第28話

 しかし、レニードは躱さなかった。どころか、ぴくりとも動かなかった。


「それが本気か? 人間の武人よ」


 それを見て、槍を受け止めていたデッドが引き下がった。だが、キリアは大きく反応が遅れた。

 確かに、先ほどまで身体を乗っ取られていたという疲労もあるだろう。だが、事態はもっと単純だった。長剣を挟まれ、手放すべきか否かの判断を迫られていたのだ。


 ぶん、と振り回される鋏。このまま長剣を握っていては、自分も危ない。凄まじい勢いで放り投げられる。間違いなく、キリアは致命傷を被るだろう。


 キリアはさっと長剣を手離し、バックステップで離脱。しかし、


「伏せろ、キリア!」


 俺は絶叫した。デッドに向かっていた槍が複雑に屈折し、キリアを狙う軌道で動いていたのだ。滑らかに空を斬る槍を、キリアは真上に跳躍して回避。即座にショットガンを抜き、散弾二発を発砲した。


 すると、思いがけないことが起こった。レニードが、フードを脱いだのだ。

 顔つきは、身体と同じく幼子のそれである。が、そこに浮かぶ笑みは、凄まじい悪意を帯びていた。

 かつて子供を持っていた人間として、俺は背筋が凍るのを止められなかった。


 逆に止められたのは、ショットガンから放たれた弾丸だ。半透明の、しかし真っ黒な結界。それがレニードの頭部を覆い、軽々と散弾を弾き返した。


 そこでできた僅かな隙をついて、デッドが低姿勢から斬り込んだ。レニードの足元を薙ぎ払う。しかし、その刃もまた、レニードの足に止められてしまった。


「飽きないな、君たちも」


 そう言うや否や、レニードは異物化した両腕を広げた。何をする気だ、と俺が呟いた直後。

 凄まじい暴風が、この泉の畔全体を巻き込んだ。これには俺も巻き込まれ、背中を大木に打ちつけられた。


 キリアとデッドはそれを覚悟していたらしく、すっと地面に下り立った――かに見えた。

 だが、俺には聞こえた。レニードの呟きが。


「甘いな」


 そう、二人の読みは甘かった。まさか着地地点に、以前遭遇した黒い泥状の『シャドウ』が迫ってきていたとは。


 足元を取られ、二人は無様に尻餅を着く。すると、あの関節のない腕が次々に生えてきた。このままでは、二人は吞み込まれて窒息死させられてしまう。


「畜生!」


 気づいた時には、俺は駆け出していた。さっきに比べれば、魔力はやや回復している。

 これでどうにか、あのどろどろを払い除けることはできないだろうか。


 俺は訓練時同様、目を閉じて想像力を搔き立てた。心を落ち着かせ、ロケットを握り、念じる。


 俺の嫁さんでも娘でも誰でもいい、俺が出会ってきた皆、どうか俺に力を貸してくれ。そう念じながら、リボルバーを抜きつつ跳躍した。


 しかし、奇跡は起こらなかった。


「がっ!」

「マスター!」


 俺は空中で静止していた。右胸が、細い槍に貫通されている。

 痛みはない。痛がっている余裕がない。


「ただの人間風情が、余計に出てくるからだぞ? 君に向けて、ちゃんと忠告はしていたんだがな」


 レニードは、俺の胸からすっと槍を引き抜いた。そのまま俺もまた、べちゃり、とどろどろの上に落下する。

 すると、ほんの僅かに、どろどろが引いた。俺という新しい異物を警戒してのことだろう。


「マスター! マスター‼」


 すまない、キリア。俺はここまでだ。何とかお前とデッドだけでも逃がしたかったが――。


 それは無謀だった。そう胸中で呟こうとした、その時だった。


「お父さん! 僕に付き合ってくれたお父さん! 死なないで! お父さん‼」


 お父さん――。その言葉が、俺に何かをもたらした。

 何をどうしたのかはよく分からない。傷が治ったわけでもなければ、キリアたちを離脱させられたわけでもない。

 しかし不思議なことに、俺の左胸、心臓を中心に、温かく安心を生み出す何かが、全身に広がってきた。周囲のどろどろもまた、ゆっくりと後退する。


『馬鹿な! 私の知らない魔術があるのか⁉』――そんなレニードの言葉が耳朶を打つ。

 俺は血塗れになりながらも、ゆっくりと立ち上がった。


「そんな魔術、あるわけねぇだろう」


 てめぇなんかには分からねぇだろうがなぁ。


「これは、愛情っていうんだよ」


 その言葉が、レニードに届いたか否かは分からない。俺が言い終えると同時に、自由を手にしたキリアとデッドが、地面を蹴って同時に飛び掛かった。

 キリアの短剣とデッドのサーベルは一体となり、ぎゅっと目を閉じた俺の網膜までをも焼き尽くさん限りの輝きを以て、レニードに向かって振り下ろされた。


         ※


 草木の香りがする。全身が怠いが、致命傷を負っているという感覚はない。

 魔力はもはや皆無だが、普通の人間としての臓器はまともに機能している。


 それと同時に、肺が、心臓が、全身が酸素を求めていることに気付いた。

 俺は自身に対して、落ち着け、落ち着けと声をかけ、まずは落ち着かせる。それからやっとのことで、鼻と口から思いっきり空気を吸い込んだ。


「ふはっ!」


 って、そうだ! 今はレニードの奴と戦闘中だったんじゃねぇか? 寝てるわけにはいかない。


 俺はあわあわと何事かを喚きたて、上半身をがばりと起こした。と、まさに同時。


「あっ、マスター!」

「おいキリア、おっさんを無理に起こすなよ」

「マスター、無事? 大丈夫なんだよね?」


 ぼんやりとした視界の中で、ぐらぐらと肩を揺さぶられる。その間に、だんだん目の焦点が定まってきた。


「キ、リア……?」


 はっとした。キリアは果たして無事なのか? 俺は彼女の腕を振り払い、自分の方から肩を引っ掴もうとした。

 しかし、それは叶わなかった。――キリアが俺を、思いっきり抱きしめたからだ。


「どわっ!」


 俺はそのまま押し倒された。


「お、おいキリア! 遊んでる場合じゃねぇだろ! レニードはどうなった?」

「え? ああ、もうとっくに倒したよ。っていうか、倒した直後にマスターは気を失って……」


 ああ、そうか。きっと、魔力の使い過ぎと安堵感とがごっちゃになって、気絶してしまったのだ。


「キリア、眼帯が邪魔だよ! あたしにもドンの姿を見せて!」

「そ、そうだね、ごめんよ、リンエル」

「全く……」


 キリアが眼帯を捲ると、リンエルはいつものようにするり、と飛び出してきた。


「はい! 目を開けて、ドン!」

「は?」

「だから、ちゃんと意識が戻ってるかどうか、確かめるんでしょ!」

「お、おう」


 俺は一旦キリアを押し返し、リンエルに向かって目を剥き出しにした。


「うん、大丈夫そうだね。よかった……」

「あれ? リンエル、お前、そんなに俺のことを心配してくれてたのか?」

「そりゃあそうだよ! あたしの宿主の『お父さん』だからね」

「あっ!」


 キリアはとんでもない早さで、首筋から頭頂部までを真っ赤にした。


「ちょっ、変なこと言わないでよ、リンエル!」

「だって思いっきり叫んでたじゃん、キリア。『お父さん』って」

「だ、誰がそんなこと――」

「あたいも聞いたぜ、その台詞は」


 デッドが戻ってきて、リンエルに加勢した。周囲の警戒にあたっていたらしい。

 これは、今後デッドがキリアをからかうのにちょうどいいネタになる。そう思ったのだが、デッドはキリアに向かい、脈絡にないことを問いかけた。


「それにしてもキリア、どうしてお前、ワープポインターを助けようとしたんだ? 今までのお前なら、簡単に斬り捨ててただろうに」

「いや、その……」


 キリアは後頭部に手を遣った。


「あの人、ああ、人じゃないや、あの『シャドウ』の頭の中を覗いたからね。彼は生前、強盗に遭って家族を殺されて、その憎しみから『シャドウ』になったんだ。生前の彼は善人だったのに、天界に行けないのはあんまりだと思って……」


 そう言うキリアの声は、段々小さくなっていく。やがて最後は嗚咽混じりの、声とは言えない細々とした音となって発せられることとなった。


「僕、悪党はどう足掻いても悪党なんだと思ってた。生きるに値しない連中が、この世界には山ほどいると考えてたんだ。それは大きな間違いだったよ。周囲の環境が、人間を歪ませてしまうんだ。その人自身に罪がない場合だって、たくさんある。僕は、僕はそれを、端から踏みにじって……」


 ここまで語ってから、キリアはすとん、と膝を落とし、号泣し始めた。


「ごめんなさい、もう遅いけれど、ごめんなさい、ごめんなさい……」


 俺が何も言えないでいると、突然横から小突かれた。デッドだ。俺を一瞥し、くいっと顎をしゃくる。その先には『ごめんなさい』を連呼するキリアの姿。


 俺はデッドの瞳から、何を言いたいのかを察した。『父親ならどうにかしてやれよ』と。

 一つ深呼吸をし、俺はそっと、キリアの頭に手を載せた。

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