第9話 銃

「お前、犬苦手だっけ?」


 啓太だった。

 いつ彼がやってきたか斗真は全く気付かなかった。

 啓太はライフルにしては細身の銃を手にぶら下げていた。


 答えない斗真を気にすることなく脇までやってくると、舌を出したまま深く呼吸する犬の鼻つらをグローブをはめた手で掴み、目、顎、歯茎と順に確認するような仕草をした。


「よく効いてるな、数時間は起きないよ」


 脇腹のペンは麻酔銃の注射筒だった。


「助かった」


 斗真がそう言うと、啓太はニヤリと笑って銃を持つ反対の手を斗真に差し出し、起こし上げた。


「こいつの威力も試したかったからな」


 啓太は犬の脇腹の注射筒に目をやる。

 即効性がいくら高くても一瞬で眠りにつけるような薬はない。斗真が怪訝そうに犬を見つめていると、啓太はゾンビ化した動物は新陳代謝が異常活発化するから体内に取り込む薬が効きやすい、と説明した。


「……そんなことより、斗真、お前……」


 啓太のグローブを外した手が斗真の顎を掴んだ。先ほどの犬と同じ扱いだった。


「あぁ、やられた」


 斗真は犬との攻防戦で、顔を傷付けられていた。薄く血が滲んでいる。


「なんともないのか?」


 感染した動物に噛まれたり、あるいは粘膜接触があると人間の細胞も侵される。襲われた時点で多くは命を落とすが、逃げられたとしても即座に体中にウイルスが侵食し意識混濁と異常発汗、震えが発生し、理性的な言動を取れなくなる。ゾンビウイルスと言われる所以だ。


「……なんともない。傷口ももっと深くやられてたかと思ったけど……」


 斗真は傷に触れた。やられた時は爪が肉に深く食い込んだかと感じたほどの衝撃だったが、触れば傷があるとわかる程度の切り傷だった。


「二人とも、無事ね!」

 女性の声に斗真と啓太は振り返った。


 カラスの死骸の方から走ってくる。取っ組み合いをしている斗真と犬に見向きもせず、公園の入り口から戻ってカラスの死骸に一直線に向かっていったことを想像し、斗真は彼女の清々しい笑顔に狂気を感じた。


「少年、さっきは有難う。助かった。それにカラスのサンプルまで手に入れられたし」


 目的達成できた、と肩から下げたベルトのついた箱をぽんぽんと叩いた。


「彼女がカミカゼ・デリバリーに電話をくれて、近くにいた俺が駆けつけたんだ」

「そこで何してたんですか?」

 斗真はそれくらい聞く権利があるとばかりに、女性に尋ねた。


「あぁ、仕事で……ん?君、傷?ちょっと、怪我したの?カラス?犬?どっち?症状は?」


 啓太より手荒に、細い指が斗真の顎を掴み下から覗き込んできた。事務的な観察者のような声色だったが、間髪入れない質問責めに斗真は怯んだ。


「あぁ、ごめんなさい。自己紹介もまだね。真木志帆子まきしほこ。国立感染研究所研究員。鳥類に感染したウイルスの変異状態が知りたかったの。で、その傷、もう瘡蓋かさぶたじゃない。今つけた傷じゃないのね」


 斗真がこめかみに触れると、傷は確かに瘡蓋になっていた。啓太も違和感を覚えたのか二人は目を合わせた。


「まぁいいわ。今はこのカラスの血液をとにかく早く調べたいから。なんで感染した犬に引っ掻かれても無事なのかはまた今度教えて、小山斗真君。あ、あともう一人の少年!それ銃刀法違反だから!」


 そう言って、真木志帆子は颯爽と公園の出口である原宿門に向かっていった。


「あの人……なんでお前の名前知ってるんだろうな」

「……店長にでも聞いたんじゃないですかね……それより銃刀法違反」

「俺、獣医師免許持ってるし」


 斗真は予期せぬ返事に驚きに反応できずにいたが、啓太の一言で彼が獣医師免許を持っており、獣医師は麻酔銃を扱って良いらしいことを知った。


 啓太は一息つくとベンチに向かい、背負っていた斗真と同じ大型バックを足元に置きベンチに腰掛けバックの中から置き配ケースを取り出した。


「弁当箱を開けたらまずいですよ。そもそも開封コードは依頼者しか知らないはず」


 啓太は配達員の間で弁当箱と呼んでいる置き配ケースをぱかっと開けると、プラスチックの箱の留め具が取れ中から肉の、厳密には大豆ミートの匂いをまとった湯気が上がった。


「これは俺が頼んだの。昼飯一緒に食おうって言っただろ」


 佐々木啓太が自ら発注したハンバーガーの一つを、斗真に突き出した。


「……ありがとうございます」

「まさか代々木公園で食べるとはな」

「ここで食べるんですか」

「もう開けちゃった」


 斗真はウイルスの空気感染が頭によぎったが、照り焼きソースの匂いに負けて熟睡するゾンビ犬を視界に啓太の隣でハンバーガーを受け取った。


 まだ異様な鳴き声をあげるカラスが遠くに聞こえる。


 こめかみの傷はとうに塞がれ、斗真は真木志帆子という名を頭の中で反芻した。

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カミカゼ・デリバリー Fuyugiku. @fuyugiku000

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