第20話

(よくぞ戻った、リンエル。歓迎致しますぞ、人間のお三方)


 俺は正面を見続けた。この声の主が何者なのかは分からないが、下手にきょろきょろするよりはいいだろう。無礼ではないだろうし、何よりこちらが弱気でないことを示すことができる。


 その声の主は、思いの外近くに現れた。

 ぽんっ、と軽い音を立てて、白っぽい小さな人影が登場したのだ。デッドの鼻先に現れたが、デッドは瞬きを繰り返すだけ。


「おや? 驚かれないでいらっしゃるところから察しますに、歴戦の武人であるものとお見受けいたしますが、いかがかな?」


 そう言って、白い人影は笑みを浮かべた。若くはないが、老いを感じさせるほど衰退してはいない。

 短い白髪に同色の顎ひげを生やし、柔和な表情を崩さない。衣服は白い布を纏っており、そこには染み一つ見られなかった。


「自己紹介させていただきたいのですが、人間には発音が困難ですので、私のことは『長老』とでもお呼びくださいませ」

「あ、あの!」


 最初に話題を切り出したのは、キリアだった。


「僕を助けてくれた精霊の――リンエルを癒してあげられませんか? 彼女の助力がなければ、僕たちはとっくに……」

「承知しております。さあ、リンエル。出ていらっしゃい」

「分かってますよ、長老」


 毎度のごとく、リンエルはキリアの眼帯をずらしながら出てきて、ふわふわと漂った。


「無茶をしすぎじゃ、リンエル」

「す、すみませぇん……」

「医療班、この者を負傷者処置の魔法陣へ」


 すると、白衣に身を包んだ精霊が三人現れて、魔術で担架を編み上げた。二人が担架にリンエルを載せて運び、残る一人がリンエルの様子を仔細に観察している。


「さて、あなた方がいらっしゃることは予期していました。ラーヌス殿が倒れ――」

「僕のせいなんです!」


 洞窟に、キリアの声が響く。それだけで、周囲の空気を斬り刻めるほどに痛々しい声音だ。


「僕が、両親が襲われた時のことを思い出して、パニックになって……」

「そこまで」


 長老は、すっと右手を掲げて掌をこちらに向けた。しばしの間、目を閉じたまま沈黙する。肩を震わせるキリアに向かい、『左様でしたか』と一言。


「キリア殿、あなたにはそんな過去があったのですね。ドン殿にはまだお話されていないようですが」


 って、ちょっと待てよ。この爺さん、キリアに、自分の過去を俺に対してひけらかすように迫ってるんじゃねぇだろうな?

 そんなもん、聞かされるなんて真っ平ご免だ。キリアが話したければそれでいい。だが、無理に語らせようとするのは、あまりにも酷だ。

 ん? だとすると、デッドは既に知っているのか? キリアの過去を?


「失敬、ドン殿。キリア殿に、無理やり話をさせようとしているように見えたでしょうか?」

「あ、ああ」


 唐突に図星を突かれて、俺は何故か狼狽した。心を読まれている?


「ご心配なく。我々精霊とて万能ではありません。ドン殿の頭の中で、最も強く現れた感情を読み取るのが精一杯です」

「そう、なのか」

「あなたのお気持ちは分かります。キリア殿に、過去を話すことについて強要したくはないと」


 俺は黙って唾を飲んだ。


「大丈夫です。そのことについては、キリア殿に一任します」

「そ、そうだよマスター! 僕は、その……ちょっと今は話しづらくて」


 確かに。周囲の耳目もあるしな。


「分かった。気持ちが落ち着いたら話してくれ。嫌なら無理に話してくれなくてもいいからな」


 するとキリアは、ほうっ、とため息をついて、両手を組み合わせて胸に当てた。


「只今、お部屋を準備いたします。そこの椅子におかけになってお待ちください」


 そう言うと、長老は現れた時と同様、ぽんっ、と音を立てて消え去った。

 振り返ると、結晶を切って造られたと思しき椅子とテーブルが並んでいた。


 どうして人間用の応接セットがあるんだ? 精霊たちは手足こそあるものの、俺たちよりずっと小さな存在だ。この応接セットなど、彼らから見れば巨人専用のスペースに見えるのではなかろうか。

 客人不在の椅子とテーブル。どういうことだろうか。


 沈黙する俺たちの、凝り固まった空気。それを打ち破るように、三人の精霊が現れた。

 三人共女性で給仕服を着ている。そのうち一人が両腕を掲げ、自分たちが使うにしては大きすぎるコップを浮かばせていた。


「この洞窟、夏場でも意外と冷えるんです。このお茶は冷たいですが、身体の冷えを抑える効用があります。どうぞ召し上がってください」

「あ、す、すまない。一つ訊きたいんだが」

「はい?」


 俺は給仕の一人に声をかけた。さっきから痛いほどの沈黙に苛まれ、息が詰まりそうだったのだ。しかし、


「詳しい説明は、長老の方からございます。しばしお待ちを」


 と慇懃に頭を下げられて、俺は何も言えなくなってしまった。


 そもそも、俺たちはどうして『精霊の里』に来たのだったか? 

 もちろん、リンエルの回復、というのは重要事項だ。だが、それだけではない。


 そう、情報だ。

 一体どこから、『シャドウ』たちが降って来るのか。それはいつのことなのか。そして何より、ラーヌス亡き今、それを防ぐ手立ては存在するのか。


 俺が黙している間にも、キリアはちびちびと、デッドはぐびぐびと出された液体に口をつけている。毒見させたようで恐縮だが、問題はなさそうだ。

 俺もカップを持ち上げ、こくり、と一口飲んでみた。ふむ。特別な味はないが、極めて清々しく、心も身体も磨かれていくような感覚がある。


 俺は今さっき脳裏に浮かんでいた疑問を整理して、再び長老が現れるのを待った。


         ※


「これはこれは、お待たせ致しました」


 再び軽い音を立てて、長老が現れた。


「リンエルは? リンエルの容体は⁉」

「心配ご無用です、キリア殿。もう既に、魔術を完全に行使できる状態にあります。早く出発させろと言うので、落ち着かせるのに苦労致しました」


 にこやかな長老に、俺は落ち着いた、しかし鋭い目を向けた。


「長老、尋ねたいことが三つあるんだが」

「はい。こちらもできうる限りの返答を持ち合わせております。では、どうぞ」


 咳ばらいをして、俺は語りだした。


「まず、ラーヌス亡き今、『シャドウ』たちはどこからやって来るつもりなのか。それを伺いたい」


 すると、途端に長老の顔が苦悶に歪んだ。


「長老?」

「失敬、実はそれが、世界中のどこにでも、という予測的結論に至りました」

「……は?」


 間抜けな声を上げたのはデッドだった。


「どういうことだ? 世界中って……」

「端的に申し上げまして、天界は既に死者の『魂』で飽和状態。それらが、現界のどこに零れ落ちるか、また、どの境目に穴が空くか、分かったものではないのです」


 デッドは舌打ちをして、なんてこったと呟いた。


「長老、質問二つ目だ。その『シャドウ』たちの降臨はいつぐらいになる? 我々に残された時間的猶予は?」

「あと三日でしょう」


 これには即答されてしまった。

 完結に言えば、残り三日で現界は天界から殺到した『シャドウ』共に埋め尽くされる。


 俺は、胸の奥に寒々とした感覚を得ながらも、最後の質問をした。今更馬鹿みたいだが。


「それを食い止める方法は?」

「あります」

「そう、だよな。そんなものがあったら誰も苦労しな――って、え?」

「あるのです。『シャドウ』の大量進出を防ぐ方法が」


 俺はがたん、と立ち上がった。しかし、それよりも早く口を開いたのはキリアだった。


「どっ、どうすればいいんですか⁉」

「今回、ラーヌス殿の死去という事態に対し、実際のところ『シャドウ』たちも慌てています。予想外だったのでしょう。となれば、まずはラーヌス殿の死を確認すべく、少数精鋭部隊を送り込んでくるはずです。あの泉の畔にでも」

「で、でもさっき、あんたは言ったぜ? 『シャドウ』は世界中から降りてくると」

「仰る通りです、デッド様。問題は、先遣隊である少数精鋭部隊を撃退し、同時に『ワープポインター』を駆逐するにはどうしたよいか、ということです」

「ワープポインター?」

「左様です、ドン様。これは便宜上付けた名前に過ぎませんが、天界と現界を結ぶ役割を果たしている存在を、我々はそう呼んでいます。もちろん、彼ら全員が悪いのではありません。むしろ、死者の魂を天界に導く、尊い存在です。しかし、不届き者はいつ、どこにでもいるものです」

「つまり、『シャドウ』を送り込もうとしている悪徳ワープポインターを倒せば、驚異は薄らぐ、と?」

「仰る通りです」


 なるほど。俺は再び頭を高速回転させた。俺たち三人は、どう立ち回るべきか。

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