第19話

 あんたも苦労してるんだな。そう言ってやりたかったが、すんでのところで取り止めた。

 皮肉っぽく聞こえてしまったら即死させられるかもしれない、と思った。だがそれ以上に、同情していると思われるのが嫌だったのだ。


 俺もデッドも、大事な家族を喪っている。では、キリアはどうなのだろう?

 このゆったりした空気の中なら、話甲斐があるかもしれない。だが、こちらから聞き出す気には到底なれない。


「デッド、あんたは知ってるのか? キリアの過去のこと」

「さあな」


 デッドは再び寝っ転がり、後頭部で腕を組んだ。


「ま、信用してくれれば自然と話すだろうさ。東洋の言葉にあるぜ、『鳴かぬなら 鳴くまで待とう ホトトギス』ってな」

「ほう、随分博識なんだな」

「意外か? それとも嫌味か?」

「違う違う。デッド、お前が腕っぷしが強いだけの賞金稼ぎじゃねぇんだと分かって、安心したまでだ。それ以上でもそれ以下でもねぇよ」

「ふあ……そいつはどうも……」


 その言葉を最後に、デッドも寝息を立て始めた。俺はふっとため息をつき、周辺の警戒任務に戻ることにする。

 キリア、俺はお前をどうしても守ってやりてぇが、俺にはそんな大した力、ねえからなぁ。こればっかりは勘弁してくれ。


         ※


 翌日、明朝。

 うつらうつらしている俺は、ぺちんと頬を叩かれた。


「ん? んあ?」

「おはよう、マスター。今日は顔色がいいみたいだね」

「ああ、キリアか……。デッドは?」

「斥候に出てくれてる。『精霊の里』は神聖な場所だからね、下見しておかないと、部外者として吹っ飛ばされちゃうんだ」

「吹っ飛ばされる? どういう意味だ?」

「うーん、テレポーテーションの一種、かなあ。まさか、突然『闇の森』の中に飛ばされることはないだろうけど、今までの旅路が無駄になっちゃうかもしれない」

「おいおい、勘弁してくれよ……」


 俺は眉間に皺を寄せ、指先で軽く揉んだ。


「ああ、でも気にしないで。リンエルが、少しは回復したみたいなんだ。彼女は精霊の仲間だから、すぐに僕たちを里へ入れてくれるよ」

「ちょっとちょっと! あたしを買い被らないでもらいたいんだけど!」

「どわっ!」


 キリアの眼帯を押し退けるようにして、リンエルが現れた。最初に会った時とさして変わらない格好だが、どうだろう。よく見れば、元々半透明だった身体が、より薄くなっているように見える。独力で回復するには、まだ時間がかかりそうだ。


「先生が亡くなった今となっては、精霊の力を借りて、なんとかこの場を凌ぐしかない。それで、天界と現界の境目を塞ぐんだ。そのために、デッドが斥候の任務に――」


 キリアのその言葉は、呆気なく中断された。


「おーい、こっちは大丈夫だ!」


 デッドの声。やや離れたところで、腕を大きく振り回している。

 なるほど、一面の荒野の中に、木々の密生地帯がある。あれが、『精霊の里』の入り口か。

 

「よし、行くぞ、キリア。リンエルもな」

「あたしに命令しないでよ!」


 その時だった。俄かに空が暗くなった。背筋が震わされたのは、急激な気温低下のためだけではないだろう。そんな不吉な、真っ黒い雲が、俺たちの頭上に覆い被さろうとしていた。


 ぴしゃり、と凄まじい光が、俺に襲い掛かる。幸い腕を目元に翳したお陰で、視力は無事だ。それでも、視野全体に薄く白い膜が張ったような感覚は振り払えない。

 ゴォン、という音が聞こえてきて、俺はようやく事態を察した。落雷だ。俺たちは雷に狙われている。


「あんな奴の相手をするのか⁉」

「マスター、使って!」


 振り返ると、短剣が勢いよく投擲されてきた。


「ぎゃあ! 何しやがるんだキリア! 殺す気か!」

「違うよ! それを頭上に翳していれば、感電死は免れるから!」


 そうか、そのために短剣を寄越したのか。しかしその頃には、俺たち三人は完全に防戦一方だった。


 俺は枯れた木の幹に身体を隠し、視力を奪われないよう注意しながら、無形の雲状敵を観察した。

 あの雲は、落雷を発する度に渦を巻く。ちょうど渦の中央にある真っ赤な球体、コアとでも言うべき部分を露出させ、そこから雷を放っているかのようだ。


 ということは、奴の弱点はそのコアだ。だが、コアは通常、黒い雲に包みこまれているし、攻撃の瞬間、コアが露出した隙を突くのは難しい。

 しかし、キリアとデッドの連携に緩みはなかった。


「キリア、付与魔法だ!」

「ああ!」


 爆音のような音を立てる落雷。その合間を縫って、二人の声が聞こえた。『付与魔法』? 何をするつもりだ?


 俺が見つめていると、キリアが得物を仕舞って屈み込み、何やら呪文を詠唱し始めた。デッドはそんな彼女を落雷から守っている。

 数秒ほどが経過しただろうか、キリアを中心に、しかしやや狭い魔法陣が展開された。キリアはさっと飛び退き、そこにデッドが着地する。

 すると、デッドの身体に魔法陣が纏わりついた。とりわけ、そのコンバットブーツの底から膝下まで。


 すかさず落雷が、デッドの頭上から降り注ぐ。これをデッドは、半月型に剣を振るうことで両断し、跳んだ。


 それは凄まじい跳躍だった。人間が、生身では至ることのないような高度にまで、まるで弾丸のように飛んでいく。


 まさか地上から、攻撃対象が跳んでくるとは思わなかったのだろう。黒雲の中のコアは再度雷を放った。しかしそれは、全く無関係な場所に落着し、乾いた大地に砂埃を立てた。

 

 デッドの三日月斬りで、既に真っ二つにされていたからだ。

 グオォォォッ、と獣じみた声を上げて黒雲は散り散りになり、コアもさっと粉状になって、完全に消え去った。


 しばしの間、沈黙が訪れた。

 それから、荒野を舞う鷲の鳴き声が、遠く、そして近く響き始める。

 

「やった……のか?」


 再び蚊帳の外だった俺にはよく分からない。だが、キリアもデッドも、心底喜んでいる、と言う様子ではなかった。

 俺はあたりを警戒しながら、二人に近づいていく。


「な、なあ、何か問題でもあるのか?」

「大問題だな」


 おずおずと声をかけた俺に顔を向けたのは、デッドの方だった。


「あたいたちの目指す『精霊の里』はもうじきだ。こんなところにまで、『シャドウ』の部下が手を回してくるとは、予想より連中の動きは早い。先生がいなくなったのに乗じて、組織的に動き出している。あたいらも急がねえとな」


 とっくに目を覚ましていた俺は、慌てて背嚢を拾い上げた。早く精霊の力を借りて、エンリルを復活させ、敵を倒さねば。

 そして、天界から『シャドウ』たちの降りてくるのを迎撃しなければ。


 俺の考えを読んだのか、キリアが説明した。


「先生の言葉だけど、もし先生がいなくなっても、しばらくの間は『シャドウ』の斥候が降りてくるだけなんだ。その間に、先生が展開していたのと同じ魔術障壁を造ることができれば」

「また現状維持に戻せる、と?」


 頷くキリアの右目から、再びリンエルが飛び出してきた。


「それはあたしたちに任せなさいな! ラーヌスとあたしたちには絆があったんだ。『自分の身に何かあったら、よろしく頼む』ってことは、常々言われていることでね」

「ほ、本当か⁉」

「そんなに驚かないでよ、ドン。ま、いいや。とにかく、もうじき『精霊の里』には着くわけだし、皆で話し合おうよ」

「そうだな、それがいい」


 ぱちん、と指を鳴らしたのはデッドだ。

 俺がキリアに振り返ると、無言で頷いた。


「よし……。『シャドウ』がまた攻めてくる前に、『精霊の里』で匿ってもらいたい。リンネル、構わないか?」

「モチのロン! ただ、もし『シャドウ』が本格的に攻め込んできたら、どうなるか分からないよ。情報収集も兼ねて、迅速さが重要であることには変わりないね」

「了解だ。皆、行くぞ」


 リンエルがするりとキリアの右目に引っ込むのを見てから、俺たちは前進を開始した。


         ※


「これが、『精霊の里』への入り口なのか?」

「そ」


 短く答えるリンエル。

 荒野の中の森林に踏み込んだ俺たちの眼前には、地下へと続く洞窟があった。縦横ともに、大きく口を開けている。

 中を覗き込むと、一種の鍾乳洞のような場所が広がっていた。ただし、出っ張りを形成しているのは、鋭い結晶状の物体である。

 それらが主に地面から、七色の光を発しながら生えている。まるで、剣が先端を上に向けて、地面に半分埋まっているかのようだ。


 と、言葉で説明するとこんな感じになるのだが、俺たちは呆然とその眺めに見入っていた。

 あまりにも美しかったがゆえに。


「あーっ! やっと帰って来れたーっ! たっだいま~、皆!」


 陽気な声を上げるリンエル。それに対し、洞窟内は静まり返っている。


「なあリンエル、お前ってもしかして嫌われ者?」

「ちょっ、ドン! そんな酷い言い方しないでよ! あたしだって傷つくんだからね!」

「へいへい」


 と、いう馬鹿げた会話をしていると、頭の中に声が直接入ってきた。

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