アマナ条約歴30年 ながれもの

 人間から生み出されたアドニスの多くが人間に隷属して生きている。

 軍、研究機関、王家、独立騎士団、商会、そうしてそれら権力にまつろわぬ漂泊の民草。

 それぞれがそれぞれの理由により、様々な勢力に寄り添っているのは、身を守る為である。

 とかく目立つ彼らは何者かの庇護を受けていなければ、既存の勢力から身を狙われ、組み伏せられ、場合に寄ってはあっさりと命を落とす。

 それゆえ、組織のくびきを離れ、なお生き続けるアドニスは尋常ならざる実力者であると言っていい。

 “アザミ”のディステルもそんなアドニスの一人であった。

 鋭い視線が、槍を構えた山賊たちを射すくめる。

 一様に薄汚れ、穴が開いたり曲がったりした鎧の類は戦場から拾い上げたものか。

 捕まえれば金になるアドニスを見かけてねぐらから這い出て来たのだろう。

 崖沿いの隘路にあふれ出した山賊の一党は手に手に武器を持ち、ディステルを囲むのだった。

 

「む、無駄な抵抗はやめろ!」


 腰の引けた山賊の頭目がわめいた。三十名ほど並ぶ部下の手前、自らを鼓舞する目的もあるのだろう。

 ディステルは彼らを無視して、道に覆いかぶさる雑木の枝を見上げた。

 隠れているのは五人。四人は弓を抱いている。残りの一人が問題か。

 ディステルは突き付けられた槍の穂先を自らの胸に突き当てると、吐き捨てた。


「突いてみればいい」


 頭目の視線が槍の穂先と、それを握る自らの手をなぞる。

 緊張して息が詰まるのは、アドニス狩りの危険性を熟知しているからだろう。

 しかし、殺してしまっては意味がない。

 頭目はとっさに考えたのだろう。穂先を下ろし、ディステルの太ももを刺そうとした。

 が、鈍い穂先は厚い氷に妨げられるように滑り、地面を刺すにとどまる。

 

「わかったね? 僕が何もしなくたって、君たちは僕に触れることもできない。わかったら解散をして、来た道を戻るんだ」


 ディステルの言葉は、目の前の山賊ではなく頭上に伏せる同類に向けられていた。

 商取引で買われたものか、狩りで捕まえられ、屈服させられたものか。

 ディステルにとって凡百の賊などものの数ではないが、アドニスが相手となれば話が別だ。そうして、事を構える以上は殺し合いになる。

 ディステルは今、殺すのも殺されるのも気が進まなかった。

 両手の十指の内、親指を除く八指に嵌めた指輪がガチャリ、と鳴る。ほんの五十センチほどの長さの刃渡りを持つ、粗雑な短剣一本がディステルの所有する武器の全てだ。

 手加減は難しい。

 と、何を判断したものか、頭上に伏した賊が矢を射かけてきた。ディステルは魔力障壁を展開し、それらを弾きのける。

 瞬間、これを好機と見たのだろう。頭上のアドニスが飛び降りながら斬りかかってきた。刺客とディステルの視線が交差する。

 首筋からシロツメクサを生やしたアドニスの表情は、勝利を確信していたことだろう。体には鋼鉄並の硬さの防御結界を纏い、手に持った曲刀には麻痺の魔法文字が刻まれ、流し込まれた魔力と反応して青い光を放っている。

 しかし、やはりシロツメクサのアドニスは理解していない。

 人間への隷属を無用として生きるアドニスがいかに強大なのかを。

 ほんの僅か、ディステルは悲しい表情を浮かべたものの、迷わない。迷うならここまで生き延びていない。抜く手も見せずに短剣を引き抜くと、頭上に向かって振り上げた。それで全てが終わる。

 人に隷属せねば生きていけなかったアドニスは、頭から真っ二つに分かれてベシャリ、と地面に落ちた。

 痙攣するアドニスに止めを刺すと、ディステルは深いため息を吐く。

 不要な殺生をしてしまった事と、手に残る感触がディステルの気持ちを重くしていた。

 短剣の切っ先を山賊たちに向ける。


「見逃すつもりだったが、気が変わった。全員、腕を一本ずつ置いていけよ」


 言うが早いか、短剣が一閃。その場に三十数本の腕がボトボトと落ちて地面に転がった。もちろん、樹上に隠れる山賊の腕も肩から外れている。

 欠損を自覚した山賊たちは目を見開き、顔を見合わせる。

 たっぷり一呼吸分の時間が経ってから彼らは叫び始めた。そうして蜘蛛の子を散らすよう、我先に走り去っていく。

 ディステルは血も脂も付着していない短剣を鞘に納めると、踵を返した。

 耳の奥では鈍い痛みが鳴り響き、自らの行為を責める。

 かつて“剣聖”と呼ばれた剣士の成れ果てがこれか。

 残された大量の腕も、シロツメクサの死体も、向き合えば過去の罪が蘇り、耳元で不快な言葉をささやく。

 嘔吐感は腹の底でとぐろを巻き、眉間に皺を寄せた。

 と、バサバサと羽ばたく音が響き、遠くから何かが近づいてきていた。

 少しして、羽ばたきの主がディステルの前に降りてくる。

 藍色の巨鳥とでも表現しようか。その上、頭部は猿の物であり、尻からは虎の尾が生えた鵺鳥であった。

 人間ほどの大きさを持つ鵺鳥は、ディステルが知る者の操る使い魔であった。

 

「よう、ディステル。探したぜ。調子はどうだい?」


 猿の口から知った声が響く。

 

「見たままだ。何か用か?」


 ディステルはぶっきらぼうにつぶやいた。愛想を振りまきたい状況ではない。

 鵺鳥の主はヒースという名の古いアドニスである。

 彼は『英知の塔』と呼ばれる結社に幽閉されていながら、使い魔を介して世界を見ている。そうして、必要とあらば鵺鳥を介して言葉を交わすことも出来るのだ。

 

「用があるから探すんだよ。なあディステル。ここのところアイビーを見ない。見かけたら至急、俺のところへ来るように伝えてくれ」


 ヒースはいかにも重要な事の様に言うのだけど、ディステルとヒースの付き合いは長く、本心が透けていた。

 ヒースはアイビーというアドニスに強い執着を持っている。

 つまりは会いたいのだ。しかし、アイビーも一人で放浪しており、ひょっこりと顔を出すのであるが、こちらから行方を探るのは非常に困難である。

 数百年生きて、なお素直な感情を出せるヒースに、ディステルは苦笑し、少しだけ救われた気がした。

 

「アイビーに会ったら伝えておくさ」


 それで満足したのか、鵺鳥は飛び立ち、空に消えていった。

 その場にある死体は、消えたわけではなく鵺鳥がいなくなったあともきちんと残されていた。それでも腹からは吐き気が消えていて、ディステルは妙なタイミングで訪れた旧友に感謝するのであった。

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