第25話 そのまま足を下ろして

 ローテンブルク市庁舎の塔の頂上は展望台になっている。そこまで幅の狭い階段が続き、体力にけっこうキツいが見晴らしは最高に良い、と話に聞いていた。

 私はその市庁舎にいる。

 趣ある立派な役所で、広々としている。3階までは。


 展望台のある塔は狭いため入場制限があるので、3階のホールの一画に回転バーがある。混み具合によってはここで待つのかもしれない。私が着いたときには他に人がおらずすぐに通れた。

 ここを境に時代が過去へ遡るかのように、雰囲気が変わる。


 その先は階段がとても長く狭い。幅だけでなく、足を置く段の奥行きも狭いのだ。

 建設当時の人々は体が小さかったのだろうか? そうでなくても、もとは兵士や警備員として動ける人だけが上り降りする塔だから、観光客に楽なはずがないのだ。

 息切れしてきた頃、若い男性が追いついてきたので道を譲った。彼は笑顔で会釈して通り過ぎて行った。この青年とは、もう一息で最上階という所で相手が下りてきてまたすれ違った。


 やっと最上階に着いた。この部屋も狭いが、登ってきた階段の幅よりだいぶマシだ。

 管理人さんがいる。ここで入場料を払うと展望台に上れるのだ。当時は現金払いのみ受付ていた。

 こんな所で釣り銭が不足したらどうするのだろう。3階で集金すればいいのに。それにしても管理人さんは恰幅が良い。展望台の出入口を通れるのだろうか……と、余計なお世話みたいなことを思った。


 最上階の部屋の床から展望台の出入口までの高低差は、大人の身長くらい。壁に固定された梯子で上り下りするのだ。

 この梯子について説明しておきたい。

 上は展望台の出入口から下はこの部屋の床まで、たぶん時代の流れと修復のために、統一性がない。決してロマネスクかゴシックかみたいな優雅な話ではなく……。


 壁土に硬い木の踏み板が幾段か設置されているのだ。手すりはない。


 展望台の出入口の両脇に金属の取手があり、梯子をつかう人が掴めるようになっている。その取手の周りにも、掴まれるところが無くはない。

 梯子のいちばん上から数段は、踏み板がしっかりしている。

 いちばん下の、床から数段は、舞台袖にあるような木の階段がしっかりと壁に固定されている。


 さて、その中間が曲者だ。爪先を浅く乗せるのがやっとのような木の踏板が、壁土に埋め込まれている。塔の外観は煉瓦造りだが、踏板を埋め込むところは土を固めてあるのだ。

 歴史あるこの街で、長年にわたって見張り役の市民や観光客が塔を上り下りしてきた。すり減った踏板の大きさにバラつきがあるばかりか、壁土もやや抉れている。そこだけ極小のボルダリング用ウォールみたいだ。

 すぐ横の壁に注意書きが貼り付けてある。


「梯子を上り下りするときは必ず梯子に向けてください」


 という意味の、英文と独文とイラスト付きで。日本語もあったかどうか(ありそうだ!)覚えていない。 日本語訳があったから意味が分かったのかもしれないが。

 イラストは、梯子を背にして降りようとした人が頭の重みでバランスを崩して転ぶ図と、正しい向きでちゃんと降りる人の対比だった。


 安全のための注意書きを、梯子を使う前に見える位置に掲示するのは合理的だ。

 しかし、梯子に背中を向けて降りることが何故「ありがちな間違い」と想定されているのか、そのときは全く分からなかった。

 難なく登って展望台に立った。登るときは問題ないのだ。


 展望台の見晴らしは素晴らしい。

 眼下に広がるオレンジ色の屋根の連なり。

 強い風が冷たいくらい涼しい。

 マリエン橋以来再び「ここから何か落としたら取り戻せない」と緊張しながら今度は「写ルンです」で景色を撮った。

 同じツアーの、娘さんがもうすぐ結婚するという母娘が展望台に登ってくると、また一緒に景色を見たり写真を撮りあったりした。


 白人女性が登ってきた。

 展望台は塔の先端をぐるりと囲むように設置されており、手摺りと壁の間は人がすれ違うのがやっとだ。4人は多い。

 彼女のせいというのではなく、そろそろ降りようかと思っていた頃合いだった。


 母娘連れのお母さんが一足先に、娘さんに荷物を預けて室内へ降りた。下で待機しているお母さんに、娘さんはしっかり手すりを掴んで室内に向かって身を屈め、二人分の荷物を手渡した。そして娘さんも身軽になって下りた。


 娘さんは私にも「荷物を持ちましょうか」と親切に声をかけてくださった。けれど、軽くないバッグを渡す時に身を乗り出すのは少し怖かったのと、持ってもらうと却って焦りそうなので、お気遣いありがとうと言ってお断りした。


 ところで、私は高所恐怖症ではないが、足場の不安定なところを歩くのはとても怖い……この梯子のことだ!

 上の金属の部分はともかく、問題はその下の踏板だ。

 壁土は抉れ踏板はすり減っているせいで、いま足を置いている段の。次の段はもっと抉れた壁の際にある。


 だから足をただ下ろすだけでなく少し前に出さなくてはならない。理屈はそうでも、自分の足の動きの延長線上にちゃんと踏板があるかどうか、踏むまで分からないのだ。


 一歩二歩と下りてきた。バッグが揺れるたびに、娘さんに荷物を預けなかったのを後悔した。

 さっきの白人女性が、

“Take your time. “ (焦らないで)

と言ってくれた。この人も私が下りるのを待っているのだろうけれど、優しいな。良い言葉だと思った。


 しかし、いちばん抉れた段をめがけて足を下ろしかけたところで、怖くて動けなくなってしまった。

 踏み外しても、手すりを離さなければ落差は半メートルもないだろう。なのにその落差が怖い。次の次の段からは普通に下りられそうなのに。


 ここで人の気持ちが分かった。


 おそらく、部屋の内側を向いて床が見えると安心するのだ。

 中には、床に向かって跳び下りようとする人もいたかもしれない。

 そこまで無謀でなくても、梯子段に背中やお尻をつけて、これから下りる踏板を手探りならぬ足探りするのはどうか。私はそうしようかと一瞬だけ思った。

 でもそれは安心なようでも安全ではない。

 きっと、やってしまった人々の血と涙と骨折の上にあの注意書きが出来たのだ。

 梯子に背中を向けてはダメだ。


「大丈夫よ。そのまま足を下ろして」

 さっきの母娘のお母さんの声だ。

 待っていてくださったことが有難い。

 申し訳なさもあったが、それより、もし転倒して怪我をしても同じツアーの誰にも気づかれないという事態はなくて済むという安心感が勝った。

 足を下ろした。踏板はそこにあった。


 床に下りたときの安堵感と言ったら!

 見守ってくださったお二人にめちゃくちゃ何度もありがとうと言った。さっきの白人女性は展望台にいてお話しできなかったが感謝した。

 無事に塔を降りることができた。

 

 市庁舎を出ると、母娘はテディベア専門店に向かった。

 私はべつのお土産屋さんに入った。

 酒好きの友人に蓋つきビアマグ。酒器を抱えたおじさんの形で、帽子が蓋になっている。

 あと、何だか分からないが、小さな可愛い缶ケースに何か入っているもの。母猫と2匹の仔猫の絵が描いてあり、絵に合わせて浅く凹凸がつけられている。

  

 レジで、流暢な英語を話す店員さんに

“Please.“ (英:ください)

“Do you need plastic bags?“

(英:ビニール袋はご入用ですか?)

“Bitte!“ (独:お願いします)

などとぐだぐだな話し方をした。


 時計台前で集合してからバスへ皆で歩く道すがら、画廊「ギャラリー・タケヤマ」(ローテンブルク在住の日本人画家・竹山榮一氏が営む)の前を通った。

 バスは行く。目的地は旅程の最後の宿泊地、ホッケンハイム。




(まだまだ続く!)



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