第22話

「で、どんなだったんだ、お前の親父さんとやらは」

「……」

「キリア?」

「ごめん、よく覚えてないや」


 これがいつもの茶番劇だとしたら、俺はキリアに軽い拳骨を食らわせていたところだろう。

 だが、俺はそんなことをしようとは毛頭思わなかった。


 父親のイメージはあるのに、記憶に残るものはない。何かショッキングな出来事でもあったのだろうか。


 そんな真剣さを以て、キリアは俺に何かを訴えようとしている。

 その根拠。それは、キリアの瞳だ。言葉同様に『目の前の人物は父親に似ている』と、刻銘に語っているではないか。


 ふと、俺は娘のことを思い出した。思い出さずにはいられなかった。

 もっともっと、娘との時間を大切にしていたら。

 せめて家事分担をして、日常生活の雑務を分担していれば。


「あっ、ごめんね、マスター。マスターだって、奥さんと娘さんを……」

「いや、気にせんでくれ」

「じゃ、じゃあさ」


 キリアは寝巻のズボンのポケットに手を突っ込んだ。


「今回の作戦が上手くいったら、ちゃんと話すよ。父さんのことも母さんのことも、僕自身のことも」

「……分かった。ただし、無茶するんじゃねえぞ。分かったら、自分の部屋に戻れ。俺はまだ武器の整備をしなけりゃ――」


 と言いかけたその時。俺は驚きのあまり、跳び上がりそうにになった。

 キリアが、俺に抱き着いてきたのだ。


「ちょっ、キリア⁉」

「さっきから謝ってばっかりだけど、ごめん。少しだけ、こうしていてもいいかな、マスター」


 その言葉は丁寧で穏やかだったが、俺に対しては有無を言わさぬ迫力があった。

 いや、迫力じゃない。一種の『願い』『祈り』と言った方がいい。


 俺はおずおずと、キリアの背中に腕を回した。

 自分の娘だったら、思いっきり抱きしめてやれたのにな……。


 そんな戸惑いの時間は、しかし唐突に終了した。キリアが俺を手放したのだ。その顔には、幾本もの涙の流れた跡が残っている。


「ありがとう、マスター。ちょっと落ち着いた」

「お、おう」


 ん? 『ちょっと落ち着いた』? ということは、何か『落ち着かない事柄』があったということか。何だろう。

 そうか。きっと最終決戦の日取りが決まったことだ。現実が恐怖を伴って迫りくる。その具体的な日程が把握できてきたところで、恐ろしさが込み上げてきたのだろう。

 まだまだ子供なんだよな、キリアも。


 ドアに向かうキリアに、俺は声をかけた。


「なあ、まだその気があるなら、ここで寝てもいいぞ?」

「えっ……」

「お前はベッドを使え。俺は床でいい」

「そんな! マスターに悪いよ!」

「俺がそうしろって言ってんだ。いいから、子供は早く寝ろ。明日はまた、森を抜けなきゃならねぇからな」


 キリアは俯き、視線を彷徨わせながら『分かった』と一言。

 ベッドから穏やかな寝息が聞こえてきたのは、俺がリボルバーの整備を終えた頃だった。


         ※


「ちょっとちょっとぉ! あんた、キリアに変なことしてないでしょうね⁉」


 翌朝、皆より先に部屋を出た俺を待ち構えていたのは、リンエルだった。


「変なこと? 馬鹿言え、ゆっくり休ませてやった、それだけだ」

「ふふーん? あたしはキリアの右目で休んでたからよく分からないけど、起きたらあんたがいるんだもの。宿主としてのキリアの心配をするのは当然でしょう?」

「まあ、気持ちは分らんでもねぇがな」


 俺のあっさりとした返答に、リンエルはずいっと顔を近づけてきた。『ほらやっぱり!』と言わんばかりに。


「それより、お前の宿主はまだ寝てんのか? 珍しいな」


 と言い終えた直後だった。もう一人の仲間が、自室から出てきた。


「ういーっす」

「おう、デッド。よく眠れたか?」

「ん。寝心地はなかなかのもんだったからな。そんで、この状況は何なんだ? リンエルがおっさんを責め立てている様子だが」

「それはだな、俺の部屋に勝手にキリアが――」

「聞いてよ、デッド!」


 俺の解説を遮り、リンエルが語りだした。まるで機銃掃射のように。


「このおっさん、年甲斐もなくキリアと寝たんだよ!」

「バッ、馬鹿! 誤解を招く表現をするな! 俺は床で、キリアはベッドで寝てたんだ。何も疚しいところはない!」


 デッドは俺とリンエルを、じとっとした目でつま先から頭のてっぺんまで見渡した。


「確かにねえ、あたいはおっさんに同意かな。こんな中年男は鈍感そうだし。それに、キリアは渡せねえ」

「渡せねえって、お前は保護者かよ……」


 取り敢えず、多数決で二対一。俺の疑惑は晴らされた。


「これで分かったろ、リンエル。俺は疚しいことなんかしてな――リンエル?」


 渋々頷くであろうリンエルの姿を予想していた俺。しかし実際は、沈黙した彼女の姿に見入る結果となってしまった。


 リンエルは、極めて厳しい顔をしていた。眉間にしわを寄せ、目を凝らし、口を真一文字に結んでいる。


「どうしたんだ、リンエル?」

「シッ!」


 リンエルはふわふわ漂いながら、目をつむって両手を眼前に差し出した。見えない力を感知しようとするかのように。


「――マズいな。ドン、デッド。キリアの……じゃない、ドンの部屋に戻って! 何かが起きてる!」

「何かって何だよ!」


 俺が怒鳴りつけると、しかしリンエルはすぐさま飛翔していった。


「仕方ねえ、俺たちも行くぞ!」

「ああ!」


 リンエル、俺、デッドの順で、俺の部屋に向かっていく。キリアがまだ眠っているであろう、その部屋に。


「開けて!」

「ああ!」


 小柄すぎてドアノブを握れないリンエルに代わり、俺はノブに手をかけた。が、


「封鎖されてる! 鍵がかかってるってレベルじゃねえぞ、こいつは!」


 結界。魔術の初歩的な技でありながら、極めれば極めるほどその練度を上げることのできる術だ。これでは、体当たりや銃器での破壊は困難だろう。


 と思った矢先、バゴン! と轟音がして、扉が吹っ飛んできた。蝶番の部品が散らばり、甲高い音を立てる。


「くっ!」


 俺は腕で頭部を覆い、扉の破片から身を守る。致命傷には程遠い。だが、この扉を一瞬でぶち破る勢いの攻撃魔法を直に食らったらどうなるか。


「キリア! キリア!」


 リンエルが懸命にその名を繰り返す。そして、扉の破片をひょいひょいと回避しながら、室内に飛び込んでいく。

 俺とデッドも、すかさず足を踏み入れる。


 そして、そこに展開されていた惨状に、自らの目を疑った。

 精霊たちが、地に伏している。皆、微かに動いていることから、絶命してはいないのだろう。だが負傷し、酷く弱っていた。


「こ、これは、一体……」

「やあ、マスター」

「キリア? 何があったんだ? 『シャドウ』の襲撃か?」

「まあ、似たようなもんかな」

「それってどういう――」


 この期に及んで、俺はようやく顔を上げた。そして見た。そこに立っている、真っ黒な鎧に身を包んだ人間を。


 頑強そうな鎧を纏いながらも、どこか優雅さを感じさせる。

 右手には長剣を握り、無造作にぶら提げていた。

 そして、両目を覆うような顔面プロテクターを装備し、その下にある口から言葉を発している。よりにもよって、キリアの声で。


 背後で鋭利な音がする。


「どいてろ、おっさん!」

「デッド! 何する気だ?」

「こいつは『シャドウ』だ! ぶっ倒してやる!」

「ま、待て待て! キリアだ! キリアの声、お前も聞いただろう?」

「だから分かってる! キリアは『シャドウ』に乗っ取られたんだ! 心に隙を作っちまったんだろう!」


 キリアとデッドを交互に見つめながら、俺は問うた。


「じゃあ、早く助けねえと! 何か方法があるんだろ、キリアから『シャドウ』を引き剝がす術が!」

「あたいの知ったこっちゃねえ! あたいには魔術特性がないんだ! それに、今のキリアは精霊たちから魔術力を吸収している! それが物理的エネルギーに変換される前に倒さねえと、被害が大きくなるばかりだ!」


 俺は、自分の顔から血の気が引くのを感じた。


「まさか、今ここでキリアを殺すつもりなのか?」

「でなきゃ抜刀しねえだろう! ここは狭いし、一撃で奴を仕留められれば……!」

「さて、もう話はいいでしょう? 僕も混ぜてよ。取引だ」

「と、取引?」


 俺がオウム返しに尋ねた、まさにその時。


「くたばれ!」


 俺を突き飛ばし、デッドが剣をキリアに突き立てた。左胸、心臓だ。

 キリアは即死だっただろう。もし、結界を展開していなければ。


「なっ!」

「だから言ったじゃん、デッド。武器を置いて、取引しようって。もちろん、デッドが死にたくなければ、という制限はつくけれど」

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