第27話

 すると、唐突に二人の間合いが開いた。

 瞬時に振り抜かれたキリアの短剣が、デッドの左腕を掠めたのだ。


「ぐっ!」


 ぽつ、ぽつと液体が滴る。暗さでよく分からないが、きっとデッドの鮮血だ。


 デッドは距離を取ることで、自分の負傷の具合を確かめるつもりだったのだろう。だが、それは叶わなかった。キリアが、その短剣を投擲したのだ。


「ッ!」


 慌ててそれを弾くデッド。いや、『弾いてしまった』というべきか。

 サーベルで戦っているデッドにとって、その隙はあまりにも大きかった。少なくとも、キリアが彼女の首を刎ねるには。


 俺は目を瞑りながらも、顔を背けそうになった。だが、今は駄目だ。キリアに憑りついている『シャドウ』の痕跡を追えなくなる。これでは、何のためにデッドが命を落とすのか分からない。

 畜生、俺だって左足が使えれば、まだ戦いようがあっただろうに……!


 しかし、キリアの剣筋は僅かに逸らされた。デッドの驚異的瞬発力を以てしても、絶対に回避不可能だったであろう間合いで。


 理由は明快だった。キリアの狙いがあまりに精確だったからだ。僅かな狂いが生じただけで、剣筋は大きく逸れる。その『狂い』を生じさせた存在。それこそ、リンエルであった。


 驚きと憎悪で歪んだキリアの顔に向かって、リンエルは飛び掛かった。


「はっ! ほっ! ふっ! でやっ!」


 短い手足を滅茶苦茶に振り回し、キリアの攻撃を妨害する。精霊とはいえ、その戦いっぷりには品位も名誉もなく、しかしそれゆえにキリアは面食らったようだった。


「貴様! 僕の右目に居候している分際で……!」

「だから! こうやって! 戦って! いるんでしょうが! あたしの! 大好きな! キリアの身体を! 返せっ!」


 その間に、俺は自分の魔力が十分量に達したのを感じた。キリアを解放し、出てきた『シャドウ』――ワープポインターにダメージを与える。

 しかし、俺が魔術を発動させる直前、


「うわっ!」


 リンエルが殴り飛ばされた。気絶してしまったのか、ぱたん、と地面に横になって動かない。

 一方のキリアはと言えば、長剣を構えて俺に相対していた。


「攻撃魔術か? いいだろう、撃ってみろ。そうすればこのキリアとかいうガキの身体も木っ端微塵に――」


 木っ端微塵に、か。俺はにやりと口角を上げた。


「甘いぜ、悪党」


 気合のこもった雄叫びと共に、俺は情け容赦なく魔術を解き放った。

 ぎょっと見開かれる、キリアの瞳。同時に、大きなバツ印を描くようにして、魔術から発せられた魔弾はキリアの腹部に直撃した。


「ぐあああああああっ! 馬鹿な! 貴様、このガキ諸共殺す気か⁉」

「んなわけねぇだろう、たわけ」


 俺は急激な疲労感に苛まれながらも、にやりと笑みを作った。


「俺の魔術は、動物を殺さないんだ。キリアは無事だろう。だがな、ワープポインター、貴様はどうだ? 命を持たない、霊体だけのお前らには、お誂え向きの攻撃じゃないか?」

「馬鹿な! 馬鹿な! 馬鹿なあああああああ!」


 俺は見た。目ではなく、心で見た。キリアの身体から黒い霧が溢れ出し、人型を作ってゆくのを。あれが、ワープポインターの正体か。

 

 しかし、本当の問題はここからだった。

 俺に残された魔力は、戦闘行為に用いるにはあまりにも少なすぎる。デッドは魔術特性がないから、ワープポインターに攻撃を仕掛けられない。リンエルは絶賛気絶中だ。


 どうする? これでは悪あがきを働いたワープポインターに、俺たちは皆殺しにされる。


 ここまでか。

 俺が笑みを打ち消し、ぐったりと項垂れた、次の瞬間だった。


「ワープポインター……。僕はお前を、絶対に許さない!」

「キ、キリア……?」

「むっ⁉」


 慌てて振り返るワープポインター。その先にいたのは、赤紫色の光を全身から放つキリアだった。

 

「そんな! お前の相棒――リンエルとかいう精霊は倒したぞ! それなのに貴様、どうして……!」

「全く、キリアも精霊使いが荒いんだから」


 そう言って、キリアとワープポインターの間に割り込んできたのはリンエルだった。

 気絶してしまったはずではなかったのか? いや、あれは芝居だったのか。解放されたキリアがすぐに戦えるよう、リンエル自身が倒されたふりをしていたのだ。


 キリアは満身創痍だった。肩で息をして、左脇腹を押さえている。やはり、『シャドウ』に身体を乗っ取られて、すぐに完全な戦闘体勢を取るのは無理だったのだろう。


「はあ、はあ、はあ、はあ……」


 息の荒いキリア。そんな彼女を前に、じりっ、と半歩引き下がるワープポインターに対し、キリアは眼帯を捨て、開眼。

 最早、勝負になる場合ではなかった。


「くっそおおおおおおお!」


 魔術で生成したのか、ワープポインターもまた長剣を作り出す。しかし、それはキリアの一撃で破砕された。

 キリアはそのまま回転し、腹部に蹴りを入れ、顎に拳を叩き込み、側頭部に斬撃を放った――ただし、峰打ちで。


「キリア? 何やってる!」


 状況を把握したデッドが叫ぶ。しかし、打ち倒したワープポインターを相手に、キリアは剣先を突き付けるだけだ。


 何故だ。どうしてとどめを刺さない? 俺もまた、疑問に囚われた。あれほど簡単に、悪党共や怪物たちを駆逐してきたキリアともあろう者が。


 ぜいぜいと肩を上下させるワープポインターの首筋に、刃を軽く当てるキリア。

 彼女はぴくりとも動かずに、こんなことを言い出した。


「お前の過去を見たよ、ワープポインター」

「な、に……?」

「お前が『シャドウ』になって、ワープポインターなんていう重職に就かされたのか。その理由が、今の僕には分かる。盗賊に家族を殺されて、その憎しみに取り込まれてしまったんだろう?」


 俺は目を丸くした。『シャドウ』の過去など、考えたことがなかったのだ。

 ワープポインターは、荒い呼吸音以外は沈黙している。


「僕とリンエルの力を以てすれば、お前を天界に戻してやれる。だから約束してくれ。これ以降、現界に害を及ぼすことはしないと」

「あ、あぁあ、うう……」


 ワープポインターは両手を地面に着いて、しとしとと涙を流し始めた。


「ありがとう、キリア……。この恩は永遠に忘れ」


 忘れない、とでも言おうとしたのだろう。ワープポインターは、しかしその場で固まってしまった。

 慌ててバックステップするキリア。何事か。俺が瞼を上げて目を凝らすと、ワープポインターの胸部から腕が生えていた。いや違う。背後から、鋭利な爪を有する腕で貫かれたのだ。


「あ、が……」


 キリアはするりと抜刀。デッドもサーベルを構え、攻撃態勢に入った。


「やはりコイツには荷が重かったか。『シャドウ』の面汚しめ」


 地面を震わせるような、重苦しい声が響き渡る。

 どさり、と無造作にワープポインターを放り捨て、そいつは姿を現した。


 そこにいたのは、一人の少年だった。キリアよりもずっと幼い。まだ十歳にもなっていないのではなかろうか。

 ただし、その右腕だけは違っていた。細長く、関節がいくつもある。

 見ていると、その右腕はするり、と格納され、見た目上は普通の形状に戻った。それでも、黒っぽく揺らいで見えるほどの殺気を纏っている。


「き、貴様……」

「初めまして、ではないな、キリア・ルイ。私を覚えているか?」

「その声、忘れるわけがないだろう。僕の両親を嬲り殺しにした、『シャドウ』元締めの一体」


 すると相手は、ふふっ、と不敵に笑った。


「まだ名乗っていなかったな。私はレニード。偽名がいくつもあるから、覚えてもらう必要はないがね」


 いや、便宜上でもいいから覚えさせてくれ。こっちが混乱する。


「ワープポインターとの戦い、見事だった。本気なら仕留めていられただろう。だが分かるか、キリア? 君のその高潔さが、彼に付け入る隙を与えたのだと」


 キリアは語らない。それを肯定の意思表示と取ったのか、レニードは耳まで裂けそうな笑みを浮かべた。


「私は無力な者を、むざむざ殺傷する趣味はない。そこの魔術師は見逃そう。問題はキリア、そしてデッドだ。早々と倒しておかねばならないと、勝手ながら判断した。お手合わせ願おうか」


 キン、と音を立てて、キリアとデッドは刀の切っ先をレニードに向けた。


「いいぞ、二対一か。そうでなければ面白くもあるまい」


 レニードは両手を掲げる。すると、肩から先がミシリ、と音を立てて盛り上がった。黒いフードと絡まって、異形を為す。右腕は大きな鋏に、左腕は鋭利な槍に変形した。


「いざ」


 そう短く口にした直後、レニードの姿が消えた。

 馬鹿な。二メートルほどの巨躯で、あれだけ重武装をしていながら、挙動を悟らせないほどの速度で動くとは。


 攻撃が受けたのは、キリアとデッド、二人同時だった。ガキィン、と鋭利な音がして、二人と一体の動きが止まる。


「はあっ!」


 キリアが零距離で、炎を纏わせた足で蹴りを見舞った。

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