聖歴前15年 シンデレラ

 王家から各領の統治を委任され、それでいながら連合を組んで王家と対立をしている勢力を貴族連合という。

 富豪のクレオメが所属する豪商団は経済の発展及び、取引の円滑化を目的に組織されているのに対し、貴族連合は領土と領民を持つ者同士の相互防衛や問題調停を目的とした連合体であった。

 アドニスのアネモネは連合本部から送られて来た通達に目を通し、深い溜息を吐く。

 義務を果たせ。

 ほんの些細な命令である。

 私室のソファに腰をおろし、通達書を床に投げ捨てる。

 

「ヒースのやつめ」


 アネモネは英知の塔を束ねるヒースの手管に舌を巻いた。

 膨張著しいヘパティカ率いる“魔王軍”と共同して当たるべく諸勢力を巻き込みつつある。

 もともと、“魔王軍”に戦々恐々としていた小領主たちは渡りに舟とばかりに賛同した。

 果たして、その舟が十分な積載量を持つか、船頭は適当な人物か、そもそも船体が泥で出来ていやしないか。それを吟味することもなく、各領主たちは兵力や財力を吐き出すと表明している。

 最大の問題はアネモネが唯一、アドニスでありながら領主として貴族連合の一員に名を連ねているということだ。

 ほかの領主連中は、アネモネがアドニスであるため、ヘパティカ側に付きはしないかと疑いの目を向けている。

 事実、ヘパティカからの密使が訪れた事もあり、アネモネの立ち位置は危うかった。

 ここで配下を出し渋ろうものなら、ヘパティカより先に貴族連合内の他勢力と争うことになるだろう。

 

「ホント、ヒースは油断ならない奴だよね」


 声がして振り返ると、そこには穏やかな詐欺師の様な表情をたたえて、アドニスが立っていた。

 背筋から立ち上る三色の百合を見るまでもない。

 

「リズ! どうやってここへ入った?」


 最古級のアドニスとされるアネモネと、おそらく同程度の時間を生きてきたアドニスの個体がそこにいた。

 仮にも領主の私室であり、厳重な警備をかい潜らなければここへは入れない筈であった。

 

「そんなことはどうでもいいだろう」


 端正な顔を偽悪的に歪めながら、リズは室内の椅子に座る。

 

「問題は君がどういう選択を取るかだ。僕に関する事ではない」


 いつの間にか、床に捨てた通達書を手に持ち、内容を読んでいる。

 

「英知の塔、豪商団、貴族連合が手を組んでヘパティカと戦う訳ね。ふぅん」


 全く興味がなさそうに通達書を捨てると、リズはアネモネに向き直った。


「それで、君はどうするんだい。アドニスによるアドニスのための国、なんていかにも素敵じゃないか。アドニスたる君はなぜヘパティカを応援しないんだ?」


 意地悪そうに笑いながら、リズが問う。

 アネモネは腹立たしく頭を掻いた。

 アドニスは大勢おり、性質が千差万別だとしても、この男は特別だ。

 それをアネモネはよく知っていた。

 調子外れの歌を陽気に歌い、貧民に施しをして歩いていたと思えば、通りが変わった瞬間、呪詛の歌を美しく高らかに歌い上げたりする。

 勿論、声をその耳で聞いた者は全て死に絶える。

 そういうことを、意味もなくやる奇人なのだ。

 

「アドニスの国なんか、保つわけがないだろ」


 アネモネは領主であり、そのことを知悉している。

 魔力や、それに伴う身体能力について、人間とアドニスはもはや別種の生物ほども規格が違う。しかし、同時にアドニスが人間に劣る部分も多く、それが生物の群れとしては致命的なのだ。

 たとえば農業。たとえば土木作業。たとえば鉱山労働。牧畜。工場労働。食品加工。酒造。窯業。

 つまり『長時間にわたって生産活動に従事する』ということに、アドニスは全く向いていない。

 そうして、国の根幹をなすものとは、そういう地道な労働に他ならないのだ。

 戦い、壊すことが得意な者だけを集めた国など、末路は始める前から見えている。

 だから、アネモネもヘパティカからの密使を面会もせずに追い返していた。


「ま、その辺は同意するんだけどね。じゃあ君は貴族連合側として配下を討伐隊に送り込むのか」


 なにがおもしろいのか、コロコロと嗤うリズの背後で百合の花が揺れる。

 

「元より、私は貴族連合の一員だ」


「疎まれアドニスが、人間組織の一員になれたと思っているのなら、やめた方がいいよ。傷つくから」


 リズの真っ赤で、長い舌が口から延びる。

 アネモネはその舌で弄ばれている気になってきた。


「いらぬ世話だ。用がないのならもう帰れ」


 道化を真正面から相手にしても馬鹿を見るだけだ。

 額を押さえながら、アネモネは吐き捨てる。

 

「なんだよ。ただの雑談じゃないかよ。じゃあ、本題だけど君の所からはトレフルを出すんだろう?」


 言われて、アネモネの胸がキュッと軋む。

 アネモネの屋敷に詰める従者の名を、リズは口にした。

 

「いやぁ、ここだけの話、彼のことは僕も欲しかったんだよね。結局、君が押さえて落着したけど、君が出てくるのがあと少し遅ければ、僕の手駒だったんだけどなぁ」


 リズは椅子を蹴って立ち上がると、大仰に悲しんで見せた。

 トレフル。首筋にクローバーを咲かせた異能のアドニス。

 膨大な魔力と尋常ならざる魔法を携えた、優しい子。

 パチ。

 空間に青白い閃光が生まれ、アネモネの周囲を騒がしく走った。

 

「帰れ。あの子を戦場には出さない」

 

 アネモネが魔法の準備を終えたのだ。

 青く光る雷を起こし、いつでも対象を炭に出来る。そんな魔法だ。

 

「わぁ、怖い。そこまで言うのなら、おとなしく帰ろうかな。そっか、トレフルの戦いを観戦したかったんだけど、そりゃ残念」


 眉一つ動かさず、リズは再び赤い舌を出した。

 

「じゃあ、まあ頑張ってよ。しかし、君の所に他の駒なんてロクなやつが……」

 

 轟音。閃光。

 一瞬の後、アネモネの私室にあるものはアネモネを残し、残らず炭化した。

 残骸の中心に立ち、アネモネは荒く息を吐く。

 百年ぶりに全力で魔法を使った。

 しかし、手応えはない。おそらく逃げたのだろう。

 異変に駆けつける従者の中にトレフルを見つけ、アネモネは慌てて呼吸を整えた。


「すまないね。なんでもないんだ」


 つとめて平静に説明する。

 そんなわけがないことは明らかだが、それでもアネモネはトレフルを心配させたくなかったのだ。

 困惑する従者たちの視線を浴びながら、アネモネはただ、燃え尽きた家具の灰にまみれるのだった。

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