


 これもマルベリーは即答で返した。

 クレオメは頷いて話は決まった。

 討伐隊といえば聞こえはいいが、正面からの戦争で分が悪い為に送り込まれる暗殺部隊だ。そもそも、成功する確率は低い。

 そんなものに直接の配下を入れると、失敗した場合にヘパティカから目を付けられかねないが、マルベリーなら無関係で押し通せるし、失敗しても胸が痛まない。

 様々な計算を膨らませながら、しかし同時にクレオメは、マルベリーならやってのけるのではないかと、期待をしていた。

 この結果が出るまでは生き続ける楽しみができた。

 そのことが珍しく、クレオメの唇をわずかにつり上げたのであった。

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