第10話

「……」


 俺は言葉を発することもできず、キリアの戦いぶりを見ていた。これほど凄まじい戦闘を展開されてしまっては、俺など最早、蚊帳の外も同然である。まあ、毎度のことではあるが、敵が強くなればなるほど、キリアは自らの力を発揮していく。恐ろしい奴だ。


 ふーーーっ、と長い吐息の音が耳に入る。キリアが肩を上下させながら、呼吸を整えていた。短剣と長剣を手裏剣野郎から引き抜き、げしっと蹴り倒すキリア。


「マスター、ちょっといいかな」

「お、おう」


 キリアが俺を、全く乱れのない声音で呼びつける。もう身体の方はいいのだろうか? きっと、いいのだろう。精霊を宿すほどの武人であるならば。


 さて、問題はキリアが見下ろす先にあるもの、手裏剣野郎の死体だ。


「一応顔には被弾しないようにしたんだけど、この手裏剣使いは何者だろう?」

「何者? 決まってらぁ、そりゃ――」


 と言いかけて、俺は口をつぐむ。

 俺はコイツの正体に、思い巡らすことはなかったのだ。今この瞬間までは。

 リボルバーを抜き、コイツの額に押し当てながら、そばにしゃがみ込んだ。


 手裏剣野郎の顔は、まるで人間のそれと変わらなかった。皮膚が捲れてもいないし、腐敗してもいない。中性的で整った顔立ちだ。まあ、眉間に深い裂傷があるが。

 キリアも上半身を折って、そっと覗き込んでくる。俺は観察を続けながら、持論を述べた。


「俺の想像だが、こいつはただのグールじゃねぇ。魔術を使えて、あれほど敏捷だったことも考えれば、そうだな、魔術特化型グール、とでも呼べばいいのか」


『魔術特化型グール』――ゆっくりと、その造語を口にするキリア。


「俺も見たことはねぇんだ。飽くまで憶測だぞ。だが、ここまで人体を保ったまま、魔術を行使できるグールなんてのは……。そうだな、よほど強力な吸血鬼に能力を授けられた、と考えるべきだろう」

「なるほど」


 キリアはさっと上半身を起こした。背嚢から薄手のタオルを取り出し、軽く首回りと額を拭う。まるで、ちょっとしたジョギング後のような風情だ。


「次にまたこんな奴が出てくる前に、その吸血鬼を仕留めたいね。進もうか」

「そうだな。連中は日光が苦手だから、『闇の城』に朝一で突撃するか」


 無言でこくり、と頷くキリアに、俺は頷き返す。


「こっちだ。日の出前には辿り着けるはずだ」


         ※


 その後、数体のグールと遭遇した。中には、ゾンビたちの出てくる魔法陣のそばで見かけた奴もいる。今更どうということもなく、キリアは軽々とそいつらを斬り捨て、朝日が差し込む頃には、俺たちは再び開けた場所に出ていた。


「これが『闇の城』か」


 道案内を頼まれた身で言うのもなんだが、俺もここまでやって来たのは初めてだ。

 その建物は、おおよそこの森には不似合いなものだった。

 外壁は、朝日を受けて白亜の輝きを帯び、城と言うより神殿のような印象を与える。もし花畑や小鳥のさえずりがあったなら、誰しもがこれを豪邸、あるいは神聖な宗教施設だと思ったことだろう。


 残念ながら、目の前にある城はそんなものではなかった。

 花畑はあるが荒れ果てていて、無遠慮に雑草や蔦が伸びている。小鳥なんて可愛らしいものは存在せず、相変わらず腐臭が漂っている。


 ゆっくり視線を地面に映すと、地面の色がグラデーションを為していた。建物に近づけば近づくほど、赤茶色が濃くなっている。

 この城にいるのが吸血鬼だと仮定すれば、その赤茶色が鮮血と無関係でないことは明らかだ。随分と大食いの吸血鬼がいたもんだな。


 俺とキリアは相変わらず、キリアが前、俺が後ろを警戒する形で、ゆっくりと城に踏み入った。鉄製でアーチ状の観音扉が押し開かれる。

 その先にあったのは、広大なエントランスホール。左右に廊下が伸びている。正面には幅の広い階段があったが、その階段が問題だった。


 キリアと共に、足を止める。

 普通、このような城や館の類だったら、階段は上部階層へと繋がっているはずだ。

 が、この城は逆だった。下り階段になっている。


「なるほど、吸血鬼らしい趣向だぜ……」


 俺の背筋を、冷たいものが走る。確かに、地下を根城にしていれば日の下に出る必要はなく、怪物狩りがやって来ても、自分の有利な場所で戦えるというわけだ。恐らくは、漆黒の闇の中で。


「このまま行くのはちょっと危険だね」


 俺は顔を上げた。キリアが言葉で警戒感を表したのは、初めてではなかろうか。

 お前みたいな強者がそんなことを言うなよ、と笑い飛ばそうとしたが、無理だった。キリアにとっての『ちょっと危険』は、俺のようなロートルからすれば『極めて危険』、いや、『自殺的』と言い換えてもいいだろう。


 しかし、俺とて雇われたからには任務を全うするつもりだった。どれほどの戦力差があろうと、俺はキリアの相棒なのだ。見捨てることも、撤退を提案することもない。

 いや、それでも、俺が死んであの世に逝ったら、もしかしたら『彼女』に出会えるかも――。


 そんな俺の弱気さを払拭したのは、一筋の光だった。

 キリアが、右手を掲げて眩い光球を浮かばせている。今までの赤紫色とは違い、軽く黄色みがかった白い光。それはまるで、陽光のようだった。


「マスター、あなたはここに残って」

「は、はあっ⁉」

「今度はあなたを守り切れないかもしれない」

「へっ、ば、馬鹿言っちゃいけねぇ、俺はお前の相棒だぜ? お前一人で戦わせるなんて――」

「心配要らない。マスターなら、意識を集中すれば森の外へ出られる。そのためのナビゲーターでしょ?」

「で、でもお前、さっき言っただろ? その――」

「ああ、『引き返せなくなる恐れがある』って? それはマスターが記憶をなくしちゃったら、っていう仮定の話だよ。今は平気でしょ?」

「お、おう」

「それに、魔法線には、怪物は近づきづらいようにまじないをかけてある。襲われる心配はないから、安心して」


 何? 『安心して』だと?

 次の瞬間、この城全体を震わせるような怒号が響いた。その発生源が俺だと気づくのに、数秒の時間が費やされた。口にした内容は、『安心できるか、大馬鹿野郎‼』とかなんとか。

 そして、俺は摩訶不思議な光景を目の当たりにした。キリアが、驚きに目を見開いていたのだ。だが、俺の言葉は止まらない。


「よく聞けキリア、俺は子供を危険に晒すってのは、どうにも我慢がならねえ。お前だけ危険に立ち向かうってんなら、俺を斬り捨ててから行け」

「とっ、突然何言い出すんだよ、マスター!」


 手足をバタバタさせて慌てるキリア。この時ようやく俺は、キリアが年相応の所作を取っていることに気づかされた。

 これでは余計に退けねぇじゃねぇか。


「余計な手出しはしない。俺はただの雇われ人で案内役だからな。だが、せめて観戦させてくれ。戦況の分かるところに俺を置いてほしいんだ。頼む」


 思えば、俺だってこんなに誰かに懇願したことなどなかったかもしれない。腰を折り、深々と頭を下げる。


「待ってよマスター、マスターが死んじゃったら、賞金でお店を建て直すっていう約束がパーだよ?」


 俺は顔を上げ、小柄なキリアの顔を見下ろした。


「ケッ、あんなシケた場所で酒場をやるなら、もっと明るいところで隠居生活でもするさ。賞金の分け前でな」


 キリアは真ん丸に目を見開いて(と言っても見えるのは左目だけだが)、口をもごもごさせている。


「とにかく! 俺はあんたを援護する。文句があるなら、分け前はチャラにしてくれたっていいんだぜ?」

「お金にはこだわらないの、マスター?」

「金、か……」


 俺は人差し指を立てて、眉間に当てた。

 確かに、金の亡者と思われていても不思議ではないか。こんな危険な場所にまで、ホイホイ道案内をしてきたのだから。


 だが、今の俺は違う。金なんて二の次だ。何故そう思うのか、自分でもよく分からない。

 それでも、キリアを放ってはおけない、いざとなったら助けてやらねば。そう思っていたのは確かだ。

 強いて言えば……かつての『罪滅ぼし』がしたいのだろうか。


 俺が顔を上げた時、キリアもまた、昨日のリンエル同様に肩を竦めていた。


「何だよ」


 俺が唇を尖らせると、キリアはいつも通りの声音で『いいよ』と告げた。


「命の保証はできないけどね」


 などと言いながら、相変わらず彼には嫌味なところがない。

 俺は頷いてリボルバーを抜き、キリアに半歩遅れるようにしてついていくことにした。

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