13話
宙に巻き上げられた人。
建物に叩きつけられるモノ。
きっと凄まじい音がしているんだろう。
だけど何も、聞こえてこない。
耳が追いついていないのね。
アネモネが巻き起こした風は、状況を一変させた。
集まっていた人々は、上でも下でも散り散りになった。制服の男達も、一人残らず空を舞う。教皇と慕われていた老人は、叩きつけられた果実のように。
心地よいそよ風が、私の頬だけを撫でる。
私だけ、時間の流れがゆっくりになったみたいに。
気付けば、足元の炎は消えていた。
もう命の危険はない。大丈夫。
だからアネモネ、もう、これ以上——
「無事だな!? マリア!」
荒れ狂う突風の最中、私の足元に駆け付けたのはレオだった。そのオレンジの髪が自由に跳ね回っている。私のあげた髪留めも、この強風には無力みたいね。
レオが私の拘束を解く。ようやく私は自由の身。
「アネモネを止めないと」
息巻く私に、まぁ待て、とレオ。
「捕まっていた他の奴らの場所はわかるな? 解放するチャンスは今しかない」
「でもアネモネは……!」
「アネモネのためにもだ!」
うねりをあげる風の中、レオは声を張り上げた。
「あいつはどうせ、後悔するんだろ! だったらその後悔を、少しでも減らすんだよ!」
レオは私の腕を引く。
「さぁ、どっちに行けばいい!?」
アネモネのおかげで、皆が助かった。そう言えた方がいいのだろうか。
私は、
私は、
私は、レオとともに牢へと向かった。
牢がある建物の周囲は、嵐の中心からは随分と離れている。風は確かに届いているけれど、人を吹き飛ばすほどではないみたい。つまり……
「中の看守も空の上、ってわけにはいかねぇよな」
レオは臨戦態勢を取る。その両手に、黒く艶めく殻を纏う。それが、彼女の”魔法”。
私達はゆっくりと中へと進む。なるべく音を立てないように。
しかし、建物の中には予想外の光景が広がっていた。
看守達は皆、床に転がっている。痛そうな呻き声をあげながら。
そして目の前に立つ一人の女性。灰色の髪を腰まで垂らし、薄汚れたローブ。髪の隙間から覗く黄色い瞳には、覚えがあった。
「あなたは……牢に来た人……」
彼女はこちらに目をやると、ふわりと微笑んだ。
「脱獄の必要は、なかっただろう?」
「あんたが、これを?」
床に転がる男達を顎で指し、レオが言う。
「そんなことを聞きに来たわけじゃないでしょう?」
灰色の髪を揺らしながら、彼女は廊下を指差した。
「牢はあっち。あぁ、マリアは知っているよね」
「あなたがこれをやったんでしょ」
「こんなに強いのなら、どうして」
「どうしてあの時、助けてくれなかったの!?」
「あなたならできたんじゃないの!? それなのに……」
「脱獄する必要はない、だなんて……」
止まらない。疑問が、怒りが、内側から溢れてしまう。
「あなたが助けてくれたなら、アネモネは……!」
あんなことをしなくて済んだのに。
彼女は左の耳に髪をかけた。軽く息を吐き、私を見る。
「アネモネがふさわしい」
彼女の目は、遥か遠くを見ているようだった。視線上の私を貫いて。
「生き物にとって、自分と違う存在は恐怖の対象なんだ」
「理解ができないから。何を考えているのか、何をしようとしてくるのか、そもそも何ができるのか」
「私達は、この床に転がっている”人間”達とは違う」
「彼らは私達が怖い。私達だって、彼らが怖い」
「お互いのために、住み分けが必要でしょう?」
「世界中にいる”同類”を、”魔女”を集めて、私達だけで暮らす」
「そんな場所が必要だ」
「君達がやっていたことだよ」
「それを、もっとずっと、大きくする。取り残されるモノが出ないように」
「そのための求心力、私達の”王”には……」
「アネモネがふさわしいんだ」
その両手を広げながら、彼女は語る。
「何でアネモネだ」
レオが言った。女はゆっくりと、レオに視線を移す。
「アネモネこそが、私達の起源だからさ」
「彼女がいたから、私達はいる」
悠々と述べる。聞いたレオは、興味なさげな顔をしている。
「あんたなりの理由はあんだな」
レオは私の腕を掴んだ。
「もういいだろ、牢に行こう」
言われて思い出す。私達は、牢にいる仲間を解放しに来たんだった。
「こいつも別に敵じゃない。今更喧嘩する理由はねぇよ」
吐き捨てるようなセリフで、レオはずかずかと廊下を進む。レオに連れられながら、私は振り返る。
灰色の髪の女は、目を細めて片手を振る。
それから、霧のようにどこかへ消えた。
「マリア! レオ!」
ポルックスが叫ぶ。私達二人は、牢のある部屋に辿り着いた。
そこで一つ思い出す。
「どうしようレオ、牢の鍵なんて持っていないわ!」
髪留めが外れたレオの髪は、オレンジ色に煌めいている。その隙間から、呆れとも、嘲りとも取れる瞳。
「律儀に開ける必要ねぇだろ。ぶち壊しゃいい」
そう言って、その右手を黒い殻で覆った。確かに、その方が効率的ね。
「お前、そうかリブラか! デカくなったな!」
牢にいた皆は、無事に解放できた。ポルックス、タウロさん、タウロさんの仲間が三人、そしてリブラ。
これで全員。もう大丈夫。
あとは……
「アネモネを止めないと」
私は皆に説明した。私達を助けるために、アネモネが力を振るっていることを。
「暴風で近付けもせず、声も届かないってことか」
ポルックスが腕を組んだ。
「私達が姿を見せれば、安心して止まるってことはない?」
「いや、俺がマリアを解放しても止まらなかった。多分、周りは見えていない」
タウロさんの提案にレオが答える。全員が、下を向いて押し黙った。
もういいのに。もう大丈夫なのに。それをアネモネに伝えるだけなのに。アネモネを止めるって、約束したのに。
——私は、何もできないの?
「……鐘は?」
口を開いたのはリブラだった。皆の視線が、彼に集中する。
「ほら、声が届かないなら、鐘の音ならどうかなって……」
鐘。この街の鐘の音を、私達は知っている。
この街を去る時に、リブラが鳴らしてくれた鐘。
「”波紋の鐘”なら……」
手をばたばたと動かしながら、リブラは私達を見回す。瞳に期待が灯る。
レオが前に出て、リブラの肩に腕を回した。
「でかしたリブラ! あの音、また聞かせてくれよ!」
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