第18話【第四章】

【第四章】


「ねえ、お父さん」

「ん?」

「お母さんはあたしを産んで、身体が弱って死んじゃったんだよね」

「そ、そんな! ああ、いや、どうしたんだ、突然?」

「あたしさえいなければ、お母さんは死なずに済んだのかな、って。あたしが代わりに死んでいれば、お父さんが毎晩一人で泣いているのを見なくてもよかったのかな、って」

「ばっ、馬鹿言うんじゃねぇ!」


 俺は目の前の少女――亡くなったはずの娘の前に、ずいっと一歩近づいた。


「お母さんはただ死んだんじゃない、お前をこの世に、俺の下に送り届けてくれたんだ! それが分かるなら、二度とそんな口を利くんじゃ――」

「じゃあ、あたしまで死んじゃったらどうするの? 事実、そうなったわけだけど」


 ぐっ、と喉がつまる。まるで、剣の鞘で喉仏を突かれたかのようだ。


「やっ、止めろ! 俺はそうして、何もかも失って、悪い仲間と飲むようになって、森の近くに店を開いて……。だが決して落ちぶれたわけじゃない!」

「さあ、どうだろうね?」


 娘は嫌に大人びた所作で肩を竦めた。


「あたしの未練はね、お父さんを悲しませてしまったこと。だからお父さん、お父さんも気を楽にしていいんだよ? 他人の不幸を嗤ったっていいんだよ? 自分はもう、散々不幸に見舞われたんだからさ」


 その直後、娘の背後から、『シャドウ』の腕が無数に伸びてきた。


「う、わっ!」


 俺は反射的に腰に手を遣ったが、肝心のリボルバーがない。

 顔を上げると、黒い腕はたくさん伸びてきていた。逃げられない。呑み込まれる。誰か、助けてくれ――。


         ※


「うわあっ!」

「あっ、マスター!」

「おい大丈夫か、おっさん!」


 上半身を跳ね上げてあたりを見ると、キリアとデッドが俺を見下ろしているところだった。


「夢……」


 汗まみれになった額を、俺は掌で拭う。呼吸が荒い。心臓が喉元で鳴っている。今にも胃袋が破裂しそうだ。


「今は朝の六時だよ、マスター。これから出発するのに、マスターを起こそうとしたら苦しみ出して……」

「ああ、そうか。見苦しいところ、悪かったな。俺ならもう大丈夫だ」

「おっさん、それは本当なのか?」

「悪夢を見たくらいでへばっていたら、道を進もうにも進めねぇ」

「そりゃあそうだろうけどよ」


 そっと身を引いたデッドに代わり、俺はキリアに目を遣った。


「どうしたの、マスター? 水でも飲む? 本当に酷い夢だったみたいだし……」

「いや、構わないでくれ」


 まさか言えるわけがないだろう。夢に現れた娘が、今のキリアと同年代だった、だなんて。


         ※


 それから森を抜け、俺たちはまっすぐに『精霊の里』を目指した。途中の市街地で買い物をしたり、武具の整備にあたったりする。

 休憩となり、俺は今度こそ男湯に入って、しっかり汗を流した。しかし――。


「デッドは金で動くような飄々とした奴だよな。どうしてラーヌスには、あんな忠義を尽くすみたいな態度だったんだ?」


 もしかしたら彼女にも、ラーヌスに拾われたかというような過去があるのかもしれない。

 本人の機嫌がいい時に、それとなく訊いてみるか。酒で相手を酔わせるのは、得意中の得意だ。


 屋台で昼食と保存食を買い揃え、俺たちは再び街を出た。その先にあったのは、荒野である。これなら、『シャドウ』が地面を這ってきても、すぐに気づけるだろう。

 念のため、今度は俺が番をする形で睡眠を取った。俺なんかが起きていても、何の防御策にもならんだろう。が、キリアとデッドには、少しでもいいから気を休ませてほしかった。

 とりわけ、キリアには。全く、変な夢を見ちまったもんだ。


「なあ、おっさん」

「うおっ!」

「馬鹿、デカい声出すなよ! 声をかけただけじゃねえか」


 デッドがこちらを見上げている。後頭部で組んでいた腕を伸ばして上半身を起こし、座り込む。


「で、な、何だよ」

「まあ座れよ。話そうぜ」


 俺は視線とリボルバーの銃口を合わせ、ぐるりと周囲に警戒の目を光らせてから、デッドの正面に座した。


「で? 話って何だよ、デッド」

「なあに、つまらねえ過去話さ。さっき聞かされちまったんだよ、キリアに。あんたが嫁さんと娘さんを亡くした、ってことを」


 どきりとして、俺はさっと胸に手を遣った。


「ああ、あたいが無理やりキリアから聞き出したんだ。あいつがべらべら喋ったわけじゃねえ。勘弁してやってくれ」

「どうして俺にそんな話をするんだ?」

「パーティメンバーとして、互いに心を柔らかくしておくのは重要だ。先生のお言葉だけどな。そうして、あたいはあんたの過去を知った。だが、フェアじゃない。あんたにも、あたいの過去話を聞いてほしいのさ。だがその前に、あんた本人の口から過去ってもんを聞いておきたい」

「そう、だな。じゃあ、俺から補足も兼ねて、語らせてもらおうか」


 十数年前、娘を亡くしてから、俺は怪物狩りになった。

 自暴自棄だった。このまま生きるくらいなら、いっそ生死の境目がはっきりしている方がいい。人思いに殺してほしい。そんな気持ちだった。


 最初は右も左も分からなかったが、敢えて危険な遊撃要員として様々なパーティでの戦闘に参加した。そうして、多くのことを学んできた。いい儲けにもなった。


 ある大規模作戦で、多くのパーティが合同で怪物狩りに出た際、メンバーの一人が、怪物に左足を斬り飛ばされた。

 俺は彼を救うべく飛び出し、無茶な着地をしたために、左足首から先を駄目にしてしまったのだ。


 そんな俺を支援してくれたのが、酒屋の常連たちだ。

 連中は粗暴で喧嘩っ早かったが、情には厚かった。そうでなければ、『闇の森』に近いからと言っても、俺に一軒家を建てられるほどの資金援助をしてくれたはずがない。


「こうして、街中の商店店主から怪物狩りになり、怪物狩りから酒屋の店主になり……。三度目の人生だな」

「ふむ」


 デッドは思いの外、熱心に聞いてくれた。よく頷いてくれたが、話を遮ることはしない。まさに理想的と言っていい聞き手だった。


「んじゃ、次はあたいの番か」


 ふわっ、と欠伸を一つして、デッドは語り出した。


「おっさんも知っての通り、あたいは金で動く人間だ。悪党の首を刈る。怪物の臓物をえぐり取る。場合によっちゃあ、『シャドウ』の相手だってする」


 それで、『シャドウ』の腕の弱点を知っていたのか。


「なにぶん、うちはドが付くほどの貧乏一家でな。あたいは三人の弟妹を支える長女だったから、金にはすっかりうるさくなっちまった。銅貨一枚でもいい。稼いで稼いで、両親と弟妹に楽をさせてやりたかった。そこに舞い込んだのが、怪物狩りの話だ」


 俺は眉を上げた。口を挟みこそしなかったが、何だか俺と境遇が似ている。


「あんたと一つ違ったのは、ロクな仲間ができなかった、ってことだ。ガキはパーティに入れられねえって、突っぱねられてばかりいた。だから、俺は皆に実力を見せつけるために、一人で洞窟に跳び込んだ。武器は今とさして変わらねえ」


 顔を上げ、星空を見上げるデッド。


「気づいた時には、あたいの視界はお星さまでいっぱいだった。怪物にぶん殴られたんだとはすぐに分かったよ。けど、誰も助けに来ちゃくれなかった。あたいみたいなガキ、一人死のうが二人死のうが、この世界ではどうでもいいことだったんだ」

「そ、そりゃあ……」


 デッドが無念であったであろうことは、想像に難くない。だが、他者を助けられるほど余裕のある怪物狩りだって、そうそういるものではない。


「そこで拾われたのさ、先生にな」

「ラーヌスに?」

「ああ。頭の中に不思議な、心地いい声が響いて、気がついたら周囲の怪物共は皆ぶっ倒れてた。そこから記憶はあやふやなんだが、あたいはあの湖のほとりで横たわっていたんだ。瞬間移動の魔術でもかけられたのかもしれない」


 それからしばし、デッドは来た道を振り返った。荒野が続いているだけだが、方角的にはあの泉があった方面だ。


「そこで先生――ラーヌスに告げられた。お前の家族は、怪物の被害に遭って命を落としたんだと」


 絶句する俺。そんなの、俺の過去話よりも酷いじゃねぇか。

 沈黙を避けるためか、デッドは話を続けた。


「あたいは先生に訊いた。あんたは魔術師なのかと。もしそうなら、俺に戦闘魔術を教えてくれと。もちろん、それで家族の仇を討つつもりだった。だが生憎、あたいには魔術の素養がなくてな。だから、自分の身体を鍛えるしかなかった」


 月明りにぼんやりと照らされるデッド。その剥き出しの肘先には、無数の掠り傷がついていた。足や背中もそうなのかもしれない。


「で、こうして今のあたいがいるわけさ」

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