第15話 人ごろしは

「見損なったわ、お父つぁん」

 こいとの声が尖った。

 気の強い箱入り娘だが、これまで父親に反抗したことはなかった。ゆえに主人はたじろいだ。

 無慚を庇い立てるように、彼の前に仁王立ちするこいとを見て、本間主人が思い至るところはひとつ。無慚になにを云われたッ、と娘に対して剣幕に怒鳴った。

 生を受けてから十六年。初めて父より怒鳴られたこいとは怯む。

「ヒ、……」

「無慚貴様、本気でうちのこいとを誑かしおって──うちの娘までころす気ィかッ」

「お父つぁん!」

「ええい五月蝿いッ。無慚、ゆるさんぞ。うちのこいとは貴様の手にはぜったいに渡すまい。ぜったいにや! こいと、おまえは説教やぞ。こっちへ来なさい。一刻もはよううちに帰るんや」

「い、イヤや。帰らへん!」

 と。

 こいとは意固地になって無慚の腕にすがり付いた。その様を見れば、本間主人はふたりの関係がいよいよただ事ではないと勘繰る。

 このままではいらぬ誤解を招く、と無慚はため息をつき、足元で毛を逆立てるコテツをひょいと拾い上げた。

「おい。勘違いするな、本間の」

「なにィ」

「誑かされたのはこの娘じゃねえ。おれさ。そんでもって誑かしたのは──娘でなくこっちの猫だ」

 無慚がこいとを身から離し、その腕のなかへコテツをおろす。

「コイツがあんまり懐っこく寄ってくるんで、かわいくてな。この娘にことわって方々を連れまわさせてもろうた。だからこの猫を返したら、おれとこの娘の縁はもう切れる」

「む、無慚さま──!」

「米屋の娘。威勢がいいのは結構だが、楯突く相手をまちがえるな。手前ェの立場ってものを考えな」

 といって、無慚はくるりと踵を返した。

 このままふなの店へゆくか、しかし殺人の嫌疑がかけられたままではふなにも迷惑がかかる。おのれの行く先はやはり、あの廃寺くらいのものか──と思案していたところ、ダンッと地面を踏み鳴らす音がした。

 おどろき振り返る。惣兵衛や三郎治も、吃驚した顔で無慚の背後に視線を向けている。

 地をならしたのはこいとだった。

「本間のこいとを、あんまし舐めたらアカンですよ無慚さま──」

「なに」

「こいとは楯突く相手を間違えてなどおりません。お父つぁん、皆々様」

 戸惑う無慚を押しのけて、こいとは自身の父親の前に立つ。

「一連の娘ごろしの下手人について、ホンマに無慚さまの仕業と思うてはるのやったら、その根拠となるものをいますぐこの場へお出しくださいまし。さあ。さあ!」

 詰め寄る。

 じつの娘に糾弾された本間主人は顔を真っ赤にして怒りに肩をふるわせ、壮年の男女はバツがわるそうに顔を見合わせる。こうなると、もはやここまで楯突いたこいとのいきおいは止まらない。

「先ほどの皆様のようすを見てこいとは確信いたしました。この町を脅かす人ごろしは──皆様や」

「なんやとッ。こいと、貴様じぶんがなにを言うてるかわかっとんか! 実の父に向かって人ごろし呼ばわりなど──」

「もちろん下手人はべつにおりましょう。ほんでも、人をさんざ罵りいたぶって人心を傷つける──その報いが、皆様の娘はんに振りかかったんや!」

「ええ加減にせえ。黙らんか!」

「いいえ黙るものかッ。こいとはいままでお父つぁんはすばらしいお人やと思うてました。でも、それはまちがいやった。商売はうまいかもしれんけどお人はとんでもない鬼やった。自身がりっぱな人間でもないくせに、えらそうにどの口が正義を説きましょうや。人となりで見るならば、皆様がさんざ謗る無慚さまのほうがよほど出来たお人やッ」

 いきおいに任せてさけんだこいとは、双眸から泪をこぼす。

 その泪の意味は、きっと単純なものではあるまい。これまで絶対的存在であった実父への失望、箱入り娘ゆえ触れてこなかったであろう人間の悪意に対する恐怖。いろんな感情が綯い交ぜとなり、こいとの瞳からあふれ出る。

 娘の絶叫を聞いた父は、とうとう堪えきれなくなったらしい。

 腕を振り上げた。こいとがぎゅっと目をつぶる。しかしその腕が振り下ろされることはなかった。おそるおそる目を開けると、無慚が本間主人の腕をつかんでいた。

「は、離せッ」

「さきのことばを訂正しよう。……たしかに初めは、猫に誑かされたのだがね。いまの娘のことばにはちょっと胸を打たれたよ」

「無慚……おのれ」

「おれだって、言われずともこんな町からはさっさと退散してえのサ。岡部のクソから話を受けたときだって乗り気じゃァなかった。ころされた娘たちの親もそろってくそ野郎だしよ。けど──親がくそ野郎だろうがそんなことァころされた娘たちにゃ関係ねえ。ただ、あんまり無念じゃねえか」

 無慚はゆっくりと主人の腕から手を離す。

 網代笠をぐいと持ち上げ、岡部、惣兵衛、ふなの順に目線を滑らし、さいごに無慚を謗っていた大人たちへと視線をもどした。

「あんたらの言うとおり、おれは昔に間違いを犯したよ。おんなをひとりこの手でころした。その罪はだれに言われずともおれが一生背負ってゆくつもりだ。此度の一件もまた、せめてもの弔いのひとつだよ」

「無慚様──」こいとが喉を詰まらせる。

「ゆえに手前ェらがなんと言おうが、おれはまだこの町から出る気はねえ。下手人をひっ捕らえるまではな。……それがよほど嫌なら、いっそおれをくんな」

 と、無慚は口角をあげてくるりと踵を返した。

 背後に揃うは、岡部、惣兵衛、ふな、三郎治──こいと。無慚はいっしゅんこいとを見下ろした。こいとは肩をこわばらせ、胸の前で手を握りしめている。先ほど、父親が腕を振り上げたときの緊張がいまだ解けていないらしい。

 仲間のもとへ一歩踏み出しがてら、無慚は通り過ぎざま、こいとの頭を乱暴に撫でくった。

 ぐしゃぐしゃに乱れた島田髷はひどい有様だが、しかし撫でられたこいとの瞳はキラキラと輝いて無慚の背中から離れない。胸が、跳ねている。以前三郎治のときに感じたよりも速く、強く。頬に熱が集まるのを感じてこいとはあわてておのれの両頬をばちりと叩いた。

 いつの間に地上におりたか。コテツはこいとを見上げ、にゃあとひと鳴きすると、さっさと無慚のあとを追う。どうやら彼はまだ無慚から離れる気はないらしい。

 こいとは父の顔を見た。

 まるで無慚を見るような目つきで、睨まれる。周囲の野次馬もぶつぶつと文句をつぶやきながら解散してゆく。先ほど無慚の胸ぐらをつかんでいた壮年の男女もまたしかり。彼らはいまだに納得がいかぬか、無慚たちのうしろ姿をしばし睨みつけたが、しかし野次を飛ばすようなことはしなかった。

 すこしはこいとの訴えが聞き届けられたのだろうか──。

「こいと」

「は、はいお父つぁん」

「父に失望したと言うたな。ほんならもう帰ってこんでよろしい。殺人鬼と仲良うしてころされてしまえ」

「…………」

「と、言うてしまえたらいっそ清々しいやろな」

「え?」

「なにを言われようと、おまえはわしの娘や。娘っちゅうのは宝なんや。店にありったけため込んだ財産よりも何よりも──わしにとっちゃ大事なもんや」

「お父つぁん──」

「遅うまでふらふらせんと、はよう帰ってこい。いま物騒やからな」

「……はい」

 こいとは涙をこらえてうなずいた。

 背後で、こいとを呼ぶ声がする。ふり返ると三郎治がにっこりわらって手を招いている。こいとの胸は弾んだ。もちろん三郎治の笑顔を受けてということもあるが、なにより三郎治のうしろ、無慚までもがこちらを見て微笑んでいたからである。

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