第14話 味方

 聴力を失った左耳にいつからか声が届くようになったという。初めは周囲の雑踏か何かかとおもったが、どうも自分に話しかけていると気が付いた。森へ入れば木々が語りかけ、鳥獣は自分の名を呼びなつっこく寄りくる。いまも、山の木々が根を通して見たことを伝達してきたのだ、とも。

「もしや哀しみのあまりに気でも触れたか」

 惣兵衛と曾良はうたがったが、泰吉はそういうこともあるかもしれないと楽観的に捉えた。彼のいうとおり、無慚はあくまで冷静であったし、なにより言うことすべてがピタリと当たるのだ。本来ならば知り得るはずのないことでさえも、である。

 そんなわけで、無慚は事件後より山に篭り、見舞いに訪れる友人や若者衆にあこがれる子どもたちの探しものや困り事を、特異な力にて解決するだけの慎ましやかな生活を送っていたのだが、これがよくなかった。

 せっかく町人たちの関心が逸れた矢先、どこから漏れ出たか、

 『かの男、人ならざるものの声聴くことあり』

 などといううわさ話が広まり、ふたたび世間の注目するところとなってしまう。

 初めは子どもたちの親が。すこし時が経つと、以前に無慚を蔑み唾を吐いた町人たちもが『噂』の真偽をたしかめるべく、寺へと押しかけたのである。

 しかし無慚も聖人ではない。

 自分を散々いたぶった人間のために、この特異な力を使うつもりなど毛頭なかった。依頼を断られるたび、町人は利己的な正義を振りかざし「罪つぐないのため人の役に立て」と声を荒げた。

 無慚は人間たちの自分勝手な物言いにあきれ果てた。

 ある日、頭を丸めた僧侶のすがたでふなの店にやってきた。手には錫杖と網代笠、すこしやつれた顔には微笑を浮かべて。

「どうしたん、アンタその恰好──」

 ふなはあわてて彼の肩をつかんだ。

 彼はぐっと頭を下げて「御厄介になりました」と柄にもないことばをふなに告げた。

「まさか町から出ていかはる気ィなん」

「うん」

「和尚さまは」

「好きにせえと」

「お仲間には?」

「岡部には夕べ」

「でも」

「和尚が死にそうなったら、また来る」

「そないなもんどうやって知るのん!」

「風がうわさを届けてくれよる」

「アンタ──」

「おふな、どうか達者で」

「…………」

 若き僧侶は再度深く頭を垂れて、そのまま町からすがたを消した。

 

 ────。

 惣兵衛の話は終わった。

 聞き終えたこいとは、沈痛な面持ちでうつむく。三郎治はもとより知る話だ。じっと黙りこくったまま動かない。

 あれから十年、とふながほほ笑む。

「不思議なもんで数年前、ホンマに和尚さまが危篤になろうって頃に帰って来はってな。喪中のあいだはしばらくおったけど、そのあいだ惣兵衛はんは会わへんかったん?」

 ふなは茶をぐっと飲み干した。

 以前、無慚がこの町の近くに帰ってきたことは、惣兵衛も岡部から内密に聞いていた。そのときはもちろん会いたいと思ったが、会ってよいものかと悩んだ末に、意気地がなくて会えなかったのである。

 あの日。

 自分が無慚を死の淵から助けてしまった。そのまま死なせてやれば、いまごろ愛しき女と輪廻の道を通っていたかもしれない。あれほど心身を痛め付けられることもなかった──。

 それが負い目となっていまも惣兵衛を苦しめる。ゆえにいまも、無慚と顔を合わせることが恐怖でならないのである。

 惣兵衛はフッと口角をあげた。

「会うてへんなあ──俺の顔見たら、無慚は嫌がるやろ思て。わざと会わんでやったんよ」

「フン、よう言わはる。お前のことだ、どうせ昔のことを気にしてウジウジしとったんやろ」

「イヤイヤ。あの日から無慚のヤツ、俺の顔見てめっちゃイヤそうな顔しててんやんか。知らんやろ」

「貴様は昔ッからいらんことに気を回しすぎるきらいがある。あの阿呆を気遣うだけ無駄なこと、自業自得ということばを知らんのか」

「そう言われてもなあ」

「いいか。あの道を選んだのは無慚やぞ。町衆にやんやと言われたんも、もともとあやつのふだんのおこないがわるかったからや。あの日、ヤツがお前に助けられたのは、お前にとってヤツが助くるに値する友やったちゅうことや」

「…………」

「おのれの行動によって他人の人生が変わったかもしれん──という後悔は、とんだうぬぼれや。無慚かてそれは分かっとる。つまりけっきょくのところ」

 自業自得なのだ──と。

 岡部が憮然とした表情で言いきった直後、店に駆け込む影があった。それは暖簾も当たらぬほどちいさな珍客。黒猫だ。

 コテツ、とこいとが立ち上がる。

「おまえだけ? 無慚さまは──」

「なんやようすがおかしいぞ」

 と、岡部が黒猫に近寄った。

 するとコテツはふたたび踵を返すと、ちらと岡部を一瞥して駆け出した。ついてこい、と言わんばかりに。その意図をいち早く察したこいとは、コテツのあとを追って駆け出した。

 それにつづき、惣兵衛、三郎治も駆け出す。一歩出遅れた岡部は困惑した顔でふなを見た。彼女は吃ッと岡部をにらみつけ、

「はよ行きんさい」

 と叱咤する。

 岡部はしぶしぶ駆け出した。

 

 店を出てから三間ほどの道に、其れは起きていた。無慚の胸ぐらを掴む壮年の男と女、その一歩うしろにはでっぷりと肥った男が腕組みして傍観している。

「アンタがッ。アンタがころしたんやな、うちの娘!」

「せやっ。この悪夢はすべて、コイツが帰ってきよってから始まったんや。このヒトゴロシ!」

 胸ぐらを掴む男女が剣幕にさけぶ。

 言われるがまま動かぬ無慚は、網代笠を深くかぶっており、その表情はうかがい知れぬ。しかしわずかに見える口もとにはかすかに笑みが浮かぶ。嘲笑であろうか。

 駆けつけたこいとがさけんだ。

「お父つぁん!」

「おっ、こいと。気ィ付けェ、こいつやったんや。こン男がここ連日の娘をころした野郎なんや!」

 と。

 肥えた男が、唾を撒き散らす。

 そのことばが町中に轟くや、周辺の店からひょっこりと野次馬どもが顔を出した。みな訝しげな顔で無慚をにらみつけている。

 いったいどうしたことだ、と岡部が声を張った。奉行所だ通せ通せ、とここぞとばかりに権威をふるう。

「本間の旦那。これはいったい何事ですか」

「チッ。岡部のガキか、一丁前に役人気取りとはのう。そういや貴様もこン男と親しかったやろ。コイツの仲間ちゃうんか」

「そもそも、なにゆえ無慚が下手人と?」

「コイツがこっちに帰ってきよってから、娘たちが死にはじめたんや。いつもならばさっさとこの町から逃げてゆくこの破戒僧が、いまだ此処に留まっとるのがその証拠やがな!」

「いや。イヤイヤ本間の旦那、それはちがう。無慚を引き留めておるのはこの岡部である。此度の事件、あまりにも下手人の影が見えぬゆえ、無慚の力も借りたいと無理を言うて留まってもろうたんや」

「こないな男の力なぞ借りなければ、ころしひとつも解決出来んのかお役人は! まったく態度ばかり偉そうに育って、結局は木偶の坊か」

「…………」

 岡部が唖然として口ごもる。

 代わりに反論したのはこいとだった。

「お父つぁんよして、みっともない!」

「おい、そういやこいとはなぜそんなのとつるんどるんや。はよこっちに──オイまさか、無慚。貴様うちの娘までも手にかけると言うか! エッ」

「きっとそうや。新たな女探して、またあのときとおんなしようにころす気ィなんや──」

「オオ怖い」

「まるで死神やな」

 と。

 周囲の野次馬からも声があがる。それを満足げに聞き浸る本間主人の胸ぐらが、突然掴まれた。直後、鈍い音とともに主人の巨体は二間ほどすっ飛んだ。

 突然のことに一同が目を丸くする。

 これまでピクリとも動かなんだ無慚も、おもわず網代笠をくいとあげた。その目が見つめる先は、惣兵衛。

 その細腕でいったいどうしたのか、惣兵衛は無言で本間主人を殴り飛ばしたのである。

 オオ、と無慚はうなった。

「やるな惣兵衛」

「──暴力は嫌いやねん。けどなぁ、こうもチクチク堪忍袋の緒ォ傷つけられると、仏の惣兵衛もさすがに黙ってられへんちゅうか。……」

「仏がキレるときがいちばん怖ェやな」

 クックッ、と無慚は肩を揺らす。

 これまで無慚の胸ぐらを掴んでいた男女は、あわてて本間主人に駆け寄った。周囲の野次馬も気まずそうにヒソヒソと顔を寄せ合う。

 惣兵衛は町で、人当たりが良く柔和で優しい、と評判の好青年である。その男が人を殴るなど──と、戸惑っているらしい。

 案の定惣兵衛は、

「すまんな」

 とあやまった。

「こいとちゃんのお父上、殴ってもた」

「いえ。惣兵衛はんがやらへんやったら、わたしがやってたかも。おおきにどす」

 こいとも、尋常じゃなく怒っている。 

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