5.5話(後編):恋ではない根拠

 7月の終わりが近づいてきたある日のこと。月島さんからメッセージが届いた。『8月8日が柚樹さんの誕生日なんだけど、プレゼント選び付き合ってほしいから暇な日教えてくれ』というもの。


「……誕生日」


 彼とはそこそこ仲が良いと思うが、誕生日がいつなのかということすら知らない。そもそも興味がなかった。こういうところが私に友達が少ない理由なのだろうという自覚はある。家族以外の人の誕生日を祝うことも初めてだ。逆に月島さんや一条くんは慣れているのだろう。

 スケジュールの空いている日を片っ端から彼女に送る。『じゃあ今週の土曜日な』と返ってきた。了承し、カレンダーにメモをする。

 ついでに『ちなみに私の誕生日は3月3日だからよろしく』と送られてきたのでメモして、自分の誕生日も教えておいた。




 そして当日。待ち合わせ場所で待っていると、花柄の真っ赤なワンピースを着て麦わら帽子を被った見知らぬ女性から声をかけられた。佐々木ささき姫咲きさきと名乗った女性は、どうやら一条くんの知り合いらしい。

 ささききさき。"さ"と"き"だけで構成された言いにくい名前。一度聞いたら忘れないだろう。


「えっと……私に何か用ですか?」


「用っていうか……この間、柚樹と一緒に居たでしょ」


 そう言われて身構えてしまうと、佐々木さんはくすくすと笑いながら言った。


「別に『彼は私のものだから取らないで』とか、そういうのじゃないから安心して。あたしはね、恋をしない彼が好きなの。絶対にあたしのものにならない彼が好き」


 ヘラヘラと笑いながら言う佐々木さんの表情が彼に重なる。似てるなと苦笑いしていると、彼女は私と距離を詰めてきた。ふわりと薔薇のような香りが鼻をくすぐる。身の危険を感じ、後ずさる。


「あたしも柚樹と一緒。誰でも良いの。男でも、女でも。お嬢さん、君はどう? 女でもイケる?」


「……イケるも何も……私、そういうのは苦手で」


 話しても理解して貰えない気がしたが、正直にアセクシャルであることを話す。すると彼女は「そっかぁ。じゃあ仕方ないね」とあっさり引いた。


「……意外とあっさり引くんですね」


「そりゃそうよ。こういうのはお互いに同意の上でするものだもの。嫌がる子を無理矢理犯す犯罪者と一緒にはされたくないからね」


 一条くんもよく似たようなことを言っている。どうやら悪い人ではなさそうだ。


「ごめんね。怖がらせちゃって。てっきりこっち側の人かと思っちゃった」


「……いえ。そう思われるのは慣れてます」


 一条くんの友人というだけでそういう目で見られる。不快極まりないことだが、そんなことで彼から離れる気はない。離れたところで噂がそう簡単に収まるとは思えない。むしろ、彼に捨てられたのだと哀れんで慰めてあげると言い寄ってくる輩が出てきそうだ。

 どちらにせよ、私は浮いている。彼と一緒にいようがいまいがそれは変わらない。だったら私は、彼の側にいたい。一人よりは楽しいから。


「ふーん。柚樹のこと好きなんだね」


「はい」


「あたしも好き。優しいんだよね。あの子。あたしのことを性欲処理の道具じゃなくて、一人の人として見てる。まぁ、だからこそ、勘違いする子も多いんだろうけど。難しいよねぇ。恋愛感情って。あ、ちなみにあたしはね、柚樹や君と違ってアロマンティックではないんだ」


「……そうなんですか?」


「そう。柚樹のことは恋愛的な意味で好き。でも、あたしだけを見てほしいとは思わない。あたしはね、好きな人から恋愛感情を向けられるのが嫌なんだ。恋愛感情というか、独占欲って言った方が正しいかな。誰のものにもなりたくないんだ。あたし」


「なるほど、だから一条くんなんですね」


「そう。理解早くて助かるよ。これ言うと大体の人は『それは恋愛感情じゃないよ』って否定から入るから」


「……恋愛感情だと思う根拠はなんですか?」


「んー……難しいね。あたしの場合は……理由がなくても会いたくなるからかな」


「理由がなくても会いたくなる……」


「うん。あぁ、でも、恋愛感情の定義は人それぞれだから。仮に、あたしの彼に対する感情と、君の彼に対する感情が同じ感情だったとしても、それを恋愛感情と呼ぶかどうかは自分で決めれば良いと思う」


「あ、そもそも私は彼に対して唐突に会いたくなったことはないですし、あんまり彼に興味はないです。誕生日も最近知ったくらいですし。なので、誰が見ても恋ではないかと」


「それ聞いたらあたしも確かにそう思うわ」と彼女はおかしそうに笑う。私は最初からそう言い続けているが、恋愛に脳が支配されている人間にはどうしても理解できないらしい。佐々木さんは話が通じる人のようだ。

 誕生日もきっと、月島さんからのメッセージがなければ未だに知らなかっただろう。そう思って、ふと、待ち合わせ場所に来てかなり時間が経っていることに気づく。時間を確認すると、約束の時間はもうとっくに過ぎていた。メッセージを送ると軽快な足音と共に「悪い。遅れた」と彼女の声が近づいてきた。


「派手な女居るなと思ったら……やっぱあんたかよ」


「待ち合わせしてたの満ちゃんだったんだ」


「知り合いですか?」


「うん。柚樹繋がりでね。二人はこれからどこ行くの?」


「柚樹さんの誕プレ選びに」


「あたしも行くー」


「言うと思った。愛沢さん、良い?」


「ええ。構わないわ」


 そんなわけで、佐々木さんも連れて彼の誕生日プレゼントを選びに行くことに。


「私、友達の誕生日プレゼント選ぶの初めてなのだけど、月島さんはいつも何渡してる?」


「んー。爪切りとか、ハンドクリームとか、文房具とか」


「なるほど……ギターやってるものね」


 思えば、彼の手はいつも綺麗だ。普段から手入れしているのだろう。


「あたしは香水にしよっかなーって思ってるよ。柚樹につけてほしいやつがあって」


「香水……」


 そういえば、佐々木さんは良い匂いがするが、あれも香水によるものだろうか。問うと、カバンの中から小瓶を取り出して見せてくれた。やはり成分の中には薔薇が含まれていた。

 しかし、佐々木さんから渡すなら私は別のものにした方がいいだろう。どの香りが似合うかなんてよく分からないし、友人から贈るのは何か違う気がする。佐々木さんも友人だけども。

 悩んだ末に、私が選んだのはコーヒー豆のセット。彼はよくコーヒーを飲むと言っていたから。なにが良いか分からなかったから私のおすすめにした。


「無難で良いんじゃない?」


 そういう月島さんが選んだのはハンドクリーム。佐々木さんはやはり香水。


「そういえば月島さん、一条くんの妹と付き合ってるのよね?」


「ん? あぁ」


 月島さんの恋人は一条くんの双子の妹だと聞いている。双子ということは、誕生日は同じか、同じでないとしても近いはずだ。


「大丈夫大丈夫。ちゃんと用意してるよ。忘れたらうるせぇからな」


「なに渡すの?」


 聞くと、彼女は悪戯っ子のように笑いながらこう答えた。「内緒」と。





 そして当日。渡したいものがあると連絡を入れて、彼の住むアパートへ。インターフォンを押すと、彼ではない人の声が聞こえた。そういえば同居人が居ると言っていたことを思い出し「一条柚樹くんの友人の愛沢です」と名乗る。「ちょっと待ってくださいね」と言われ待っていると、一条くんではない男性が出てきた。


「すみません。今出掛けてて。コンビニに行っただけなのですぐ帰ってくると思います。よければ上がってください」


「ありがとうございます」


 男二人暮らしなだけあって、部屋は私の住むところよりかなり広い。ソファもふかふかだ。ベッドの代わりになりそうだ。流石に横になるわけにはいかないが。


せいちゃんただいま。愛沢さんごめんねー。待たせちゃって。お詫びにこれ」


 お詫びと称して彼がコンビニの袋から出してきたのは缶酎ハイ。アルコール度数低めの、夏限定の甘夏味。


「柑橘系好きでしょ」


「わざわざありがとう」


 酎ハイを受け取り、代わりに持ってきた紙袋を渡す。


「お。コーヒーだ」


「好きだって言ってたから」


「覚えててくれたんだ。ありがとう」


「どういたしまして」


「ところで俺、愛沢さんに誕生日教えた記憶ないんだけど」


「月島さんから聞いたの」


「なるほど。満ちゃんがねぇ……ちなみに愛沢さん誕生日いつ?」


「2月16日」


「おっけー。覚えとくねー」


 そう言って彼はすぐにスマホにメモをし始めた。


「じゃあ一条くん、私は帰るわね」


「えー。帰るの? 泊まっていきなよ」


「駄目です。愛沢さん、帰るなら送って行きますよ。車で。外は暑いですから」


「いえ、そんな」


「愛沢さん、送っていってもらいな。外、めちゃくちゃ暑いから。交通費も浮くし、涼しいよ。熱中症になるといけないし。ね?」


「……じゃあ、お言葉に甘えて」


「うん。甘えな甘えな。今日はありがとねー」


 彼から貰った酎ハイを持って家を出る。

 改めて外に出ると、確かに今日は特に日差しが強い。思えば、日傘を差していてもかなり暑かった。こんな日はよほどのことが無い限り家に引きこもる。今日は迷わず出てきたし、行きはこの日差しの強さがあまり気にならなかった。無自覚だったが、彼の誕生日は私にとってはよほどのことだったらしいと気づき、思わず笑ってしまう。佐々木さんは言っていた。彼に対する感情が恋愛感情だと思う根拠は『理由がなくても会いたくなるから』と。今回は理由があったから来ただけだ。誕生日じゃなかったらわざわざ会いに来なかった。だけど、大嫌いな夏の日差しや蝉の声が気にならないくらいには浮かれていた。彼の喜ぶ顔が見たかった。じゃあやはりこれは恋ではないか? そう問われれば、答えは否だと即答する。


『あたしの彼に対する感情と、君の彼に対する感情が同じ感情だったとしても、それを恋愛感情と呼ぶかどうかは自分で決めれば良いと思う』


 佐々木さんの言葉が蘇る。私は彼が好き。それは事実だ。だけど、誰がなんと言おうともこの感情は恋と呼ばないと私は決めた。何故なら私は、この感情を恋と呼べるほど彼のことを深く知りたいと思ったことが無いのだから。

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恋をしない私達 三郎 @sabu_saburou

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