14話

 視界は白く霞む。

 風になびく自分の前髪が、周期的に映り込む。


 悲鳴ももう、聞こえてこない。

 おそらく、悲鳴をあげる人がもういない。



 思い出す。

 かつて暮らしたあの家が、火を付けられたあの家が。

 巻き上げられた村人が、木片が、炎が、夜空に広がって。


 美しかった。


 その瞬間だけは、心の中が全て透き通るような。

 失ったモノなど、一つもなかったかのような。

 左目に籠る熱が、身体を包み込むような。


 この瞬間が終わった後、私に残るのは何だっただろうか。

 本当に、罪悪感だっただろうか。


 私を育ててくれた老人は、決して私を責めなかった。また二人で暮らそうと、そう言ってくれた。

 でも、老人と私では、流れる時間が違った。


 老人は亡くなった。

 私は一人になった。


 私は独りになった。


 私は欲しかったんだ。

 同じ時間を生きる存在が。

 同じ力を使う存在が。

 同じ孤独を持つ存在が。


 だから、私は。

 世界中に力をばらまいた。

 望みを叶えるために。無意識のうちに。

 有り余る力を、世界中の樹木の中に。


 私が生み出した悲劇だ。

 レオも、カストールも、マリアも。


 ……。


 だから私が守らないと。

 私のエゴで生まれてしまった彼女達を、私がこの手で守らないと。

 もう二度と、彼女達に悲劇が起きないように。


 そうだ。

 マリアを傷付けようとする奴らが、どうなろうと知ったことか。


 ……違うか。


 マリアを傷付けようとする奴らには、死んでもらおう。

 二度と間違いが起きないように。

 二度と彼女が傷付かないように。


 うん。そうだ。

 私はずっとそうだった。

 最初からずっと、そうだったんだ。


 大切な人を傷付けようとする相手には、容赦なんかしない。


 これまでも。


 これからも。



 ……遠くで、何かの音がする。

 霞みがかった世界の向こう側、私を包む風の、向こう側から。


 何の音だろうか。


 透き通るような音。

 暴風のカーテンを抜けて、心を揺らす音。

 私の中の、奥深くまで響く音。


 ……“波紋の鐘”?


 そうだ。この街には、あの鐘がある。

 かつて聞いた、鐘の音。

 平和な世界を、願う音。


 ——私の風の音が、水面を揺らしている。

 乱れた水面に、波紋は広がらない。


(……もう充分、か)

 私はようやく、風を収めた。


 視界が開ける。

 木片や布切れが散乱した広場。生きた”人間”は一人もいない。


「アネモネ……!」


 前髪だけ白く、他は黒い長髪を垂らし、こちらに歩み寄る女性。

 黄金色の瞳は潤み、それでも真っ直ぐ私を見る。


「マリア……」


 私はマリアに駆け寄った。そのまま彼女を抱き締める。

 マリアは生きている。マリアは助かった。もう、大丈夫だ。

「……良かった」


「ごめんね、アネモネ。私……」

 マリアの声は震えている。

「止めるって、約束したのに……」

「いいんだよ、マリア」

 マリアの肩を掴み、その目を見つめる。溢れる涙が、頬を滑る。

「私は大丈夫だから」


 気付くと、レオ達が側にいた。”泉の小屋”の面々も合流している。

 捕らえられていたポルックスも無事だ。初めて見る人達が、タウロさんとその仲間達だろうか。

 そしてもう一人。

 灰色の髪を揺らす彼女が、少し離れた場所に立っていた。


「貴方が、彼女達を救った」

 両手を広げて彼女は言う。それからゆったりと、私の元まで近付く。

「貴方こそ、私達”魔女”を治める王にふさわしい」

 仰々しく跪く彼女に、何人かが続く。

「貴方は命の恩人だ!」

「私も貴方に従います!」

 人間に忌み嫌われ、排斥されるように作られた彼女達が、私に従おうとする。同じように忌み嫌われ、排斥された私に。


 私が、そう作ったのに。


 責任だろうか。

 それとも、流されているだけだろうか。

 私は、私達が幸せに暮らせる世界を望んでいる。

 私達だけが、幸せに暮らせる世界を望んでいる。

 それを作るためなら、私は。


「私達だけの楽園を作ろう」


 私は、王にでも何でもなってやる。


「”魔女”だけの世界を」


 そうだ。人間達とはもう関わらない。

 それが一番いいんだ。誰も傷付かなくて済む。


 私は魔女、人間ではないのだ。

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