第9話

「うわわわっ!」


 キリアの右目から出てきた『何か』。それは、赤紫色に輝く半透明の球体だった。

 俺の眼前で浮遊する球体は、見る見るうちに手足を生やし、首をもたげた。


 それは、極々小さな少女だった。身体つきから十二、三歳と見受けられるが、足先から頭部までは二十センチとない。

 ツインテールに束ねた髪、くるり、と真ん丸に輝く瞳、豪奢なフリルつきのワンピース。


「ちょ、ちょっとぉ! 勝手に押し出さないでよ、キリア!」


 甲高い声が、目の前の少女から発せられる。


「ああ、悪かったね」

「あら? 悪かったね、なーんて軽い言葉で謝るの? あなたの魔術を司るあたしに向かって?」

「すまない! ごめんなさい! この通り!」


 キリアはその少女に向かい、両手を着いて頭を下げた。


「……たまげたな。精霊様じゃねぇか」


 精霊。それは霊魂の一種だ。魔術師の中でも指折りの者たちの前にしか現れない、謎多き存在。御伽噺にしか存在しないと断言し、実在しないと断ずる者も多い。

 俺だってそうだった。今まさに、この瞬間までは。


 ただ、聞き及んでいたところでは、姿形は自由に変えられるとか。それでも、俺たち人間の前に現れる時は、やはり人間の姿であることが多いらしい。


「ドン、あんた大丈夫? ってか、あたしがいたからって、そんなに驚かないでよね? キリアの戦いぶりを見れば分かるでしょ、精霊を宿すに値するだけの強固な意志を秘めてる、ってことは」

「あ、ああ……」

「全く何なのよ、ぽかんと馬鹿みたいに口開けちゃって! ねえキリア、本当にいいの? こんな肝っ玉の小さいおっさんを相棒にしちゃっても?」

「平気平気。マスターの射撃の腕前は君も見ただろう、リンエル? 頼れる人だよ」

「ふぅん?」


 精霊――リンエル――は、腕を組んで俺を睨みつける。不信感を隠そうともしない。


「本当にいたんだな、精霊なんて。キリア、お前一体どこで彼女と出会ったんだ?」


 と言ったところで、俺は思わず顔を引き攣らせてしまった。

 キリアの右目が、ナイフでくり抜かれたかのように窪んでいたからだ。顔立ちが端正なだけに、その傷は余計に痛々しく、恐ろしく見えた。


「あ、ちょっとちょっと、ドン!」


 俺の視線に気づいたのか、リンエルはずいっと俺に顔を近づけた。


「キリアに変な同情なんてしないでよね! キリアはキリアで、頑張ってるんだから!」

「いや、そりゃあ分かってるよ! ただ、あー、すまねぇな、キリア」


 今度は俺がこうべを垂れる番だった。


「僕は平気だってば、リンエル。マスターも顔を上げてよ」

「うむ……」

「早いけど、今日の夕食はここで摂ろうか。それから、日が落ちる前に寝床を確保しないとね」


 俺は頷いた。キリアの状況判断は的確だ。


「分かった。俺が寝ずの番を――」

「僕がやるよ」


 即座に言葉を遮られ、俺の喉がからから鳴った。すぐに唾を飲んで、言い返す。


「馬鹿言っちゃいけねぇぞ、キリア! お前、あれだけ飛んだり跳ねたりしてたじゃねえか! 少しは休まねぇと」

「でも今日も寝ずの番を任せたら、マスターは二連続で徹夜、ってことになっちゃよ? 流石にそれは駄目だ、判断力が落ちちゃう」

「それはそうかもしれねぇが……」

「大丈夫、リンエルもいるし、マズいと思ったらすぐにマスターを引き摺って逃げるから」

「いや、普通に起こせよ!」


 真顔で持論を述べるキリアに、ツッコミを入れる俺。そんな俺たちの間をふわふわ漂いながら、リンエルはため息をついた。

 へぇ、精霊って結構人間臭い動作をするんだな。


 それはさておき。


「寝るのは構わねえが、この臭いだけでもどうにかならねぇかな。精霊さん、何とかできないか? 魔法でこう、ちゃちゃっとお花畑の香り! みてぇな」

「精霊を香水扱いすんな!」


 リンエルの拳が俺の脳天に振り下ろされる。いてぇ。普通に当たる。


「リンエル、止めなって。彼は僕のナビゲーターなんだ、君の殴打で記憶喪失にでもなられたら困る。そうしたら、僕はこの森から出られない」

「ちぇっ。キリアがそう言うなら仕方ないけど」


 渋々といった気配を隠そうともせず、リンエルは胸の前で両手を組み合わせた。ぱっと手を離すと、そこには水色で泡状の物体があった。


「はい、ドン! これで鼻を覆って! 異臭を遮断する泡だから!」


 なんだ、やればできるんじゃねぇか。俺はそれを指先で摘まみ、自分の鼻に当てた。

 すると、途端に異臭が感知されなくなった。酒臭さも火薬臭さも、一切なし。


「おお、快適だぞ、リンエル!」

「ふん! あたしは精霊だもの! このくらい朝飯前よ!」


 すると、快適な環境に置かれたためか、俺は唐突に眠気を催した。これはお言葉に甘えて、休ませてもらう外あるまい。


 この時、俺は致命的なミスを犯していた。嗅覚を遮断してしまっては、危険察知能力がガタ落ちではないか。

 それを思い知ったのは、まさにその晩のことだった。


         ※


 ゴウッ! という音で俺は目を覚ました。


「ッ! どうした、キリア!」


 俺の言葉に答えず、キリアはジグザグにステップを踏みながら森の深部へと駆けていく。

 森の深部と言っても、既に打ち合わせていた方角だ。キリアは闇雲に木々の間に突っ込んでいったわけではない。追いかけるのに問題はなかろう。


 問題なのは、今キリアが直面しているであろう敵のことだ。

 今の俺には、どんな敵が、どのぐらいの軍勢でやって来たのか、という基本的な情報すら入ってきていない。


 一瞬見えた、キリアの戦闘スタイルを思い返す。リンエルの力を発動させ、長剣を赤紫色に輝かせながら、細かに振るっている。

 その敏捷さから察するに、キリアが相手をしているのは、なかなか骨のある奴らしい。


 リボルバーを抜いた俺が(それなりに)全速力で追いかけると、やや開けた野原に出た。

 すると、そこにいた。キリアだ。こちらに背を向けている。

 彼が構える剣先にいたのは、いつかの手裏剣野郎だった。


 眼帯を外し、リンエルとの共闘態勢を整えているキリア。

 彼は長剣を収めると同時、目にも留まらぬ速さでショットガンを構えた。間髪入れずに発砲する。


 空中に放たれた散弾は、今まで同様に魔術によって、一発一発が巧みに操作され、手裏剣野郎に殺到した。四方八方からだ。

 それに対し、相手は微動だにしない。このまま蜂の巣にされてくれれば、こちらは手間が省けるのだが。


 案の定、そんな展開にはならなかった。相手は動いていないのだが、姿が分裂したのだ。


「なっ!」


 気づけば、俺たちは分身した敵の影たちに包囲されてた。


 キリア、回転斬りだ。水平方向を三百六十度に渡り斬り裂く、お前の得意技を見せてやれ。そう思いながら、彼の背中を見つめる。


 しかし、この期に及んでようやく俺は気づいた。キリアと手裏剣野郎が、拮抗状態に入っていることに。


 キリアが回転斬りをかければ、反対側にいる影が手裏剣でキリアを仕留める。

 逆に、手裏剣野郎が先に動けば、キリアはこれを跳躍で躱し、円内を飛び交った手裏剣は影たちにぶっ刺さる。


 俺は、自分の喉仏に心臓がせり上がってきたような感覚に囚われつつ、固唾を飲んで事態を見守っていた。


 しばしの膠着状態。

 しかし、事態は唐突に進展した。月光が差し込んできたのだ。

 流石に『シャドウ』と呼ばれるだけあって、影たちは微かにたじろいだ。光には耐性が薄いのだろう。


 この機を逃すキリアではなかった。回転斬りの使用は中止し、一直線に正面の影に突進。その途中で短剣を投擲する。

 外れた。いや、影には当たったが、すり抜けて背後の木の幹に刺さってしまった。こいつは本体じゃない。


 しかし、それで十分だった。キリアは消えた影のいた方へと勢いよく駆け出し、そのまま長剣を抜刀。振り返りながら、長剣を地面に着き立てた。

 そこから、赤紫色の魔法陣が――いや、無数の直線が、地面に走った。


 線に沿って、これまた赤紫色の光が、下から上へと飛びしてくる。その上面は、切れ味抜群の刃だ。

 その光に斬り裂かれ、影たちが消滅していく。やがて残った一体が、跳躍して回避する。間違いない、奴が手裏剣野郎の本体だ。

 

 俺がそう認識した時には、しかし、本体もまた斬り裂かれていた。

 地面から出てくる刃に、ではない。いつの間にかキリアが投擲していた、短剣と長剣によって。


 本体は、呆気なく地面に落着した。辛うじて膝立ち状態だが、頭部に短剣、胸部に長剣が突き刺さっている。

 キリアはショットガンを発砲し、今度こそ散弾を手裏剣野郎に集中させた。

 一瞬で、手裏剣野郎はズタズタになり、肉塊と化した。

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