おうち時間は来ない

乃木ちひろ

おうち時間は来ない

 今日もまた、新型コロナ陽性患者が救急搬送されてきた。

 ここは地方都市の郊外にある総合病院。地域のために四床のコロナ専門病床を整備しているが、常に埋まっている。


「新山君、悪いんだけど明日夜勤入れるかしら? 坂元さんの代わりをお願いしたいのよ」

 駿シュンが「大丈夫です」と答えると、看護師長は「ありがとう」と去っていく。


 ちなみに明日である。


 新型コロナ患者はたった四名だが、処置や介助にかかる人足は二倍、三倍だ。しかし地方の小さな病院では、そう簡単に看護師は集まらない。

 それでも地域に貢献しなければならない。医療の道を志したからには、こういう時こそ人の役に立ちたい。人を助けたい。


 だから全員、懸命に働いている。遅番の勤務終了後、わずか九時間後に早番勤務開始という無茶なシフトも、文句を言いながらこなしている。

 院長は臨時ボーナスで全員に五万円を支給してくれた。給与を減らされた病院もあるとニュースになっているから、職場環境は恵まれている方だと思う。


「けどさ、それだけじゃもう続かないよ」

 夜勤明け、帰宅してビデオ通話の相手は妻だ。住んでいるのは病院が借り上げているウィークリーマンション。購入したばかりの自宅には妻と八か月の子供がいるので、感染リスクを考えて単身赴任生活を選択している。


「坂元さんも限界まで頑張った結果、うつになって辞めちゃったし、田村さんも年度末で辞めるって。どんどん人減ってて大丈夫なのかな」

 同じく看護師の妻とは職場結婚なので、説明抜きに話は通じる。


「私もそう思うけどさ、でもこんな時なのに何もできないのも歯がゆいんだよ。福田さんなんて、自分が休みの日には検査センターにバイトに行ってるって聞いたもん。ほんと尊敬するよ」


「今の結衣ゆいは子育てが仕事だろ。それに福田さんは日勤限定じゃん。俺だって休みを削って仕事してんだぞ? 三か月間で五日しか休みが無いってどういうことだよ。あー、奏佑そうすけに会いたい。起きてる?」

「うん。ほら、パパですよー」


 スマホの中にとろんとした息子の顔が映る。画面の向こうのテレビから、不安や心配事など一切感じさせない歌と音楽が漏れ聞こえた。


「入院してくるのは高齢者なの?」

「うん。人工呼吸器ベンチレーターもいるし、みんな介護と吸引サクション必要」

「そっか。じゃ付きっきりだね」

「防護服の着脱も速くなったよ」


 それとは別に、通常の入院患者もいる。緊急オペもあれば、急変もあるのだ。


 通話を切ると、単身者用の小さな冷蔵庫から水のペットボトルを取りだし、飲みながらベッドに腰掛けテレビをつける。朝の情報番組の時間で『おうち時間を快適にするおすすめグッズ』が特集されていた。


『自粛生活でおうちで過ごす時間が増え、おうち時間の大切さに気付かれた方も多いのではないでしょうか? そこで今日はこんなグッズをご紹介します!』 

 ショートヘアのアナウンサーが、大きな目をきらきらさせた笑顔で喋る。


「おうち時間が皆無な奴もここにいるんだけど」

 この部屋にあるのはベッド、エアコン、冷蔵庫、洗濯機だけ。自宅から持ってきた下着や着替えは、スーツケースがタンス代わりで、エアコンのおかげで暑くも寒くもない生活をおくれているのだから、快適といえば快適だ。


 コンビニで買ってきたおにぎりと冷しゃぶパスタサラダで腹を満たすと、歯を磨く。夜勤明けの時間にコンビニに寄ると、これから出勤するサラリーマンと一緒になるのだが、ホットコーヒー片手に身綺麗なスーツ姿と、朝なのに疲れ切って髭が伸びた毎日同じ通勤着の自分を比べると、なんともやるせない気分になる。


 そんな思いをシャワーで洗い流すと、遮光カーテンをぴっちり閉めて布団をかぶった。また十時間後には夜勤に入らなければならない。


 病院では、職員は五日ごとにPCR検査を受けることになっていて、駿は夜勤開始前に実施した。検査室に検体を持参すると、技師の米倉がぬらりと現れる。

「お疲れ。米倉っていつ帰ってんの?」


 米倉とは同期で、コロナ以前はよく飲みに行っていた。自粛と忙しさと3密回避で機会が無くなり、まるで遠い昔のことのように感じる。


「新山こそいつも病院にいるよな?」

「人が足りないんだよ。今この病院のどこ探したら暇な奴いるかな」

「俺もいつも探しながら病院内歩いてる」


 そんな雑談を交わし、それからいつも通りに申し送りを受けて、フル装備で患者の処置を行っていた時である。

「新山さん、検査室から電話です」


 せっかく身に着けた装備を一旦全て脱いで、ナースステーションに向かう。検査室に内線をかけると、淡々とした声で米倉が言った。


「新山、陽性」


「えっ? 俺? 陽性なの?」

「院長にも見てもらったし残念ながら間違いない」


「自覚症状は何もないんだけど」

「ごく初期なのかもしれない。看護師長にも報告したから、連絡あると思うよ」


 その直後、看護師長から電話が入り、すぐに帰宅するよう言われた。

 翌朝、保健所から連絡があり、基礎疾患が無く無症状の駿には、十日間の自宅療養の指示だった。


 当然外出はできない。食事は妻がマンションの玄関ドアに引っかけておいてくれることになった。ゴミは袋の口を閉めてベランダに置いておくしかない。


「これじゃ軟禁状態じゃん」

「しょうがないよ。でもやっと休めたんだから、のんびりしなよ」

 スマホの中で妻と奏佑が手を振る。今日は天気が良いので、食事を届けた後に公園を散歩中だ。


「陽性になって、ようやく俺にもおうち時間か」

 さて、この軟禁状態で何をしようか。臨時ボーナスの五万円で、新しいApple Watchでも買うか。


「そうでもしないとやってらんねぇよ」



                                   <終>

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おうち時間は来ない 乃木ちひろ @chihircenciel

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