猫になった魔王

一帆

第1話

 吾輩は魔王である。しかしだ。鏡に映る今の吾輩の姿はどうみても黒い小動物にしか見えない。吾輩は鏡に映る自分の姿をいらいらしながら眺める。


 ―― くそ。忌々しい。


 吾輩は鏡に『爆ぜろ』と呪いの言葉をかける。…… が、魔法は発動しない。ふんと後ろ足で鏡を蹴ると吾輩は歩き出す。バタンと鏡が倒れる音が後ろから聞こえた。


 ―― 吾輩の力の偉大さを思い知ったか!


 意気揚々と閉じ込めた部屋の中を歩く。


 魔女マーリンが『勇者ってイケボなのよおぉぉぉ』というくだらん理由で勇者側に寝返りさえしなければ、吾輩の勝利だったはずだ。それが、吾輩は猫になる呪いをかけられ異世界に飛ばされた……。 

 吾輩は舌打ちをすると、ぶうんと音を立てている氷冷箱の上に飛び乗った。この氷冷箱は開けると中からひんやり冷気が出てくる。まるで、氷属性の魔物だ。マーリンめ、今度、あったら、問答無用で裸のまま氷漬けにして見世物にしてやる。






 ピィ― ガチャリ


 吾輩は慌てて扉に向かった。あのピィという音がすると扉が開いて、ミサキが現れる。


 ―― ミサキは、こ、この部屋に来るときは貢物を持ってくるからな。

 ―― け、決して寂しかったわけではないぞ!


「ただいまぁ。クロ、お迎えにきてくれたの? ありがと。嬉しいな」


 ミサキは大きな荷物を床に置くと、吾輩を抱きかかえて頬ずりをした。むうっと油が酸化した臭いとわすれぐさに似た匂いが鼻を刺激する。吾輩は、逃げ出そうともがくが、ミサキの力に勝てない。


「みゃあ、みゃあ、みゃあ……」

 ―― 放せ!! 放せ!! その悪臭をどうにかしろ!!!


 ミサキはただの人間だから仕方ないことなのかもしれないが、吾輩の言葉はミサキには通じないのだ。吾輩は魔王であるから、ミサキの言っていることは理解できる。魔王城に戻れたら、まず、ミサキに言葉を教えなければならぬな。吾輩が現実逃避をしていると、ミサキが吾輩を抱く腕に力をいれる。


「バイト、やめてきたんだ。しょうがないよねぇ。コロナでお客さんも来なくなっちゃって、お店、大変なんだって」


 ミサキがふうっとため息をついた。


「それにさ、お店に行けば、ユウスケと顔を合わせなきゃだし……。彼、最近、新しい新人の子と付き合いだしたって噂もあって気まずくなっちゃって……」


 不意に、生暖かいものが吾輩の背中に落ちる。吾輩はそれが何か探ろうとミサキの方に顔をむける。原因は、ミサキの涙だった。吾輩はきゅうっと胸を締め付けられるような気持ちになる。


「みゃあ、みゃあ、みゃ、みゃ、みゃあぁぁ……」

 ―― お前の主は吾輩だ。吾輩以外のもので感情を揺らすな。


 ユウスケという名前の人間は、この部屋の主である吾輩に礼もせずに上がり込んだ挙句、吾輩をみて『きったね~猫』とほざいた。ミサキの愛人だったから、その時は腕を引っ搔いただけにしておいた。しかし、吾輩が魔王城にもどったら、酢漬けにして魔王城の裏門にさらしてやろうぞ。


「クロ、私のこと心配してくれるんだ。ありがと。……うん。大丈夫だよ」


 えへへとミサキが笑って、吾輩の背中をそっと撫ぜる。吾輩の喉が勝手にゴロゴロとなる。さっきの胸の痛みが消えて吾輩はほっとする。


「ま、嘆いても仕方ないからね。この際、おうち時間をクロと楽しんじゃおうって思って、いっぱい買ってきちゃった!! ほら」


 そう言って、ミサキはしゃがんで袋を開けた。吾輩はミサキの拘束から自由になって、ひとつ伸びをすると袋に鼻を近づけた。微かに魚の匂いがする。


―― おお、これは! 


 無意識に尻尾がピンとなる。


―― いかん、いかん、魚ごときでつられる吾輩ではない。


 猫の姿をしていると、猫の本能が吾輩の思考を超えることがある。吾輩は慌ててもぞもぞするが、ミサキはふふふと笑った。


「さすが、クロ、匂いでわかるんだ。これでね、美味しいものを作ってあげるね」






 なんだか、部屋の中がいい匂いがして、吾輩は匂いの元を探すべく歩き出した。台所(とミサキが命名した場所)でミサキが何かを煮ている。吾輩は、ひょいっとジャンプして、氷冷箱の上にあがる。ここからだと、ミサキが何をしているかわかるからだ。


「クロ、また冷蔵庫の上に登っていたのね」

「みゃあ」

「危ないからって言ったって、……そこ、クロのお気に入りの場所なんでしょ?」

「みゃあ!」

「……、まあ、いいか、……今ね、鶏手羽先を煮ているのよ。軟らかく煮て、手作りちゅーるを作ってあげるね。それから、夕ご飯はマグロでちょっと豪勢にするから楽しみにしててね。お店をやめる時にオーナーさんからちょっとだけ貰ったんだ。オーナーさんも大変なのに、私に気を使ってくれて……」


 ミサキは鍋を大きなしゃもじでかき混ぜている。大量の鳥の骨がゆらゆらと鍋の中で揺れている。


 ―― ミサキも実は魔女だったのか? 



「私ね、ほんとクロがいてよかったなぁって思ってんだ」

「みゃあ?」


 吾輩は、耳をたててミサキを見る。マーリンとは違ってミサキは我に忠誠を誓うということか? 吾輩は内心ほくそ笑んだ。


「お店をやめるかやめないか悩んでいた時にね、家の中にいるってことは、クロと一緒にいる時間が増えるんだって思ったんだ。だから、やめてもいいかなって」

「みゃあ?」

「クロのために編んであげようと思って買っておいた毛糸もそのままだし、クロが動きやすいように家具の配置を変えようと思っていたけどそのままだし……、そうやっていろんなことをそのままにしてきたから、神様が時間をくれたんじゃないかなって……。一度ゆっくり深呼吸をして、やりたいなと思っていたことをして暮らすのもいいかなって……」


 ミサキがしゃもじから手を離すと、吾輩の背を撫で始めた。


 優しい手。

 温かい手。


 吾輩の喉がゴロゴロなる。


 ―― いかん、いかん、このままではミサキに懐柔されてしまう。吾輩は冷徹な魔王だ! 


 吾輩は、毛をそばだてると、氷冷箱から飛び降りた。


「あれ? 怒っちゃった?」


 ミサキが悲し気な声をあげる。吾輩はあわてて、ミサキの足元に近づくと頭をミサキの足に擦りつける。


「みゃあ……」

 ―― …… 怒っていない。


「ふふ。クロって私の言葉がわかるみたいな行動をするよね? 

 ……クロ、大好きだよ」


 吾輩は、ミサキからさっと離れる。頭を低くして背を丸め、牙をむきながら「シャー」と威嚇する。


「ほんと、クロって大好きって言われると怒るよね。……ツンツン猫ちゃんだから仕方ないか。でも、このおうち時間でメロメロの骨抜き猫ちゃんにするから覚悟していてね!」



                        おしまい

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猫になった魔王 一帆 @kazuho21

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