第21話

 ちょうどその時、リンエルが戻ってきた。


「リンエル!」


 叫んだのはキリアだ。リンエルの方は、先ほどのように担架に乗せられてはおらず、自力でぷかぷか浮かんでいる。


「あっ、長老! 皆に説明はしていただけましたか?」

「うむ、完了しておるよ。お主も同行するのであろう? キリア殿の魔術を支援する者として」

「はい。この世界を守るためにも、最善を尽くします」


 長老は厳しい目つきでリンエルを見つめ、それから大きく頷いて、


「何かご不明な点などありましたら、いつでもお申し付けください」


 と言って、ふっと消え去った。


「よいしょっと」

「あっ、リンエル! 僕の肩じゃなくて、右目に戻ってよ!」

「だってそうしたら喋りづらいじゃん。三人寄れば文殊の知恵、ってね」

「いや、リンエル。お前を除いても三人はいるんだが」

「ぐふっ!」


 俺のツッコミに、リンエルは腹部を折ってぱたり、とテーブルに落ちた。


「そんな冷たいこと言うなよ、ドン! 仲間じゃないか、あたしたち!」

「おい、作戦会議だろ。いつまでも茶番をやってる場合じゃねえ」


 やや殺気立ったデッドの言葉に、リンエルは姿勢を正した。テーブルの上で正座する。

 俺は視線だけでデッドに謝意を伝えてから、『さて』と切り出した。


「一番年を食ってるから、俺から話をさせてもらおう。構わないな?」


 三人は俺と目を合わせ、頷いた。


「よし。俺たちに残された時間は三日間だ。キリアやデッドと同じくらいの戦力を有する仲間を集めるのは無理だと思う。だから、ここにいる四人が、最初で最後のメンバーだ」

「おいおっさん、『最初で最後』ってどういう意味だ?」


 眉をひそめたデッドに向き直り、俺は決然とした表情で言った。


「最初はこの四人だろ? 最後もこの四人ってことだ。誰も欠けることなく、ワープポインターとやらをぶっ倒す」

「でもさマスター、いいのかい、そんな意気込んでも? 相手の戦力は分からないんだよ?」


 確かに、キリアの言う通りだ。こればかりはどうしようもない。

 長老に尋ねようかとも思ったが、もし彼が知っていたなら、さっき俺たちに教えてくれていたはずだ。


「分かってるのは、相手がワープポインターって呼ばれる強力な『シャドウ』だってことだけか」

「そういうことになるね」


 俺の呟きを、キリアが肯定する。

 しばし、俺たちは沈黙した。


「取り敢えず、ワープポインターの居場所とタイムリミットは分かってる。ラーヌス先生のいた泉に戻って、相手を観察して奇襲するしかねぇな」

「賛成だ、あたいは。キリア、お前は?」

「それしかないね。リンエル、戦闘時はよろしく頼むよ」

「合点承知!」


 休んできたせいか、リンエルはやたらと元気である。


「よし。森の中を戻って、泉の近くで待機しよう。敵が現れても突撃するなよ、まずは観察だ。相手を知らなければ、勝てる戦も勝てねぇからな」

「そうと決まれば」


 デッドが立ち上がった。やや気だるげな様子で、欠伸を嚙み殺す。


「戦闘に備えて寝る。長老、一部屋貸してくれ」


 またぽんっ、と現れた長老は、『かしこまりました』と頭を下げ、後を給仕姿の精霊たちに任せた。


         ※


 この『精霊の里』は洞窟の中なので、昼夜の時間帯がよく分からない。だが、体内時計には自信がある。

 これは、冒険者や怪物狩りなら当然のスキルだ。暗闇のような森の中で、休息を取らねばならないこともある。


 俺たちは一人一人が、割と大きな休憩室を宛がわれた。床や壁、それに天井が岩石でできているのが肌に馴染まないものの、贅沢は言っていられまい。というより、この場においてこれ以上の贅沢は望むべくもないだろう。


 俺は風呂を借りて汗を流した。

 この近くには温水が湧き出る地下水脈があるそうで、実にいい湯ではあった。

 が。そんな悠長なことを考えていられたのも、俺が自室に戻り、扉を開けるまでのこと。


 キリアが、いた。――上半身裸で。

 何だ何だこの状況は。いつかのデジャヴというやつか?


 げっそりとしながら、ゆっくりこうべを垂れる。全く、自分の部屋を間違え、よりにもよって着替え中の女性の部屋の扉を開けてしまうとは。

 俺は自分で自分のこめかみを撃ち抜きたくなった。


 何も言わず、振り返って後ろ手で扉を閉める。しかし、その直前に聞こえたのは、そんな俺を引き留める声だった。


「ま、待って! ちょっと待ってよマスター! あ、いや、振り返るのも待って! 今寝巻を羽織るから」

「なあキリア、お前、何が悲しくて自室で素っ裸になってんだよ? まさか本気で、俺をロリコン疑惑で保安官にしょっ引くつもりじゃねぇだろうな?」

「そ、そんなことしないって! よいしょ……はぁ! もう大丈夫だよ、振り返っても」


 脱力感に苛まれながら室内を見やると、長袖長ズボンに身を包んだキリアがいた。どうやら露出狂というわけではないらしい。


「だってさ、マスター。さっき浴場に行ったら、脱衣所がなかったんだよ?」

「女湯の都合など知らん」

「で、でもやっぱり恥ずかしいじゃん! だから部屋で着替えようとしてたわけ」

「恥ずかしいって……。お前、これで俺に裸体を晒すのは二度目じゃねぇか。今更恥じらう必要もねぇだろう。見たいとも思わねぇが」

「う。それって、僕が女性としての魅力に欠けてる、ってこと?」

「解釈は任せる」


 うむむむむ、と両の拳骨をこめかみに押し当てるキリア。そのまましゃがみ込む。

 その時、俺はようやく気付いた。

 キリアの向こう側にある机の上に、俺が風呂に入る前に研いでおいたナイフがあったのだ。

 と、いうことは。


「キリア」

「うぐぐぐぐ……」

「キリア、おい、キリア」

「ん? 何、マスター?」

「ここ、俺の部屋で間違いねぇよな」


 そう問うと、キリアはぱっちり目を開けて、『そうだけど?』と一言。


「……何やってんだ?」

「え? 決まってるじゃん、マスターに添い寝してもらおうと思って」

「ぐぼはぁ!」


 予想外。想定外。思考の遥か斜め上方向。


「なっ、ななっ、なななななっ……」

「ん? どうかした?」

「ふっ、ふざけるのも大概にしやがれ! 誰がてめぇみてぇなガキと添い寝なんか! ってかそもそも、俺は男でお前は女だろう⁉」

「一応ね」


 い、一応って……。俺はしゃがみ込み、先ほどのキリア同様に頭を抱えた。

 確かに、俺の心に疚しいところはない。だが、相手は年頃の女子である。これを気まずいと思わない奴がいるだろうか? あ、いるな。俺の目の前、この件の発案者である女子が。


「マスター、お願いだよ。何だったら、僕は床で寝る。ベッドはマスターが使ってくれて構わないから」

「そうは言ってもだな……」


 俺は後頭部をガシガシと掻いた。

 そんな俺を見つめながら、キリアはこんなことを言い出した。


「マスター、奥さんと娘さんの写真、ずっと肌身離さず持ってるよね」

「ん? ああ」


 いつか宿で見せてやった、ロケットのことだろう。


「僕の両親もね、死んじゃったんだ。写真も残ってなくてね」


 唐突な語り始め。俺はどきりとしたが、キリアの真剣な眼差しを受け、腕を組んで頷いた。よくある話だ。身寄りがなくなって、危険な仕事――今でいう怪物狩り――を目指す若造は少なくない。生存者は少ないが。


「ただ、何て言うのかな……。マスターって似てるんだよ、僕の父さんに」

「はあ……?」


 俺はすっかり困惑してしまった。俺ほど子育てに不向きな人間など、いやしないと思っていたが。

 それ以前に、『父親に似ている』と語るキリアの意図が分からない。

 俺は話題を逸らし、この場から逃れる目的で、どこが似ているのかと尋ねてみることにした。


 しかし、キリアは答えない。いや、答えを模索している最中、と言うべきか。


「何だよ。即答できねぇなら、とっとと自分の部屋に戻れ。何なら俺が別な部屋に――」

「待って!」


 再び呼び止められ、俺はズッコケそうになった。


「何だよしつけぇな! お前の親父もそんなにしつこい奴だったのか?」


 すると突然、室内の空気が変わった。キリアが目を見開き、ごくり、と唾を飲んだのだ。


「似てる……。やっぱり似てるよ、マスター!」

「だからどこが――」

「ツンデレなところが!」


 真面目に尋ねようとした俺が馬鹿だった。中年にもなって、しかも男の身でツンデレ呼ばわりされても、嬉しくも何ともない。いや、ただただ気持ち悪い。

 だが、キリアの目にふざけた色はなかった。真剣に、俺を見つめている。長旅を経て、ようやく見つけた『何か』を凝視するように。


 すると突然、その瞳が歪んだ。光の屈折でそう見えたのだ。原因は、キリアの瞳を覆う涙の膜。それが揺らめいて、俺の心を引き留めた。

 仕方ねぇ、話くらいは聞いてやるか。

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