第24話【第五章】

【第五章】


「あたしは、キリアが小さい頃からの遊び相手でね。当時のキリアの家、ルイ家は、ここいらでも有数の大貴族だったんだ。元々あたしは人間の暮らしに興味があって、よくその庭園や畑に出入りして、そこで小さい頃のキリアに出会った」


 その当時、キリアは女の子らしい格好をしていて、活発な性格だったという。その姿を想像するのは難しくない。


「ただ、キリアは問題を抱えていた。両親との仲違いなんだ」

「マジで? 貴族でもそんなことあんのか?」

「シッ!」


 デッドを黙らせ、リンエルに話の続きを促した。


「キリアの両親は、愛のない人間なんかじゃなかった。ちゃんとキリアのことを考えて、喜ばせよう、満足させようと、心を砕いていたんだ。でも、何分多忙だったものでね。執事や給仕たちは子供の遊びに対して融通が利かないし、結局、遊び相手になったのはあたしだけだった」

「ああ、ちょっと待った!」


 今度は俺が話を遮ってしまった。しかし、これは確かめておかなければ。


「キリアの両親は、リンエルのような精霊の存在を信じていたのか? その上で、お前にキリアの遊び相手になってほしい、と?」

「そういうことだね」


 大きく頷いて見せるリンエル。


「ふむ、貴族ともあろう立場の人間が、精霊の存在を信じるとは」

「ま、そんなこともあるんじゃねーの?」


 後頭部で手を組んで、デッドがぞんざいに言い放った。が、意外と的を射ているように思われる。

 精霊であるリンエルは、姿形を自由に変えられるし、光のイリュージョンを造ったり、人語を介して秘密の相談相手になったりもできる。


 早い話、精霊の存在を信じた方が、両親にとっては気が楽だったのだ。そしてそれは、キリアにとっても好都合だった。リンエルのことを隠し立てする必要がない。


 間接的とはいえ、両親の『許し』という形での『愛情』を受けて、キリアは魅力的な少女に育った。貴族学院でも、リンエルとの会話で培った話術は、彼女の友人形成に抜群の効力を上げた。

 頭を使うことに慣れていたキリアは、理系的な問題にも積極的に取り組み、全体として、極めて高い成績を上げていた。


 キリアはそれを、父と母、それにリンエルに見せることで、自分のアイデンティティを維持していた。


 しかし、悲劇は唐突に訪れた。

 ルイ邸が、突如何者かに急襲されたのだ。その夜、キリアはたまたま庭園でリンエルと会っており、難を逃れた。

 だが、頼れる親族や資産のないキリアに、行く当てはなかった。


「なあ、どうしてキリアの家が襲われたんだ?」


 ストレッチでもするかのように体側を伸ばしながら、デッドが言う。しかし、ここまで饒舌だったリンエルはかぶりを振り、『それが分からないんだ』と述べた。


「連中にとって、何か狙いがあったことは間違いない。事実、執事や給仕たちは皆殺されてしまったし、金銀財宝が持ち去られたのも事実。だけど、それは一種のカモフラージュなんじゃないかと、あたしは睨んでるね」

「根拠は何だ?」


 短く問うと、リンエルは即答した。


「ルイ邸には、随分な量のお宝があった。にもかかわらず、その売買に関与した悪党には遭遇していない。せっかくのお宝を、換金していないんだ。それに、連中は屋敷を焼き払ってなお、キリアの追おうとしていた。これは、強盗を偽装した誘拐、いや、暗殺計画だったのかもしれない」

「金持ちお坊ちゃんの暗殺、か。当主である父親ではなく、ってことだな?」

「デッドの言う通りだ」


 なんか、俺でも初めて聞く話だな――。そう言って、デッドは腕を組んだ。


「それでリンエル、お前がキリアの右目に宿った、ってのは?」

「ああ、逃げる途中にキリアが転んで、側頭部を打ってね。脳は無傷だったけど、目が激痛と出血で大変だったんだ。もちろんあたしは治癒したかったんだけれど、その日に限って魔術の供給が十分じゃなかった。そこで、キリアの右目のあったところをあたしの居場所として提供させてもらい、お互いに魔力の遣り取りをすることで、あたしたちは契約したんだ」

「契約?」


 目を上げて尋ねると、再びリンエルは頷いた。


「あたしたちの目的は一緒だった。『シャドウ』を駆逐する。それに限る。あたしだって、さっきの闇落ちしたキリアみたいな連中に、仲間を殺されてきたからね」

「そう、なのか。って待てよ、『シャドウ』? キリアの家を襲ったのは『シャドウ』だったのか?」

「後で分かったことだよ。まあいずれにしても、キリアとあたしが契約することになったのは変わらないだろうけど」


 俺はしばし、黙考した。

 今の俺たちの戦力。相手の――闇落ちしたキリアの戦力。そしてキリアが胸に秘めてきた過去。


「どうする、ドン? ここからならあたしのワープ能力で一気に泉まで飛べるけど?」

「いや、遠慮するぜ、リンエル。それより、敵性動物や『シャドウ』の働きに注意を払っていてくれ。リンエルの力を温存して、森を抜けて湖に出る。今から出れば、明日の夕方には着くはずだ」

「なーるほーどなー」


 話を聞いていたのか否か、デッドが剣を弄びながら、妙な節をつけて声を上げた。

 それを無視して、俺は尋ねた。


「リンエル、ここにいる精霊たちに、致命傷を負った者はいるか?」

「いや、自分で治癒できるくらいの傷しか負ってない」

「よし、では出発しよう。デッド、先鋒頼む」

「へいへい」


 こうして、俺たちは再び森を泉まで戻ることにした。


         ※


『精霊の里』から泉への帰途は、実に安全だった。そもそも、危険なのは『闇の城』を取り囲む『闇の森』であって、『精霊の里』近辺の森や荒野には怪物は出てこない――と、聞いている。


 だが、いや、だからこそ、俺は一つ考えついた。


「リンエル、聞いてくれ。俺達には三日間の猶予がある。森を抜けて泉に出るには十分すぎる時間だ。その間に、俺に魔術を教えてくれないか?」

「えっ?」

「は、はあ?」


 リンエルとデッドの二人から、同時に訝し気なリアクションがもたらされる。だが、ここで意志は曲げられない。


「デッドは魔術なしでも十分戦える。一番戦力に欠けるのは俺だ。どうにか俺に、お前らの援護をさせてくれ」

「何言ってんだ、おっさん! 魔術なんて、そうそう簡単に使えるもんじゃねえんだぜ?」

「分かってらぁ、そんなことは」

「デッドの言う通りだ、ドン。付け焼刃でどうにかできる技術じゃない。それにあんたは、ただの道案内が任務だったんじゃないのか?」


 リンエルの言葉に、しかし俺は自信を持ってぐっと頷く。


「その通りだ。だが、俺だって人間だ。気が変わることだってあるさ」

「へーえ、随分と大胆な心変わりですこと」

「ちょっとちょっと! からかうなよ、デッド! でもドン、本気なんだね?」


 確認を求めるリンエルと目を合わせ、俺は大きく一つ頷いた。


「何故気が変わったんだ? 痛めた左足に負荷をかけながらでも戦おうとする、その心根には何がある?」

「大したもんじゃねぇ。ただの所有欲だ。いや、庇護欲、か」


 ぽかんとする二人を前に、俺は語った。


「俺は嫁さんを病で、娘を事故で亡くしている。今までずっと、『失ってきた』人生なんだ。だったら、自分は死んでもいいから、何か一つでも守り通したい。それが俺の中に芽生えた信念なんだ。いや、キリアが与えてくれた希望なんだ。もしこの考えに賛同できないなら、今ここで俺を殺してくれて構わねぇ」

「ああ、そうかい」


 チリッ、と首筋に電流が走った。デッドが剣を抜き、俺の首筋に当てていた。出血はない。だが、皮は切れていただろう。


 俺はここで殺されるのか? 分からない。デッドの気分次第とも言えるし、リンエルの意向によるとも言える。怖くはなかったが、殺されてしまっては本末転倒だという気持ちはあった。


 それでも、ここで俺がキリア救出に向かわなければ、俺は命より大切なものを失うことになる。かつての夫として、父親としての何か。酒場の主人でいるだけでは得られない、かけがえのない何か。


「ふう、分かったよ、ドン。そんな目であたしを見ないでくれ」

「へ?」


 今度は俺が、間抜け声を上げる番だった。


「目……?」

「そうだよ。そんな真剣な目のできる怪物狩りは、僕が知る限りドン、あんただけだ」

「っておいおいリンエル、まさかおっさんの肩を持つ気じゃねえだろうな? これから魔術の鍛錬なんてしてたら、三日どころか三年経っちまう!」

「やるだけやってみるよ、あたしは」

「リンエル……」


 この時の俺には、リンエルが本物の天使に見えた。


「デッド、君には魔術力がない代わりに、キリア以上の身体戦闘スキルがある。プラマイゼロなんだ。そう考えれば、多少身体スキルに劣るドンに、魔術的素養があってもおかしくはない」

「エンリル……」


 デッドは髪を搔きむしり、『勝手にやってろ』と言い捨てた。

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