第25話


         ※


 リンエルが俺に施した魔術訓練。それは瞑想だった。

 よく昔話で、瞑想によって岩を持ち上げただの、湖に渦潮を起こしただの、いろいろと聞き及んではいる。

 だが、それらは伝説上の話だ。本当に、似たようなことが俺にできるのか。


 いざ訓練が始まると、俺は弱腰になってしまった。

 しかし、同様に伝説だと言われていた精霊だって、存在していたのだ。だったら、その伝説とやらを信じてみてもいいじゃねぇか。もう若くはないが、自分の可能性に懸けてみるってのも、気分の悪い話じゃない。

 そう思い込むことで、俺は自分を鼓舞しようと試みた。


 かと言って、訓練が簡単であるはずはなかった。


「はい集中―、集中―、集中―……って、ちっがーーーう!」

「どわ! 悪かったよ、リンエル! そうぶたないでくれ!」


 他人のせいにしたくはない。だが、リンエルときたらひたすら『集中あるのみ』である。これには俺も参ってしまった。

 どうしても、『シャドウ』に憑りつかれたキリアの姿が思い出されてしまう。

 これは、雑念の類であり、これが脳裏をよぎる限り、俺は集中を強制的に解いてしまう。いや、解かれてしまう、と言うべきか。


 そうすると、芋づる式に過去のことが思い出されてしまった。妻のこと。娘のこと。

 悲しいものは悲しいが、今更涙も出やしない。


 その時だった。ふっと、木々の間から光が差した。何だかごく久々に、日の光を浴びたような気がする。

 この温もり、心が浮き立つような感覚、どこかで得たような……?


         ※


「おーい、そんなに走るなよ、転んでも知らないぞ!」

「やーい! お父さんも、ここまでおいでー!」

「ふん、全く……」


 俺の視線の先には、年端もゆかぬ少女の姿があった。怪物の出現報告のない、平和な山林。俺と娘は、そこに遊びに来ていたのだ。


「そんなに怒ることはありませんわ、あなた。あの子は私たちの生き甲斐ですもの。寛大な心で接しておあげなさいな」

「そうは言ってもだな……」


 ぼんやりと、状況が把握できてくる。落葉が地面いっぱいに広がっているから、今は晩秋か初冬ということになるだろう。


 ちなみに、妻の声は俺のすぐ下から聞こえてくる。俺は、妻の座った車椅子を押していたのだ。妻は最早、自分で歩くことすらままならないほど、病魔に身体を毒されている。

 俺には疑問だった。そんな状態でありながら、どうしてこんなにも眩しい笑みを浮かべていられるのか。


 逆に言えば、俺は娘を愛しながらも、上手く笑顔を見せることができずにいた。今思えば、とんでもない話だ。作り笑いでも、顔がくしゃくしゃになるだけでもいい。『俺はお前を愛している』という思いを、娘に対して表してやるべきだった。


「さあ、お弁当にしましょうか。ねえドン、私たち母子で作ったのよ。あなたはただでさえ痩せ気味なんだから、しっかりお食べなさい」

「わっ、分かってるよ、そんなことは」


 妻から弁当箱を受け取りつつ、俺は彼女が娘を呼び寄せるのを聞いていた。


 妻の病状が悪化したのは、まさにその三日後のことだった。

 謎の流行り病。咳が止まらなくなり、呼吸困難と診断された。が、治療薬がない。ましてや特効薬などあるはずもない。


 診察にあたった医師は、もってあと一週間だと告げた。


「そう、ですか」


 俺がぽつりと呟く。すると、部屋のドアが微かに開いているのに気付いた。


「まさか……!」


 娘の部屋に、ノックもなしに飛び込む。

 予想通りだった。娘は体育座りをして顔を膝の間にうずめ、必死に嗚咽を堪えていた。


「大丈夫か?」

「……」

「あ、あれはな、お医者さんが厳しい人だからあんなことを言ったんだ。考えてもみろよ、お前のお母さんが、たった一週間で死ぬわけないだろう? お前を残して」

「……いい」

「えっ?」

「もういい!」


 娘は立ち上がり、真っ赤に腫れあがった目で俺を睨みつけた。凄まじい衝撃が走る。まるで、心臓をえぐられるような。

 動けずにいる俺を、娘はどすん、と突き飛ばし、部屋から閉め出してしまった。


 何故か、涙は出なかった。こんなことになっていながら、俺は涙一滴流さなかった。

 どれだけ自分が薄情者なのかと、自問自答に陥りそうになっていた。


 五日と経たず、妻は天に召された。幸い、俺と娘は流行り病に罹らずに済んだものの、それより大きな心の穴を穿たれたようだった。

 娘は学校にも行かず、一日中ぼーっとして『お母さん』と呟くばかり。俺は俺で、仕事に出なければならなかったから、娘に構っている時間がなかった。


 その僅か一ヶ月後、俺はそれを大いに後悔することになる。心の傷口を再度えぐられるような感覚で。


 家に帰ると、数名の保安官と、彼らの乗ってきたと思しき二頭馬車が三台停車していた。

 そのうち一台には白衣を着た人物が数名乗っていて、俺が来たのと逆方向に勢いよく駆けていった。


 俺は、怖気がした。何があったのだろうか。


「あの、保安官さん」

「そうだ、早く治癒魔法を使える魔術師を手配して――」

「保安官さん!」

「わっ! ああ、失敬。どうかなさいましたか?」

「ここで何があったんですか」

「事故ですよ。子供が突然馬車道に飛び出してきて……」


 子供? この近所は子供が少ない。だから娘は、一人遊びをすることが多かった。そのくらい、ここで子供を見かけるのは珍しい。

 ということは。医師と思しき白衣の人物たちの言う、負傷した『子供』とは――。


「あっ、ちょっと!」


 俺は保安官を肩で突き飛ばし、玄関に踏み込んだ。娘の名前を連呼するも、何の反応もない。嫌な予感が、的中しつつあった。


 何だかんだで馬車を捕まえ、俺は急いで診療所へ向かった。そこには、血塗れで骨格の折れ曲がった娘の姿があった。


「ああっ!」


 名前を呼ぶ余裕もなかった。屈強な保安官に押しとどめられながらも、俺は叫んだ。


「どうして! どうして馬車道に出たんだ! あれほど注意しろと――」

「これが原因のようです」

「何故こんな……え?」


 保安官に渡されたもの。それは、ロケットだった。俺と妻と娘の三人で撮った写真が入っている。

 これをたまたま取り落とし、拾い上げるのに夢中で接近する馬車に気付かなかったのか。


 俺はロケットを両手で包み込み、自分の胸に押し当てて慟哭した。


         ※


 気づいた時、俺は首から提げたロケットを開いて、俺と妻子の三人の写った写真を眺めていた。


「おっさん、あんた、そんな目に……」

「ん」


 珍しく気づかわし気に声をかけてくるデッド。リンエルは相変わらずぷかぷか浮かびながら、神妙な面持ちで腕を組んでいる。

 ああ、そうか。いつの間にか声に出していたのか。自分の過去を。


「それからだな。俺は酒におぼれて、悪い連中と付き合うようになった。ちょうどそいつらが集会場を探していたから、保安官たちに顔を覚えられていない俺が代表で酒場を開くことになった。そういうわけだ」


 すると、ふわりと漂ってリンエルが俺の眼前にやってきた。


「ねえドン、あんたがこの話をするのって、何回目? 何人の人に話した?」

「は? 話すわけねぇだろう、こんなしみったれた俺の半生なんて。何が悲しくて、俺みたいな中年絡みの奴の話なんか――」

「それだ!」

「うわっ⁉」


 リンエルの突然の声に、俺のみならずデッドまでもが驚いた。


「誰かに自分の経験を話す! これだ、これだよ、ドン! あんた、よく話してくれたなあ!」

「……?」


 突然歓喜し始めたリンエルを前に、俺とデッドは顔を見合わせる。


「魔術を行使するときの心理状態として、『静けさ』が必要なんだ。要するに、雑念を捨てて心を落ち着かせる、ってことだけど。ドン、あんたは今まさにそういう状態にあるんだよ!」

「と、突然そう言われても」

「あーもう、分かんないかな……。今あたしやデッドに自分の人生を語って聞かせたことで、あんたの心は静まり返ったんだ。波の立ってない、穏やかな湖面のようにね」

「それが、魔術の行使に必要な心理状態……?」

「そうとも! じゃあさ、よいしょっと」


 リンエルは、さっきから俺が持ち上げようと苦心していた石ころを転がしてきた。


「今の状態で、この石を持ち上げてみて!」

「それはさっき無理だったんじゃ――」

「さっきと今は違うよ、ドン」


 真剣そのものといった様子のリンエルの言葉に気圧され、俺はこくこくと頷いた。

 ゆっくりと目をつむる。石が浮かび上がるイメージ。

 

 ここまではさっきと一緒。だが、ここから先は、我ながら意外な展開だった。

 妻と娘の顔が浮かび上がり、その点を中心に、心の波が穏やかになっていく。


 俺は掛け声も、とりわけ意識を強めることもなく、そっと石に触れるようなイメージを行った。

 すると――。

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