第21話 固まる意思

 翌朝、ぼくはネルとカイエン爺ちゃんと一緒に、“深域の森”へと向かう。荷物はぼくの“収納ストレージ”を使うから最小限、武器と水筒だけだ。その水も、はぐれたときのための非常用。最短距離を最速で往復する計画だ。

 最初は応援に来てもらうはずだった大人たちも、集落に残って仲間を守っていてもらう。“収納”に死蔵していた雑多な武器を分配して、それぞれに練習をしてもらうことにした。

 幸か不幸か、集落周辺には個体の脅威としては低めなゴブリンが頻繁に現れるようだし。


 薄暗がりの岩場を一時間半刻ほど進むと、奥の方に光が見えてきた。地上からの日差しが僅かながらに届いているとは聞いていたが、それは想像以上のものだった。


 断崖絶壁になった突端から見下ろすと、十五メートル五十フートほど下に巨大な木々が密生していた。

 あまりにも広大な内部空間は奥の方まで光が届かず、闇に沈んでいるため詳細はわからない。“深域の森”と呼ばれる植生地帯は、見えているだけでも幅が八百メートル半ミレほどある。

 差し込む光の帯が梢を照らし、そのなかを鳥や虫の群れが飛び交う。森のなかから上がった獣の鳴き声が、周りを囲う岩壁に反響していた。


「……すごい」

「そうじゃろ。わしらも最初は驚いたんじゃ。地の底だというのに、これだけの森があるとは思わんからのう」


 森というのは便宜的な呼称かと思ってた。これは森としかいいようがないな。中心部には、なぜか岩が折り重なったような小高い山というか歪な起伏がある。そこだけ周囲から妙に浮いているが、人工物のようではない。

 なんだろ、あれ。


「ここから先は気を引き締めるんじゃ。恐ろしげな魔物や獣が多いのでな」


 カイエンさんの言葉に、ぼくらは我に返る。そうだ。ぼくらは資源採集に来ていたんだから、いつまでも眺めているわけにはいかない。


「アイク、そこから降りるの。縄ばしごがあるけど、大丈夫?」

「問題ないよ。もしかして、ひとりずつの方が良い?」

「うん。ロックベアは崖の際まで来ないけど、たまに猿が出るの。最初にあたしが降りて、周囲の警戒に入るから」

「え、ちょっと待って。猿って?」

「名前は知らない。爺ちゃんが、なんかいってたけど」


 カイエンさんを見ると、少しだけ困った顔になった。そんな大変な猿なのかな。そもそも、王国で猿って異国の商人が連れてる飼育動物として以外は見たことない。


森林軍猿レギオンエイプじゃ」


 う〜ん。知らないな。冒険者として暮らしてたときにも聞いた覚えはない。遭遇した場合に備えて魔物の名前と生息地と換金部位と対処法は可能な限り覚えておいたんだけど。


「それは危険な魔物なんですか?」

「単体での強さは、四級冒険者くらいじゃな。たいがい七頭前後の群れを作るんで、向かって来られると、ちょっとした災厄じゃな」


 四級といえば冒険者でも新米から脱皮して一人前と認められるあたりだ。しかも、カイエンさんの説明によれば“深域の森”にいるレギオンエイプって、武器を持ち木立を飛び回りながら連携を取って攻めてくるんだって。

 そんな四級……っていうか何級だろうとそんな冒険者はいない。比べる対象がおかしい。

 まあ、“強めの成人男性”みたいのが群れで襲ってくるってことだな。森のなかでは悪夢でしかない。


「体長は百五十センチ五フート程度か、魔物としては小さめじゃ。知能も腕力も、さほどではないがの。高いところから投擲とうてきをしてくるんで、飛び道具がないと対処できんのじゃ。その上あいつら、石や槍と織り交ぜて、たまにフンまで投げてきよる」

「きったない……そんなの聞いてないよ爺ちゃん」


 汚いとか気持ち悪いというのはいといて、ぶつけられた方に傷でもあったら病気を蔓延させられる。

 うへぇ……それは“ちょっとした”じゃなくて、完全に災厄だ。


 嫌そうな顔のぼくを見てネルは笑い、カイエンさんは苦い顔で首を振る。


「幸い森のなかには隠れる場所も多いんじゃ。仕留めようと思わなければ、あいつらもそう大きな脅威じゃないわい」

「う、うん」

「大丈夫、もう怖くない。逃げ隠れしなくても良い」


 ネルは幸せそうに笑う。頼もしいと感じる前に、彼女の浮かれぶりがちょっと気になった。


「あのね、ネル。君が強くなったのは、わかる。信頼もしてるし、いざというときは対処を頼むことにもなるとも思う」

「うん!」

「でも、油断はしないで。深追いも、無理もダメだ。絶対に。安全を最優先にして」

「……ん? うん、わかった」


 わかってない。

 この子は、きっと前に出る。自分より弱く遅く脆いひとたちのために、最後は自分の身を犠牲にしようとする。自分の価値を、低く見過ぎてるのかも。

 その気持ちは、ぼくにも理解できる。自分の身の安全を考慮してもらうために、どう伝えたら良いかと少し悩む。相互に信頼も築けていないうちから強制はしたくない。守護する側とされる側が主従関係みたいになると、もっと歪みがひどくなる。


「平気だよ、アイク。あたしは、みんなを守るよ。ふたりには怪我ひとつ……」

「みんなのことなんて、いってない!」


 あんまりな言葉に、思わず怒鳴り付けてしまった。そんなこと、いうつもりはなかったのに。

 ネルはビクッと怯えたような顔をして、ぼくの機嫌を直そうと目を泳がせる。そして、やっぱり問題を理解してない。

 

「違うよ、ネル。、心配してるんだ。自分が死なないと思ってる? 怪我しないとでも思ってる? 君に何かあったら、その“みんな”が、どれだけ傷付くか、ホントにわかってる⁉︎」

「……あ、……うん、……ご、ごめん」


 涙目のネルが、シュンとなって俯く。ぼくも、どう伝えれば良いか迷う。

 後ろで成り行きを見ていたカイエンさんが、お爺ちゃんらしく穏やかに声を掛けてきてくれた。


「アーシュネルは、強くなったがのう。急速に、一気に、あまりにも強くなり過ぎたんじゃ。まだ気持ちが、ちぃとも追いついておらん。周りも見えておらんのう。若い頃に、似たようなのを見たことがあるがの、そういう奴らは勢いに乗っとるから怪我などせん」


 らされていたネルの目が、爺ちゃんに向く。なんとなく、その先を理解はしたようだ。脳筋気味ではあるけど、彼女は頭が悪いわけじゃない。


「いきなり死ぬんじゃ。たいがいは、派手に周りを巻き込んでのう」


 ぼくだって、できることなら他の誰かに託すんじゃなくて、自分が強くなりたい。他人に頼って、自分は安全地帯で見てるだけなんて、望んだわけじゃない。

 でも、“守護者”にそんな力はない。託すしかないのだ。そして、その多くは裏切られてきた。


「お願いだから、ぼくに後悔させないで」


 君に力を託したこと。君に、出会ったことを。

 ぼくは口に出さなかったけど、ネルの目付きが変わった。浮かれたような熱が引き、凛とした表情に変わる。


「させない」


 彼女は短く答える。


「あたしは、あなたのもの。あたしを選んだこと、後悔なんてさせない」

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