第6話 命なりけりモン・サン・ミッシェル(前編)
バスを下り、モン・サン・ミッシェルへの橋を歩いて渡る。
普段から本土と繋がっているようになってしまった浅瀬をもとに戻すための工事中だった。
これもまた今しか見られない光景だ。
さて、楽しみにしていた島内の散策……のまえに浜辺を歩く。
まずは岩場だ。凹凸が激しく、転んだらすごく痛そう。ツアーには年配の方も多いのにみんな歩くのが結構速くて焦った。
けれど意外にリズミカルに歩けるものだ。景色を見ながらも絶え間なく1、2歩先に足を置くところを考えていたように思う。足場も景色のうちだから当たり前なんだけど。
少し楽しくなってきた。
ビーチサンダルを買い直して正解だった。最初に買ったほうではこんなに安定して歩けなかっただろう。
やがて岩のないところに来た。
一面のなめらかな灰色の砂地、いや泥だ。
ガイドのイザベラさんは英語かフランス語で話していたが、添乗員さんが通訳してくれる。
この干潟は野鳥の生息域であること、そのため釣りは禁止されていること、環境のために清掃活動が行われたことなど。
なるほど、この泥に誰かの落とした釣り針でも埋まっていたら嫌だな。鳥が飲み込んだら命に関わるし、人間も浜歩きが出来なくなってしまうな、と思いながら歩いていた。
イザベラさんは立ち止まった。
「同じ場所にじっとしていると沈み始めます。
歩いていれば大丈夫」
続く皆も立ち止まったばかりだが、思わず足を動かした。
「では、もし干潟に膝まで埋まりかけてしまった場合に抜け出す方法を説明します」
なんと彼女は自ら膝まで埋まってみせた。
「落ち着いて、まず両手を地面につき、ゆっくりと片脚を泥から抜きます」
見るからに腕の力が要りそうな体勢でゆっくりとだが、片脚が泥から出てきた。
実際にはそこで落ちつきを保つのが難しいのでは。とはいえ、こうした事は知らないより知っているほうがずっと心強い。
「抜けた脚を地面につけます」
抜けたほうの脚を、脛やら足の甲やらまでベタっと地面につける。
「地面につく部分の表面積を広くすれば、沈みにくくなります」
そして、腕の力で前に進みながらもう一方の脚を抜いた。
イザベラさんは泥だらけだ。
いざというとき生死に関わるけれど、使わないで済むに越したことはない、そして聴衆の誰もたぶん一生使わないだろう知識を伝えるために、身体を張って泥まみれに。
その姿を見ていると、足先さえも泥につけまいとしてきた自分が随分つまらない人間に思えてきた。
干潟歩きなんて面倒くさいという気分は消えていた。楽しまなくちゃ損だ!
私はサンダルを脱いで片手に持ち、裸足で歩くことにした。
日本の一般的な砂浜(たとえば九十九里浜など)と比べて粒子が細かいそうだが、意外とぬめるような感覚ではなく、一歩ごとに足裏が心地良い。
足首まで埋まってみた写真もある。
私たちは島の周りを右回りに歩いている。左手側に広々とした干潟、右手側に岩場の上に聳える壁の対照的な景色がおもしろい。
ときどき立ち止まっては島を見上げて写真を撮った。
やがて干潟歩きも終点となる。
島の入り口の洗い場には人だかりが出来ていた。髪や肌の色はさまざまだ。水道水の蛇口の下で足を念入りに、サンダルを大雑把に洗う。それだけなのにみんな楽しそうだ。
そのうち私の番が来た。
洗い終わると、濡れたサンダルを履いて少し歩き、乾いた低い石垣に腰掛けてリュックからタオルとビニール袋を取り出す。袋のなかにはスニーカーと替えの靴下が入っている。すぐ後でビーチサンダルをしまう袋でもある。
青空と太陽の下、とても気分が良い。
足を拭いて靴下と靴を履く。それまでリュックの中にありながら強い日光で温まっていたが、足もとはカラッとして快適だ。
ここからは石畳に覆われた地上だ。
固く平らな地面に「地上」という実感がわく。
私たちは島の入り口をほんの少し歩いた所にある門をくぐった。
あるときは修道院、あるときは牢獄、あるときは要塞であったこの島に、ついに来た!
門をくぐってすぐに広場がある。
土産物店、マカロンを売っているカフェ、公衆トイレがある。
山頂への道は案外狭く、両側の店から趣ある看板がいくつも迫り出している。
「あとで自由時間がありますので安心してください」
という話だが、全部見るには時間が足りなさそうだと一目でわかる。
所狭しとお店が並ぶ細い坂道を上りながら両側を見れば、土産物店と飲食店が多い。たまにどちらにも当てはまらない施設がある。
誰が言ったか「江ノ島に似ている」。
やはりオムレツが名物だ。あと、土産物のラインナップのなかには、イラスト付きポーチや缶入りサブレといった定番グッズに混じって、厨二心もとい騎士道精神を誘う品々が見られる。
メール・プラールのお墓があるというサン・ピエール教会前に来た。
ジャンヌ・ダルクの像がある。というのも、大天使ミカエルの啓示を受けて戦いに身を投じた繋がりがあるからだ。彼女はこの場所に来たことはない。
私はいつの間にかツアーの列の先頭近くにいた。いまのうちに像の写真を撮ろうとしたが、ジャンヌの人気を思えば当然ながらその周りに人集りが出来ている。
人が写り込んでもイヤではないが、後でネットに上げたくなったら写った人の了承なしというわけにいかない。
人と話すことも像を撮ることも出来ないまま、ツアーの列が追いつき、みんなで教会に入る。
サン・ピエール教会は、素晴らしい名所であることは勿論だけれど、それ以上に地域の光とも言うべき美しい教会だ。
大天使ミカエル像の前で、
「この場所を訪れることが出来て幸せです。またいつか家族と来られたら素敵だと思います」
といったようなことを思いながら手を合わせた。
顔を上げると、周りに同じツアーの人たちがいない。
はぐれた?!
(次回、後編へ続く)
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