想いを重ねて②

 絃羽いとはの温もりを感じながら、俺は自分の過去を話してやった。

 それほど特別な過去があるわけではない。ただ普通に受験して、普通にキャンパスライフを送って、バイトをして、サークル活動をして、ゼミで勉強して、恋をして……そんな、誰でもありがちな生活。

 あまり恋愛については話したくなかったのだが、絃羽が「それも聞きたい」と言うものだから、仕方なしに話した。

 嫉妬しないのかと訊いたら、嫉妬はするけどどんな人と付き合っていたのか知りたいのだそうだ。話すと、案の定なんとも言えない複雑な顔をして、拗ねたようにぎゅっと俺に体を寄せてくるところが可愛らしかった。


「それで、大学四年になったわけなんだけど……」


 そこから先は、明るい話ではなかった。

 就活もやらずに人生の先を決められずふらふらとしている事、周りとの差に焦燥感に駆られている事、そうして自分に自信が持てなくなっていた時に付き合っていた人から浮気をされた事、そしてそんな情けない自分から目を背けたくてここに逃げてきている事。

 俺の事なんて、話すだけ恥の上塗りだ。だが、絃羽は俺の話を黙って、時には相槌を打ちながら聞いていてくれていた。


「……な? 俺ってば全然大した男じゃないわけよ。見損なっただろ」


 全てを話終えた時、自嘲的な笑みを浮かべてそう言った。自分でもそう思うし、否定できる要素が何もなかった。

 しかし、絃羽はぎゅっと俺の体を抱き寄せて、首を横に振る。


「そんな事、ない」

「どうしてさ」

「だって……もしそうじゃなかったら、悠真さんここに来てなかったから」

「あっ」


 言われてみれば、そうだった。

 もし俺が何か一つでも上手く行っていたら、きっとここには来ていなかった。就活に精を出していたり、公務員を目指していたり、何かなりたいものがあったりすれば。或いは歌那とも上手くいっていれば、俺がここに来るという選択肢はなかった。

 この町に来ていなければ、絃羽と再会する事もなく、彼女に恋をする事もなかった。そして……こうして、彼女の長年の想いを知る事もなかっただろう。

 もし俺がここに来ていなければ、絃羽はまだあの岬から飛び込んでいたのだろうか。どこか当てのない場所を求めて、空へ旅立とうとしていたのだろうか。


「悠真さんがここに来てくれて、私はたくさん救われたよ。昔みたいに……ううん、昔よりもずっと楽しい夏休み、過ごせてる」

「そっか。そう考えたら……意味があったのかもしれないな」

「うん。全部私の都合かもしれないけど……それでも、私は悠真さんがここに来てくれて、嬉しかった」


 絃羽の都合だけではない。

 俺もここに来てから楽しかったはずだ。帆夏ほのかとは揉めてしまっているけれど、武史や絃羽と子供のように遊べて楽しかった。童心に戻って、悩みなんてどうでもいいと思えてしまえた。

 そして、絃羽がこうして近くに居てくれる事で……また、前を向こうと思い始めている。決して、無駄ではなかった。いや、そうじゃない。


「絃羽の都合じゃないよ」

「え?」


 絃羽が顔を上げて、首を傾げた。

 そんな彼女を少しだけ強く抱き締めて、彼女の耳元で決意を表明する。


「俺がここに来て、絃羽と再会して結ばれた事を……正解にすればいいだけなんだよな」

「正解にする?」

「そう。これを切っ掛けに前を見て、自分の事をちゃんとして、それで絃羽を幸せにすれば、俺がここに来た事は正解になる」

「悠真さん……」


 おそらく、取捨選択とはこういう事なのだ。

 生きていれば、色々な選択肢が出てくる。恋愛に於いても、就職に於いても、進路に於いても、どちらが正解かはわからない選択肢の中から俺達は物事を選択して生きている。時には、その選択が正しかったのか、悔やんだり迷ったりするときも出てくるだろう。

 だが、もう過去はやり直せない。一度その選択をして、別の選択肢を捨ててしまったのならば、捨ててしまった選択肢は選べない。

 そうであるならば──自分が選んだ選択肢が、正解になるように、ただ頑張るしかないのだ。

 四年になってからの俺は、決して褒められたものではない。いや、大学生活そのものがそうだったのかもしれない。何か得たかと言われれば、何も得ていないと言える。

 しかし、そんな学生生活最後の夏に、俺はここを訪れて、そして絃羽と再会した。大切で守りたいと思える人と、想いを重ね合わせる事ができた。

 この再会を……絃羽と想いを重ねた選択を、間違いにするわけにはいかない。


「私も……私も、正解にしたい」

「ん?」

「悠真さんと再会した事も、付き合う事も、これまでの私の間違いも……全部、正解にしたい」


 胸の中で、絃羽は強い意志を以て見上げてきた。

 浅葱色の大きな瞳の中に、俺が映っていた。きっと、俺の瞳の中はこの銀髪の少女でいっぱいだろう。そうして見つめ合っているうちに、自然と互いに顔を寄せていった。互いに瞳を閉じて、唇を重ねる。

 絃羽の柔らかい唇の感触が伝わってきて、一生離したくないと思えるほどの愛おしさが体中から溢れ出てくる。そのまま互いを求めるように、何度も何度も唇を重ねた。互いの吐息が混じり合い、混じり合った吐息に互いの想いを乗せて、何度も口付けを繰り返す。二人の出会いと今を、そしてこれからを〝正解〟にするんだという強い意志と気持ちを込めて。

 夏の夜の月だけが、そんな俺達を優しく見守っていた。

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