第16話 情報精査

 話を聞こうか、と。

 団子屋のひと座敷を占領した無慚が、一同を見まわす。コテツはふたたび無慚のふところに落ち着いた。ふなが人数分の茶と茶請けを運んでくる。だれの払いだと岡部が問うと、無慚は「おめえさんに決まっとろう」と形のよい頭を撫でた。

「そもそも同心さまがしっかりしてりゃあ、こんな場は設けなかったんだからな」

「なんやと。それとこれとは──」

「いやあね曾良はん、おふなからの心付けや」

「やいおふな。おめえがそやって甘やかすから、こうも不遜な人間が出来上がっちまったんだぞ」

「それはアンタも含まれとんのやろね。無慚」

「おれは、もともとこうだよ」

 ククッと肩を揺らす。


 第一報告者は、こいと。

 先ほどからめっきり口数の減った三郎治に代わり、野田村一の色男弥市より聞いた話を事細かに報告する。

 その折、

「おけいちゃんは、そのう。弥市はんが言わはるには鬼まら? を、みこすり? の放蕩娘やったて」

 と口にしたこいとを前に、無慚と惣兵衛が同時に茶を吹き出した。ゲホ、ゴホ、とはげしく咳き込み、ふたりして胸をおさえて座敷に転がる始末。

 一方のこいとは目をまん丸に見ひらくばかり。意味を理解していない。おもわず無反応の岡部へ顔を向ける。すると彼は無反応どころか真っ赤な顔で眉をつりあげ、おもむろに三郎治の頭を小突いた。

「イデッ」

「うつけものッ。そういう話を斯様なおなごに話させるとはどういう了見じゃっ」

「ア、あ──。嗚呼、その」

 三郎治は目を白黒させる。

 よほど岡部の鉄拳が効いたらしい。彼は恥ずかしそうに眉を下げ、こいとに謝罪した。こちらもまた、一同の反応を受けてようやく、自身の発したことばが良くないものだと気が付いた。こいとは頬を真っ赤にしてうつむく。

 ひとしきりのたうち回った惣兵衛が、ゆっくりと身を起こした。

「はぁたまげた。いまのを本間の旦那が聞いたら、いよいよ殺されよったかもわからんな。無慚」

「おれのせいじゃあねえだろう!」

 という無慚の顔は薄ら笑いが浮かぶ。

 気を取り直し、こいとに代わって三郎治が話をつづけた。先ほどまでのだんまりが嘘のように、弥市からの話を簡潔にまとめる。

 なるほど、と無慚が腕組みをした。

「おけいは火遊び好きゆえ、飛び火した可能性もあろうが、とみ子はようもわからんな。狙われる理由もとくになし。一連のころしに男が関わっておるとして、その影も見えん──」

「やはり無差別か」

「けれど」

 こいとが身を乗り出した。

「とみ子ちゃんが狙われる理由として、弥市はんはとみ子ちゃんのお母様をあげました。口達者で敵は多いて」

「ま、さっきの見らァわからあ」

 無慚は口を歪めてわらう。

 さっき、とは往来で胸ぐらを掴まれたことである。あの男女は第一被害者の父と、第三被害者の母だった。こいとは怒りをあらわにする。

「せや。さっき無慚さまの胸ぐら掴んではったあのヒト。口汚く無慚さまを罵った!」

「──あの女は昔ッからああだぜ。なあ、惣兵衛」

「せやな。人を侮蔑するんが得意なお人や。俺もあん人は昔から好かんやった。それをいうならもうひとりの男の方もやで。あれってたしか水茶屋の主人やろ、おけいの父親。──」

「おうよ。本間の親爺が徒党を組んでやって来やがったのよ。おれが娘たちをころしたんじゃねえかと、な」

 無慚の目がこいとを見る。

 ホンマに堪忍どす、とこいとはたちまち肩を縮めてうつむいた。

「あとでお父つぁんに言い聞かせておきます」

「もういい。それより次だ、──」

 と。

 無慚は岡部と惣兵衛を交互に見た。

「そういや、なんだって惣兵衛が居やがるのか知らねえが、そちらの同心さまに伴ってここに来たってこたァなにかしら調べてきたんだろね」

 もちろん、と岡部が殊の外胸を張る。

「昼ごろに花街へ出向き、二人目の娘について話を聞いてきた」

「なに花街。お前が? ひとりで?」

「偶然行き会うた惣兵衛も巻き込んだのだ」

「ワハハハハ! そうだろうそうだろう、テメーのような青ッ尻がひとりで花街なぞ、天地がひっくり返っても無理だぜ。だーからあの頃、世話焼かれとるうちに筆下ろしちまやぁ良かったのに」

「ぶ、無礼者ッ。筆下ろしぐらい済んどるわッ」

 『筆下ろし』のところをちいさくすぼめて、岡部は頬を染めた。まるで生娘のような友人に、無惨はしばらく声をたててわらう。

 惣兵衛が憐れみの目を岡部に向けた。

「おう惣兵衛、あとで花街でのようす聞かせてくんな。さぞ落ち着きなかったにちがいない」

「なんの、立派なもんやったで。長浜の世話役してはった鶴吉はんの情を慮って、しっかりお悔やみしとったもん。なあ兄貴」

「ぐ、」

「なに。コイツが人の情を慮るだと。──なるほど、おれの居ぬ間に貴様もちったァおとなになったということかな。いやこれは失敬」

「このォ。どこまで人を馬鹿に──!」

「いや馬鹿になんかしちゃねえよ。むしろ、惣兵衛のうつけをおれの前に引っ張り出したのは、褒めてやらなきゃ」

 とつぜん無慚は意地のわるい顔をした。

 突如話題に上り、惣兵衛が焦る。自分が無慚の前に顔を出すだけで、なぜ褒められることなのかと顔をこわばらせる。

 ひきつる顔がよほど可笑しいか。

 無慚はハハッと無邪気にわらって、惣兵衛の肩を小突いた。

「このうつけもン」

「なんや。藪から棒に」

「気遣い屋もたいがいにしやがれ。バカめ」

 声色は拗ねている。

 その意を問う間もなく、無慚は岡部に報告を促した。惣兵衛は会話を押し切ることかなわず、心中宙ぶらりんのまま、岡部を見る。が、このちいさき兄貴分はその視線を無視して報告をはじめた。

 声色から心なしか上機嫌なのがうかがえる。

 

 第二報告者は、岡部。

 惣兵衛とともに花街へ乗り込み調べたるは、九郎右衛門町芸妓長浜──男に翻弄された哀れな娘の事。牛太郎鶴吉の悔恨と長浜の身に起こりし無念な顛末をおもえば、座は重苦しく静謐になる。

 ひとしきりの報告が終わる。

 男については、と惣兵衛は柔らかい声色で補足した。

「影も形も見えてこおへんやった。けど、長浜があの花街のなかで愛されてはったんは間違いないないやろなァ。ホンマに可哀想な話やった」

「鶴吉どのの無念は図り知れぬ。かならずやこの手で捕らえたいものだ」

 岡部が拳を握る。

 ふーん、と無慚は壁に頭をもたげた。

「……長浜の親はどうしてる」

「父親は知らへん。母親はとっくに年季明けて嫁にいかはったみたいや。近江の豪商──玉の輿やと」

「こっちの親は問題なさそうだな。ならばいよいよ分からんぞ、長浜も聞くかぎりでは狙われるような理由もあんめえ」

「長浜が執心しておったという男、その尻尾さえ掴めればええのだ。十中八九その男がころしの犯人なのだから」

 けったいな話、と端から聞くふながぼやく。

「娘はんのことなんやと思てん、そいつ!」

「せやなぁ。男に苦労した姉さんらを見てきた長浜は、たいそう男には慎重やったそうやねん。ほんでもその長浜さえぞっこんになってもうた──よほどのええ男みたいやな」

 と茶をすする惣兵衛。

 バカヤロウ、と無慚はまた不機嫌につぶやいた。

「『いい男』がこの町のどこに居る。おれからすりゃあ、ほとんどの野郎はどうしょうもねえ糞野郎ばかりだ」

「それは、ううん──」

「なんや無慚。貴様我々のことも糞野郎と申すか!」

「ハッ。偏屈爺に小胆男、泰吉なんぞは鼻垂れ農夫ときた。どこがいい男だ、アァ?」

「おや無慚」ふなの声が尖る。

「うちの亭主はええ男やったで」

「それを言うならうちの和尚だってわるかァねえ男だったよ。死人の話したって仕様がねえや。ったく、嫌われ者は世に憚るとはよく言ったもんだが──ろくでもねえ人間ばかり長生きしやがる。……」

 無慚はゆっくり顔をあげる。

 その双眸が目前に座る三郎治をとらえた。

「あと思いつくいい男と言ったら──あそこの蕎麦屋の主人か、お前さんくらいのものだな。三郎治」

 とからかい混じりの笑みを浮かべて。

 三郎治はそんなぁ、と声をあげた。同時に無慚が弾けるようにわらう。つられて惣兵衛とふなもケタケタとわらった。座が和む。が、

 待て待て。

 と岡部が挙手をする。

「蕎麦屋の主人とは、昨日貴様と食いにいったあそこのことか」

「ああ。無愛想だが、話してみらァこれがなかなかいい男だった。ふむ、ならば今度はおれから報告しようかね。──」


 無慚の報告は簡素なものである。

 天満宮のそこかしこに埋められた動物の死骸のこと、野良猫を例の蕎麦屋主人のところへ避難させたこと、それともうひとつ。

 鳥獣草木がうたう曾根崎心中──。


「歌も多きにあの歌を、時こそあれ今宵しも、うたふは誰そや、聞くはわれ。過ぎにし人もわれわれも。一つ思ひと縋がりつき、声も惜まず泣きゐたり──」


 無慚の声はよく響く。

 うっとり聞き惚れるこいとと三郎治。それと対照的に凍りつくは惣兵衛である。まさか、無慚の口からふたたびその語りを聞きしに及ぶとは。おのれの咎を反芻せずにはおれぬ──とうつむいた。

 が、岡部は冷静である。

「貴様はその語りで思いつくことはないか」

「さて。報告を聞くまでは、あるわけなかろうと一蹴していたところだが、どうやらそうとも──」

 無慚は閉口した。

 それから「おっといけねえ」と立ち上がり、座を見渡す。

「もうこんな時分か。やい岡部、このガキどもを二匹送ってやれ。聞くとおりいまは物騒だからな」

「な、なんや。送るのは一向構わんが、含んだ物言いで終わらせよって。はっきりせんか」

「なに、拙僧の考えすぎかもしれねえ。そこの答え合わせは、一度草木どもに聞いてみらァ。いいな、しっかり送り届けろよ。それと惣兵衛」

「あい?」

「貴様は」

 と、一瞬口ごもり、壁に立てかけていた網代笠を深くかぶった。

「ちとおれについてこい。手を貸してもらおう」

「なんや。俺はまだ帰ったらアカンのんか」

「あたり前ェだろう。ついでにあの鼻垂れ農夫も呼び出しな。場所は天満天神」

 荷車も持ってこいと言っておけ。

 無慚はゾッとするほど蒼白い顔で、つぶやいた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る