第26話

 瞼の向こうで、はっと息を飲む気配がした。

 だが、今の俺はそんなことに動じない。不思議な感覚だが、妻子が俺のそばで穏やかな視線を注いでくれている、そんな感覚があったのだ。


 自分が何をしているのか。それは重要じゃない。

 自分が『大切だと思う人』のためにどうすべきなのか。それを見つけ、達成する。そのことこそが、妻子の弔いになるのではないだろうか。


 俺は胸中で呟いた。

 ごめんな、二人共。むざむざ死なせてしまって。だが、今の俺にも大切な人がいるんだ。

 必ず助け出す。そして世界を救う。だから今少し、この駄目な夫、ろくでなしの父親に、力を貸してくれないか。


 俺が想像の中で、そっとロケットを握りしめた、その時。

 ようやく目を見開くと、そこには信じられない光景が広がっていた。


 キリアの魔術と違い、俺の魔術の色は濃い青色だった。

 だが問題は、持ち上げている小石の様子だった。先ほどリンエルに持ち上げるよう言われた小石は、ひざまずいた俺の目の高さにある。

 だが、浮いているのはその小石だけではなかった。


 この周辺、円形を描くように、小石が震えていた。そして俺が首を巡らすと、それに反応したかのように、ぽんぽんと浮き上がり始めたのだ。


 さっきは小石一個であれだけ苦労していたのに、今や数個、否、数十個の石が浮かび上がっている。中には、俺の半身ほどもあるような苔むした大岩もあった。


 一通り見回してから、俺はゆっくりと目を閉じて心を静めた。ずん、という音と共に、石や岩が地面に下り立つ。俺は静かな心境のまま、ゆっくりと立ち上がった。

 その直後、


「やった! やったね、ドン!」

「ぶわ!」


 リンエルが、俺の顔面に抱き着いてきた。


「ちょっ、待て! 前が見えねぇ!」

「すんごい力だったよ! まさか、魔術の鍛錬初日で、こんな力を発揮できる人間がいるなんて!」

「だから離れろって、こら!」


 俺がリンエルを引っぺがすと、ぼーーーっとしているデッドが目に入った。


「ど、どした、デッド?」

「いや……。すげぇもん見せられたなと思ってよ……」


 もし喋らなかったら、デッドはずっと口をぽかんと開けたままだったかもしれない。それくらい、衝撃的な出来事だったということか。

 だが、これだけははっきりさせておかなければ。


「なあ、二人共。奇妙な話に聞こえるかもしれねぇが……。俺の亡くした嫁さんと娘が、手を貸してくれたんだ。俺一人の力じゃない。それに、この力が『シャドウ』相手にどれだけ通用するかも分からない。俺自身、一体どうしたらいいのか――」


 すると、リンエルはその小さな手で俺の手の甲を握りしめ、こう言った。


「ドン、あんたが話してくれたからだよ。それで、あんたの中に眠っていた奥さんと娘さんの力が呼び覚まされたんだ。やっぱり、他人に思いを打ち明ける、ってのは大事なことなんだな」

「そう、か。そうなのか……。悪かったな、リンエル。こんな簡単なことに気づくまで、随分手間をかけさせた」

「いいっていいって! それより問題は、こっちじゃない?」


 後ろ手に親指で、背後を指さすリンエル。そこには、相変わらず信じられないでいるデッドがいた。


「すげぇ……」

「ちょっとデッド! 馬鹿みたいに口開けてないで、少しは協力してよ!」

「協力?」

「モチベーションのアップと、皆の結束に!」

「ああ、そ、そうだな……」


 と言いつつも、デッドは上の空だった。


「さあ、これで勝算が見えてきたよ!」


 はしゃぎまくるリンエル、意識不在のデッド、そして落ち着き払った俺。

 本能的に、動物を殺傷することはできない魔術だとは察せられた。でも、きっと役に立つ。あとは、デッドの剣術の技量に頼るしかない。


         ※


 その後、俺は様々なイメージを駆使してみた。

 物体の移動。煙幕のような目くらまし。ちょっとした水分の移動。

 そのいずれにしても、問題なのは、いかにデッドとタイミングを合わせるか、だった。当然ながら、下手をすればデッドの挙動を妨害してしまう。負傷させることはないにしても、だ。


 その点については、デッドとタイミングを合わせてみた。軽い違和感を与える程度の弱い魔力を行使することで、様々な戦闘フォームを取るデッドに感想を聞いたのだ。


「そうだな……。もう少し早めに仕掛けてもらえれば、あたいは気配を察知して回避できる」

「分かった」


 再度目を閉じ、魔術を行使する。それでも、不思議と分かるのだ。暗い視野に、物体の位置関係が浮かび上がって見える。

 デッドはといえば、周囲を走り回ったり、抜刀の動きを繰り返したり、木々の間を跳び回ったりしている。


「だいぶ魔術師が板についてきたんじゃないか、ドン?」

「リンエル、そう買い被らないでくれ。俺だって微調整に必死なんだ」

「でもさ、あたしが今まで見てきた魔術師って、やっぱり共通点があるんだよね」

「共通点? 何だそりゃ?」


 すると、少しばかりリンエルの表情が陰った。


「その……。後悔、かな。それこそ、大切な人を亡くした、とか。自分に力があれば救えたのに、とか。だから、魔術師っていうのも結構危ない人種なんだ。事実、キリアは自分の弱みに付け込まれて、『シャドウ』に身体を乗っ取られてしまったでしょう?」

「まあ、そうだな」

「かと言って、魔術が抹消されればいいかというと、残念ながらそうじゃない。魔術という夢物語なくして生きていけるほど、人間っていうのは強い生き物じゃない」

「……」

「ま、まあ、余計な話だったね。悪かったよ、ドン。今は、キリアを救うためにどうするか、それを考えようか」

「ああ。おーい、デッド! 今日の訓練はここまでだ!」


 気がつけば、あたりはすっかり夕日色に染まっていた。魔力切れを防ぐためにも、今日はこのくらいにしておいたほうがいいだろう。


 いつの間にか狩りに出ていたデッドが、ある程度の食糧を確保してくれていた。変わり映えのしない、兎や鹿の肉。

 だが、俺はそれを有難く頂戴した。食べ物にこんなに感謝をするのは、ごく久々だ。


         ※


 翌日も同じような訓練をして、さらにその翌日、俺たちは決戦当日を迎えた。

 その日は快晴――と言いたかったのだが、すぐさま黒雲が立ち込めてきた。


「おいでなすったようだな」


 デッドの言葉通り、黒雲は泉のそばに凝集し、黒い光を地面に突き立てた。微かな冷たい風が、俺たちの頬を撫でる。そこに極めて強い殺気が混じっているのを、俺たち三人は感じ取った。


 黒い光が、すっと黒雲へと引き戻される。地面には、ひざまずくような姿の人影が一つ。

 見間違いようもない。キリアだ。ただし、服装は全て漆黒で統一され、その表情は冷徹そのものだった。


 俺たちは、その姿を木々の合間から見ていた。が、しかし。


「ッ! 全員伏せろ!」


 デッドに従い、俺は地面に這いつくばる。すると、先ほどまで俺たちの首があった高さに沿って、凄まじい暴風が吹き荒れた。それがキリアの斬撃によるものだと理解するのに、しばしの時間を要した。

 以前、暴走したキリアに斬りつけられた時よりも、攻撃までの隙が小さい。

 

「逃げ隠れするしか能がないのか、人間?」

「お生憎様、キリアを救ってあんたを倒すのに、いろいろと準備があってね」


 リンエルが挑発の言葉を投げる。キリアは『ほう?』と一言。

 そう、準備が必要だったのだ。俺が魔術を行使するまでに。それまでは、どうにかデッドとリンエルに、キリアの気を惹いておいてもらわねばならない。


 無残に斬り裂かれた木の幹の間で、俺はあぐらをかき、じっとキリアを見つめた。


「何だ、魔術師の真似事か? いい年をして、無理をするものだな。酒場の主人風情が」


 そんな言葉は、最早俺の心までは入ってこない。ひたすらにキリアを――正確には、彼女に宿ったワープポインターを見つめ、その動きを追う。そして、魔力を充溢させていく。


 怪訝に思ったのか、キリアは短刀を抜き、一気に俺に向かってきた。地面を蹴ることすらない。完全な滑空だ。しかし、キン、と静謐な音と共に、キリアは飛び退いた。


「何やってんだ、あんた相手はこの俺様だぜ」

「ん? 『シャドウ』の力を得た僕に敵うとでも?」

「だーれがそんな高望みするかよ! とにかく! 今は俺のことだけ見てりゃいいんだ、よっ!」


 通常なら、キリアを一方的に攻め立て得るデッドの斬撃。だが、今の『シャドウ』に囚われたキリアを相手に、そう簡単にはいかなかった。

 速く。速く。もっと速く。二人の斬撃速度は上がるばかりで、他者の介入を許さなかった。


 だが、それでは駄目だ。キリアを救うための大技は、俺にしか出せないのだから。

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