聖歴前16年 独房暮らし

「賢者様、御老が身罷られました」


 足首から伸びる根を編みこんでいるヒースに向かい、従僕は恭しく報告した。

 作業の手を止めると、ヒースは背を伸ばしてため息を吐いた。

 

「そうか。葬儀の後、速やかに次代の惣代を選出してくれ」


 老僕は頷くと、踵を返した。

 ヒースは髪の毛をかき上げると、そのまま首筋から生える花を撫でる。

 そうして手に触った花を一本、茎の途中から千切った。


「待て、これを棺に」


 皮膚に近い部分は血管や神経が走っている為、切れば苦痛を感じるが、皮膚から少し離れればそこにあるものは普通の花と変わらない。

 従僕を呼び止めて花を投げると、ヒースは死した老人を思って瞼を閉じた。

 従僕は花を拾い、部屋を出ていく。

 人間とアドニスは様々な点で違いを持つが、最も違うのは時間の尺度である。

 人間にとって大半のアドニスは、生まれた時に既におり、死んだ後も存在し続ける。

 死んだという当代の惣代は幼いころからヒースが面倒を見た孤児だった。

 幼子はあっという間に年齢を重ね、若さを保ち続けるアドニスを追い越していく。そうして短い生涯を駆けぬけヒースを置いていくのだ。

 見た目が同じ年頃になったほんの一瞬がもっとも楽しかったろうか。

 それも膨大な人間との記録に紛れてはっきりとしない。

 決して楽しい気分ではないが、悲しくて仕方ないわけでもない。ヒースは再び、足首の根を編む作業に戻った。

 アドニスの体内に共生する植物は、茎と葉と花を両肩の間から生やし、根を足首から伸ばす。この根を土に付けたまま長期間置いておくと完全に根が張り、アドニスは動けなくなってしまう。

 しかし、だからといって切断しようものなら神経や血管が詰まった根はアドニスに激痛を与えるし、ひどいときは死をもたらす。

 結局、伸びるに任せるしかないので、多くのアドニスは編みこんで根が地面に触れないようにし、その上を幅広の布などで隠すのだ。

 ヒースは簡素な室内の、大きな窓を眺める。

 外は朝を迎えており、遥か眼下に広がる市街は躍動の前に大きく息を吸い込んでいるようだった。

 ヒースの住まう『英知の塔』と呼ばれる建物は聖王国時代に建造された過去の遺物であり、生体コンクリートによって今も少しずつ拡大している。

 ヒースがこの塔に幽閉された当初、この塔はもっとずっと小さく、低かった。

 それでも大勢の人間が行きかい、活気が溢れていたものだ。

 しかし、人間の寿命は短く、彼らが組織する団体もまた、アドニスの前では儚いのである。

 当初はアドニスを研究していた組織も数十年で人員の新陳代謝が滞ると、じきに当初の目的を忘れてしまった。

 研究組織の残党たちは乱世に生活基盤を求めて『英知の塔』に寄り集まる難民を貴族として支配することに傾倒していったのだ。

 それも上手くいった期間は短く、人間たちは多くの血を流しながら次々と権力の交代劇を繰り返していった。

 しかし、人間は物事を続けるのが下手だ。権力闘争にさえ飽きた彼らは、最終的にヒースを賢者などと呼び、市街地の代表者である惣代の任命権を押し付けてきた。

 思えば妙な話である。

 もともと、実験体の一つに過ぎず『英知の塔』に幽閉されていたアドニスが長く生きたというだけで人間に君臨してしまったのだ。

 同時に、各地から行くあてのないアドニスもヒースを頼りに大勢集まりつつあり『英知の塔』は人口、生産力、総戦力のどれをとっても国家として不足のない集団となっていた。

 しかし、この体勢もいつか崩壊するだろう。ヒースは確信に近い予感を持っている。だから、入れ込みはしない。

 望まれて君臨はしても、統治を委任した惣代に任せ、口を挟んだりはしないのだ。

 不正も、不実も、暴力も、『英知の塔』と周辺で行われるあらゆることを、使い魔によりヒースは知ることが出来る。しかし、それは人間の本質ではないか。今更、それを嫌悪する程に幼くはない。

 と、室内に人影が沸いた。


「や、ヘパティカ。なにか用かい?」


 影は数年前に大陸中から賛同するアドニスを集めて建国し、勢力を拡大しているヘパティカと名乗るアドニスのものだった。

 直接の面識はない。が、互いに古いアドニスということもあり、使い魔を通して挨拶くらいは交わしたことがある。

 ヘパティカの影が揺らぎ、映像の復元まで一呼吸を要した。

 室内に現れたのはヘパティカの本体ではなく魔力によって形作られた疑似映像だ。揺らぎや映像の荒さから本体は数十キロ離れた場所にいるのだろうとヒースは読み取った。

 

「ヒース、力を貸して欲しい。君と『英知の塔』に集う同胞の助力が得られれば……」


 喘ぐような苦しい表情でヘパティカは哀願する。

 ヒースはその顔も見ず、自らの爪に視線を落とした。

 

「大変に残念だ。とても心苦しい。君が掲げる理想には大いに共感しよう。俺が幽閉の身じゃなければすぐに飛んでいくのだけどね」


 心のこもっていない言葉でヒースはにべ無く断る。

 ヘパティカと自らの立場の違いを、埋めようがないと確信しているのだ。

 人間を排斥しようとする理想には付き合えない。生殖能力が退化したアドニスを作り、せっせと増やしているのは他ならぬ人間なのだ。

 まして……


「ねえ、大丈夫かい。表情が暗いよ」


 迷いのある指導者に寄り添った先に、ろくな未来があるとは思えない。

 

「……僕は確かに、仲間の為に剣を取ったんだ。でも、皆を率いる能力が僕には足りないみたいなんだ。ヒース、君が王位についてくれたなら、もっとうまくいくと思うんだ!」


 その言葉を聞いて、ついにヒースは隠しきれず、あざける様に笑ってしまった。

 

「ああ、ごめんよ。俺はもっと君を上等なヤツだと思っていたが、どうも見込み違いだったようだ。しかし、自信を持てよ。周辺の国家を全部敵に回して一歩も引かず、支配域を拡大しているんだ。こんなことをやったのは全てのアドニスの中で君は最初だ。その結果、大勢の人間を殺し、またその先兵たるアドニスを殺そうと退いてはいけない。そうしてこれが一番大事なんだが、自らの意思で背負った業を、途中で怖くなったからって他人になすりつけようとしちゃあ、いけない。俺なら、恥ずかしくてそんな言葉は死んでも吐けないね」


 ヒースは視線を上げると、誇り高く、古く強力で、それでいて純粋な男を見つめる。

 理想と現実に押しつぶされかけた苦悩の表情がそこには浮かんでいた。

 やがて、映像は煙のように掻き消える。恥は知っているらしい。

 冷たいため息を吐き、ヒースはヘパティカの健闘を祈る。

 ヒースとて、全面的に人間を愛しているわけではないのだ。

 結果として人間が滅び、次いでアドニスが滅びても、ヘパティカの覇業には通すべき一分がある様に思えた。

 足首の根を編む作業に戻りながら、ヒースは争いに向けた思考を練る。

 『英知の塔』に集うアドニスはヒースも含め、どちらかといえば穏健派の集まりだ。しかも、戦争に慣れた者は数えるほどしかいない。

 対して近頃は魔王とも呼び畏れられるヘパティカの軍には獰猛で世界や人間に強い恨みを持つ者が多い。その上、主力は戦場で生き延びた古強者である。

 彼我の勢力がぶつかればどうやって戦うか。それはもはや考えるべくもなかった。


「……無理だな」


 正面からではまるで話になるまい。

 『英知の塔』の、あるいは人類の終末に接し、ヒースは苦笑して口元を不敵に歪めるのだった。

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