第9話 接吻
結局。
結末から言って、任務内容を聞く前に昼休みは終了した。
まるで、図ったように昼休みの終了のベルが鳴った。
終焉のベルみたいだった。
屋上で女子と会話するなんて産まれて初めてだったので、もう少し話していたいという願望は、叶わなかった。
まるで恋の終わりのようだ。
恋と呼べるのかは、分からない。こんな気持ちは初めてだから………。
そんなボクの気持ちを知ってか知らずか、鷹茶綾はチャイムを聞くなり、猛ダッシュで屋上から姿を消した。
ボクに声を掛けることもせずに、一心不乱に駆けて行った。
残されたボクは唖然としながら、彼女の後ろ姿を見送った。
多分、口があんぐり開いていたことは言うまでもない。
後日、分かったことだが、彼女は優等生キャラを演じている。人当たりが良く、イジメはしない。逆に助ける側。ゴミが落ちていたら拾うし、日直がサボった黒板の掃除も率先して片付ける。弱きを助け強きを挫くみたいな人物で、彼女が人気な理由はこれだった。ゆえに授業に許可なく遅刻するなど有り得ないのだ。彼女の中で模範的じゃない行動は許されないらしい。
ボクには理解出来ない世界線で生きているようだ。
他者に良く思われるということは、生き辛いとつくづく思う。
そんな裏側の位置に生きているボクは模範的生徒ではない。かといって不良でもない。
普通の人間と言いたいが、友達が1人もいない人間は普通と言ってはいけない。底辺だ。友達もいない人間は、普通にもなれない。地面に限りなく近い低層だ。だからボクは、授業に遅れようが関係ない。
優雅に教室へ戻るとしよう。
歩を進めようと考えたが、滅多に登ることのない屋上を堪能するのも悪くない。ここには、綺麗な景色と孤独なボクを抱きしめてくれる空が広がっている。
しかも無制限無料だ。
堪能するのは悪いことではない。
「ふぅ」
空気を吐きながら、屋上のフェンスに手を掛ける。
風化した薄い水色のフェンス。ところどころ塗装が剥げ、素地が見えて錆びている。フェンスが壊れても、まだ屋上の縁があるから落下はしない。フェンスに体当たりなんて、すれば話は別だが、ボクはそんな奇行をするわけがないので落下の心配はない。
しかし、高所恐怖症気味なので、腰は引けている。若干の足が竦む感じは否めない。
これでは屋上を独占して、堪能していることにならないので、遠くを見ることにする。
幾分か、震えも止まる。
いい景色だ。
ボクの通うこの
校舎の裏手に住む人達は長い坂を登って来ないと、この高校には辿り着けない。
逆に反対側は坂すら登らない。
地平線まで平地だ。
まるで陸に出来た崖のような所に高校がある立地だ。
だから見る風景が、180°変われば、ガラリと違う。
崖側はつまり校舎の裏側は、少し薄暗い。
林が多く、戸建てがポツポツと建っている。しかも屋敷みたいな古い家が多い。ボクは勝手に変人が住んでいると想像している。
逆に反対側は、新築住宅地が広がっており、何故か明るく感じる。
ボクの家もこっちの方面にある。学校の屋上程度の高さでは目視出来ないが、何故か自分の家の方向を見てしまうのは帰省本能がなせるワザなのかもしれない。
視線を空に向けた。
地平線の向こうに雨雲が見えた。
こちらに来るなら、雨が降るかもしれない。
傘は持っているので、降っても良いけど、帰りの雨は好きではない。
かといって、行きの雨も好きではないけど。どうやら、雨自体が好きではないと今、考えが行き着いた。
など、そんなどうでも良いことを考え、ボクもそろそろ教室に戻ろうとした時だった。
屋上の扉が開いた。
ゆっくりと寛ぎ過ぎた!
ピンチだ。
窮地だ。
先生だったら、確実に怒られる。下手をすれば停学とかも有り得るかもしれない。また母さんがうるさい。
言い訳を考えないと。
先生に怒られず、そしてボクも怒られずに済む方法は………。
うん。
無い。
空白だ。
もういい。怒られよう。命まで取られることはない。少しだけの不快感で済むなら、それでいい。
「あ! 先約がいましたかすみません」
「!?」
頭を深々と下げるその人物は、生徒だった。
しかも女子生徒だ。屋上でサボるなんて、ドラマみたいな人だ。
何も言わないのも変だから返答をしないと。
「ボクはもう教室に戻りますので、ここはあなたの独占ですよ」
はい?
ボクは何を言っているんだ。とち狂ったのか? 何、頭をぶつけたのか?
「ここはあなたの独占ですよ」だと? 頭がイカれたヤツのようなキザなセリフを吐いてしまった。しかも初対面の女子に。
しかも大人しい系の容姿の女子に。
ん?
良く見れば、上級生だ。
2年生みたいだ。
それに美人だ。
眼鏡をしていないのが、ボク的には惜しいところだけど、スタイルは抜群だ。
身長は高く、スラリとした立ち姿が美しい。指でなぞりたくなるラインだ。筆でなぞるのもいいかもしれない。名画を描くように、ゆっくりと滑らかに点と点を結びたくなる。それはもう夜空の星々だ。頂点と頂点を結ぶ星座のような尊さがある。星には手は届かないけど、この彼女には触れられる。そして容易に想像出来る柔らかさ。マシュマロなんてそんな低能な表現はしない。そう例えるなら、産まれたての赤ちゃん。柔らかく、か弱く、薄い膜の中に温かいスライムのような感触。彼女は高校生だから柔らかさは、赤ちゃんからすれば劣るだろうけど、気持ち良さそうな肌質をしている。
そして何より、目を釘付けにされるのは、あの胸だ。
なんだあの胸は。
ボクは小ぶりの胸が良いのだけど、彼女の胸は凶器だ。男性を狂気させる胸だ。まるでロケット。垂れることも無い、完璧で完全なる胸。第一印象が大人しいと表した自分を殴りたい。
彼女は全然、大人しいことなんて無い!
暴君だ。
暴走機関車だ。
「なんですか?」
停止時間が長かったみたいだ。
彼女は心配したのか、こちらを見ている。
顔も可愛い。
目が大きいが伏し目がち。笑えば、笑顔が似合うような口元。鼻は高く、モデルのような顔だ。そして何より顔が小さい。
反則級だ。
鷹茶綾も美人だったが、彼女は段違い。桁違い。世界違い。だった。
こんな美人が何故、噂になっていないんだ? ボクみたいなボッチには知らない情報網なのかもしれない。上級生ということで、ボクが知らないだけか?
「あの〜大丈夫ですか? 先生呼びますか?」
「大丈夫です。少しフワフワしていまして、なんか恋しちゃったみたいで」
「誰にですか?」
「あ!? ああ、その。えっと〜ですねぇ。あ、ああ! こっここ、この空にです」
「空にですか?」
「そそそっそうです」
なんだ? これ? もう死にたい。
意味不明過ぎる。とち狂うを超越し、バグだ。病毒因子に侵された電子基板だ。
女子と話す機会が少ないから、会話するだけで惚れるヤツだ。まるで童貞丸出しじゃないか。実際は童貞だけど。
ボクは低能だ。
愚かだ。
間抜けの王様だ。
ボクは鷹茶綾に恋心を抱いていたはずだったのに。
「自分的にも好きですよ。この空」
「本当ですか?」
「はい」
綺麗な笑顔だった。
肩に届くか、届かないかくらいの髪が揺れる。ボクの妄想かもしれないけど、彼女も頬を染めている。
これは! これは! 恋なのかもしれない!
鷹茶綾に感じた熱情が再来した。
よし! もうそうと分かれば、行くぞ!
男だったら、ここは聞くべきだ。
聞かないと男じゃない!
「あの〜」
「はい?」
もう声まで好きになったのか、愛らしく思えて来た。耳に触れる声が、弾けるようにボクの鼓動を早める。ただ、緊張ばかりではなく、心地良い。子供の頃、母さんが寝る前に読んでくれた物語を聞いているみたいに心穏やかだった。
よし。
大丈夫だ。聞こう。聞いてしまおうじゃないか。
「か、彼氏っておられるんですか?」
言ってしまった。
発言してしまった。
探ってしまった。
やってしまった。
やらかしてしまった。
あ〜穴があるなら入りたい。
無いなら、掘りたい。
彼女の顔を見れない。見るのが怖い。見てしまったら、全てが終わってしまう。今よ永遠に続け、続くんだ!
「どうして、そんなことを聞くんですか?」
顔が見れない。
どんな顔をしているんだろうか? 落胆? 興味? 軽蔑? 殺意? どんな表情をしているんだ? 事実上の告白をしている。鷹茶綾に対しては、色々な順番を飛ばしてしまった。好きという感情の前に責任を感じたからだ。ボクみたいなヤツが責任を取ることは出来ない。だから結婚ということが、責任を取ることだと考えた。
でも、今、目の前の彼女に対しては、本当に一目惚れだ。
ど、ど、どうすればいいんだ!?
「もう一度、聞きます。どうしてですか?」
「………空が好きと言ったので、彼氏がいるなら浮気ですよってことです」
あ〜。
死にたい。
下手くそ過ぎる。誤魔化しにもなっていない。
あ〜運良く、隕石がボクに堕ちればいいのに。
「面白い人ですね」
ボクは顔を上げた。
彼女は笑っている。
髪を押さえながら、空を見ていた。もう天使じゃないか? いやいやこの人は確実に天使だ。もうこの人が好きという気持ちは天使に魅了されたと同意だ。人間のボクが、天使様に勝てるはずもない。好きになるのは自然の摂理だ。
見れば分かる。
彼女は、綺麗で尊い。
彼女が学校に在籍していることは知らなかったが、この人が誰かの彼女になるのは嫌だ。ボク以外の男と楽しく話しているところを見たくない。
「あなたみたいな人がいるなら、学校も悪くないですね」
ん?
邪推になるが、不登校の人なのかもしれない。学校に毎日通っている人間が言う台詞ではない。だったら、ボクが知らないのも無理はない。彼女みたいな人が学校にいれば、必ず噂になって噂が噂を呼んで、芸能界入りしているはずだ。いや、もしかしたら、芸能人の可能性だってある。
芸能活動が忙しいから、学校に行けない。
これだ。
最もしっくり理由だ。
「芸能人なんですか?」
「違いますよ。自分的には、ちょっと学校に来れない事情がありまして、病気とかではないんですけど」
寂しげに笑ってくれた。
これはイジメだ。
病気ではない、でも学校に行けない理由。そんなのイジメだ。彼女をイジメているデブのボスみたいなヤンキーが存在するんだ。無駄に鎖とか、ブンブン振り回して、原チャリに乗って、スカートの長いヤンキーが彼女をイジメているんだ。昼休みは彼女に「パンを買ってこい」とか言って、彼女は毎回のことだから親の財布からお金を盗んで………。
しかも、彼女は顔とスタイルが良いから、変なおっさんとあんなことやそんなことまで強要させられて………。
最終的には遊び感覚で、背中にドラゴンのタトゥーなんて彫られて、ヤクザの世界に………。
もう許せない。
ボクの親は警察だ。
こういう時こそ、親の権力を使うべきだ。国家権力を存分に使ってやる!
「ボ、ボ、ボクで良ければ相談に乗りますよ?」
「……でも」
「大丈夫です。ボクの親は警察です。大概のことは解決しますよ」
「う〜ん。警察はちょっと………解決出来ないと思います」
まただ。
あの寂しげな顔だ。
1人で抱え込んでいるんだ。色々な人に相談しても、適当にあしらわれ、問題と1人で戦ってきたんだ。親にも相談出来ず、1人で解決しようとして、どんどん悪い方へ向かい、どうしようもないところまで来てしまったんだ。
この出会いは、運命だ。
ボクが救うんだ。
「話だけでも聞かせて貰えませんか?」
「初めて会った人に、相談なんて出来ませんよ。大丈夫。自分的に頑張れば良いんです」
まただ。
彼女は笑った。
そんな笑顔をする人が大丈夫なわけない。そんな悲しげに笑う人は、助けて欲しいと言えないからだ。
ここで、ボクが引き下がったら、彼女は救えない。
男として、引き下がらないぞ。
「大丈夫です。ボクは空を見に来ただけです。あなたの独り言をたまたま聞いただけです」
自分でも上手いと拍手をあげたい。
言いたいことを直接聞かず、たまたま聞いてしまったという形式にすることで話がしやすくなる。
「じゃ、驚かないで下さい」
「ボクは驚いたことない人間です」
「本当に面白い人ですね」
「よく言われます」
実際、言われたことはない。
友達がいないから。
「自分的には出来ないんですよ。キスが」
え?
ボク、普通に驚いている。
びっくりしている。
いきなりキスという単語が飛び出すとは思わなかった。
「間接キスも無理なんです」
つまり、彼氏以外の人間とは、キス出来ない。間接キスもやりたくない。これはヤンキーたちの遊び半分で、冴えない生徒に告白させて、付き合わせるっていうイジメの典型。
告白が成功したら、スマホで指示を飛ばし、キスしろとか言われているのか?
「変ですよね」
「変じゃないですよ。普通です。ボクもあなたの感覚と一緒です。彼女以外とはキスはしたくないし、間接キスもしたくないです。勿論、相手が美人でも、出来て手を握るくらいですよ」
「え?」
「え?」
あれ?
何、その顔、落胆したような顔は何? ボクは変なことを言った? やってしまったってやつなのか?
いやいや、そんなことはない。
いや、待てよ。
手を握るのも不味いのか? 普通は美人でも彼女じゃない人と手を握るのもNGというわけか!
あ〜やってしまった。
ボクは大馬鹿か。
普通に考えるな! 乙女心で考えれば直ぐに答えが出るだろうに! 家に帰って、少女コミックを読まないと。
「自分的に言いたいのはキスも出来ませんし、間接キスも出来ません。手を握ることも出来ないんです」
「はい。わかります」
ここは素直に同意しよう。
「人が触ったモノを触りたくないんです。だから空気中に漂うあなたが吐いた空気にも触れたくないんです。だって、それってあなたの吐いた空気に、唇が触れれば、キスしていることになるでしょ?」
「?」
どうしたんだ? ボクの理解が追い付かない。一時的な脳内障害が発生している。いやいや、落ち着こう。ボクは焦り過ぎている。彼女と親密になりたい余りに気が動転しているんだ。ちゃんと聞こう。
「えっと。ボクの吐いた息が何ですか? ちょっと聞き取れなかったです」
「あ〜すみません。自分的にはしっかり説明しているんですが、説明ベタで。簡単に言いますと、他者が触った物は全てバイ菌です。なので、他者の吐く息も病原菌です。自分的には、自分以外は全て気持ち悪いの対象なんですよ」
「………」
ボクの聴覚も、頭も正常だったみたいだ。
この人は、単に潔癖症の人だった。
しかも超が付く潔癖症だ。
多分、これ以上会話を続ければ、傷付くのはボクだ。
ボクは、項垂れるように屋上から去ることにした。
後ろの方で、彼女が叫んでいたが無視することにした。
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