第7話 命なりけりモン・サン・ミッシェル(後編)

 前回までのあらすじ:

 モン・サン・ミッシェルを訪れるツアーに参加した私。サン・ピエール教会までは皆と一緒だったのに?!



  *  *  *



 高いところへ行けば良いじゃない!

 みんなも山頂へ向かっているのだからどこかで合流できるはず。

 万が一、合流できないまま皆が先に下りてしまっても上から皆の居場所が見えるだろう。


 青空のもと、今いる道を上へ上へ向かった。坂の傾斜が強いが足取りは軽やかだ。

 丈の低い植え込みの緑と供えられた花が乾いた地面を彩る。


 やがて行き止まりになった。けれどまだあんなに上がある。引き返すしかないのかと思いながら当たりを見回すと。


 ここ、お墓じゃない!?


 どなたか存じませんが安らかに。

 と思いながら墓地の出口へ向かって下りる。

 メール・プラールのお墓もこの墓地にあるそうだが、どこなのか分からなかった。献花の絶えないのが彼女のお墓だと聞いたが、花が供えられたお墓はたくさんあった。

 教会の出入り口からグランド・リュ(メインストリート)に出た。

 急いで登らなくては。



 山頂の修道院の入口に辿り着いた。

 皆、ここに来ているはずだ。

 10ユーロの入場券を買って入る。


 間口の狭い店が密集する通りとはうって変わった巨大建造物。どちらも趣ある風景だが、いまは圧倒されるような感覚と開放感めいた感覚が同時にあった。

 ここでも合流できなかったらどうしよう、とも思った。

 

 モン・サン・ミッシェルの成り立ちを表す模型が並んでいる。

 岩山にお堂が建てられ、徐々に建物が大きくなる様子。じっくり見たいが……まずは急いで合流しなくては。

 旅先で、はぐれてはいけない。迷惑だし、焦りで景色も展示物も落ち着いて楽しめなくなってしまう。


 頂上の、「西のテラス」にみんながいた。

「はぐれちゃって、すみません」

近くにいた人に詫びると

「そうだったんですか」

はぐれたことに気づかれていなかった。

 思ったほど迷惑にならなくて済んだなら良かった(よくない)。


 眼下にはるばると灰色の干潟が広がっている。爽やかなような寂寞としたような不思議な光景。いや、この干潟が豊かな生態系を担っていることを思えば、寂しげなことはない。


 モン・サン・ミッシェルの建造物にも増築や修復によって異なる建築様式が併存する。

 この山頂にある修道院付属教会は、テラスから正面玄関を見ればロマネスク様式に見える。

 後ろに見える尖塔は、黄金の大天使ミカエル像を頂くフランボワイヤン様式。

 中に入るとゴシック様式の要素が強い。縦長の窓から差し込む日差しが眩しい。


「皆さん、これは誰だか分かりますか?」

 添乗員さんが尋ねたのは、これも大天使ミカエルの像だ。尖塔の頂点や、サン・ピエール教会のと比べて、ずっと古い時代のものらしい質素な印象。


 回廊に来た。中庭には夏らしく花壇の花が咲き誇る。石とガラスで出来ているかに見えた、この建物のなかに息づく命。それを囲んで、たくさんの細い柱がリズミカルに並ぶ。

 天井のあるところは、その天井は木造で船底型になっている。ヴァイキングの影響の名残りだ。船乗りにとって頑丈な造りといえば船底なのだ。


 その隣は食堂。壇上で聖書の朗読をする人以外は黙食。ステンドグラスの幾何学模様は窓ごとに違ってみんな良い。


 やがて見学の順路は裾野へ向かって下りて行く。壁にも大天使ミカエルのレリーフがあって素敵。

 「地下」と言われるが、干潟を歩きながら仰ぎ見た山上の建物と思うと妙な感じ。

 けれど、これは……まさにRPGを楽しみながら思い描いた地下迷宮ダンジョンだ。

 美しく神聖な地下迷宮ダンジョン

 ゲーム仲間に見せたい。

 実際に牢獄として利用されていた時代があったので、なかなかシャレにならない喩えだけれども。

 

 下の階へ行くほど、上階を支えるために、壁は厚く柱は太い部屋が多くなる傾向がある。


 高貴な身分の巡礼者を迎えるための「迎賓の間」。

 修道士の執務室であり写本を製作するための作業場だった「騎士の間」。

 亡くなった人々を弔う礼拝堂。

 休憩スペース「修道士の遊歩道」などがある。

 牢獄だった時代に物資を運ぶための大車輪もある。巨大な滑車で、複数の囚人が中に入って回すのだ。



 「騎士の間」と呼ばれる執務室は、聖ミカエル騎士団にちなんで名付けられたそうだが、実際に騎士団がこの部屋に集まったことはないとか。

 それでも後世の画家たちは、騎士がこの部屋で過ごす様子を描いてきた。ときには猟犬も一緒に。

 そういうこともあるだろう。


 たとえば、日本で創作された中世ヨーロッパ風ファンタジー作品とか、欧米の作品の侍や忍者の描き方とかが必ずしも史実に忠実でないのはよくある話で、フィクションと割り切った上で愛されたり違和感を抱かれたりしている。

 異文化受容のあり方のようで、じつは西洋人同士でもそういうのあるんだな。

 時代劇の時代考証の解像度がピンキリなのにも近いか。


 長い身廊のある「修道士の遊歩道」には、岩が露出しているところがあり、その岩はパワースポットと言われている。

 パワースポットの類はあまり信じていないけれど、今は信じたい。今この旅を楽しんでいる時点で、力を受け取っているように思えるからだ。

 岩に抱きついてみると、熱さが心地良い。日差しを浴びるこの島と繋がっているのだ。



 盛りだくさんのひとときを過ごしたが、外に出るとまだ日が高い。

 しかし集合時間までにグランド・リュを見ようとしても、時間がいくらあっても足りないのではないか。

 それなら行きに通らなかった道を歩いてみたい。外周をゆっくり歩いて降りてゆくことにした。

 ツアーの半分よりやや少ないくらいの人数がこのルートを選んだ。

 

 

 外側には干潟。風が爽やかだ。

 島の内側には、店をしまう様子が裏側から見えた。夕方にしまうのが早いのは、寺町によくあることなのだろうか。

 通りに面していない裏側を中庭にしている店や家も多く、やはり植木や花が綺麗だ。


 (当時は隠れた楽しみを見つけたようで、ただ喜んでいたが、いま思えばあのような中庭は外周から見られることを意識して手間をかけて整えられているのだろう。名所で生活するのも楽ではないな)


「夕べ、寒くなかったですか?」

 そう尋ねてきたのは、新婚旅行だというご夫婦の奥さんのほうだ。

「寒かったですよね。予備の毛布を使いました」

「そんなのあったんですか!」

「ええ、タンスの上に」

 気づかなかったのも無理はない。

 私がそれを見つけられたのは「地球の歩き方」に書いてあったことを思い出したからだ。ホテルの部屋のどこか(たいていタンスの中か周り)に予備の毛布が用意されている場合があると。

 でもふつうは知らない部屋のタンスを調べたりしない。

 こんなときもう少し気の利いた人なら

「でも、お二人なら暖かいでしょう」

なんて言うのかもしれない。


 広場についたら、また中途半端に時間が余っていた。

 カフェのショーウィンドウに並んだ色とりどりのマカロンは、改めて見ると掌より一回り大きい。日本のマクドナルドのいちばんシンプルなハンバーガーくらいだろうか?


 お土産屋さんに入った。間口が広くて建物の少し外まで品物が陳列されているところだ。

 観光名所の絵つきポーチや財布といった、どこの観光地にもありそうなお土産も、再び訪れるのは容易ではない外国と思えば、異国情緒豊かなお洒落アイテムに見えてくる。

 黒地に銀ラメで、モン・サン・ミッシェルが描かれたのや、エッフェル塔が描かれたのがある。地域性はかなりアバウトらしい。

 奥のほうに刀剣類もある。

 長剣は格好良いが持て余しそうだ。短剣ならバッグにも入るかな、と想像するが、どれが良いのか判断できない。けれど見ているだけでも楽しい。


 私が気に入った品物は、大天使ミカエルやこの島の遠景が中世風(近世風かも)の絵柄で描かれた、小さな四角い缶のサブレだ。

 これを買ったら所持アイテム欄がいっぱいになってしまったので、短剣のことは諦めがついた。

(サブレの缶はいま裁縫箱になっている)



 集合時間になると皆で橋を渡って路線バスに乗り、スーパーマーケットに近いバス停で下りた。


 母が悪夢を見るほど危機感を持っていたモン・サン・ミッシェルから、どうにか無事に生還した。





(まだまだモン・サン・ミッシェル編!)

(次回、MSMが見えるホテルの話に続く)

 



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