第11話

 階段を下り始めて、少しばかり後悔し始めた。吸血鬼の根城が、こんな不気味なものだとは思わなかったからだ。

 凄惨な光景が広がっていたら、俺も理解できる。動物の骨が散らばり、ありこちに赤黒い染みがへばりつき――という状況だったなら。生活感が感じられるし、いかにもボス、とでも言うような風情があるから。

 しかし、実態は違った。いや、真逆だった。


「随分と綺麗じゃねぇか」


 小声で、誰にともなく呟く。

 キリアの手に灯った光を使って見てみるに、階段は極めて清潔だった。想像していた生活感というものが、全く感じられないのだ。

 

 一点の染みもない床、壁、天井。そのいずれもが、光沢のある灰褐色をしている。

 どうしたものかと思う俺をよそに、キリアの足はどんどん進んでいく。それでも、この二日間の付き合いで、俺は気づいていた。彼が前方に尋常ならざる注意を向けていることに。


 広かった階段は徐々に狭くなり、かと言って歩行に支障をきたすほどではなかった。そして相変わらず清潔である。血生臭さも感じられない。


 何階分の距離を下りただろうか、階段は唐突に行き止まりにぶつかった。ここにもまた、観音扉の鉄扉がある。

 俺が手をかけようとすると、キリアがさっと腕を上げ、俺を制した。


「待って、マスター」


 そう囁いたキリアは眼帯を外し、音もなくリンエルを外に出した。リンエルはふわふわ漂いながら、扉を仔細に観察する。やがて何かに気づいたのか、振り返って指を差した。


 キリアは頷いて、そこに掌を押し当てた。ぎいっ、という軋み音を立てて、扉が向こう側へと開いていく。魔術トラップの有無を確かめていたのだろう。

 その先も、やはり真っ暗だった。ただ、キリアの放つ光のお陰で、そこがかなり広い空間であることは容易に検討がつく。

 俺の店の何倍だろうか? いや、未練はないが。


 扉が開放され切った、まさにその瞬間だった。

 キリアは目にも留まらぬ速度で、長剣を抜刀した。既に赤紫色の光を帯びている。


「よくぞ来た。流石は精霊使い、見事な『シャドウ』狩りだった」

「ッ!」


 謎の声が、暗闇の向こうから聞こえてくる。


「ああ、心配は要らぬ。せっかくの遊興の相手だ。一方的に不利な状況にはせぬよ」


 かちん、と何かが軽く打ち鳴らされる。それは、指を打ち合わせたかのように聞こえたが、にしては響きが硬質だ。

 俺が違和感を覚えた次の瞬間、冷たい光がこのフロアを照らし出した。

 

 相変わらず清潔な石造りの構造物。暗い灰色の表面が目に入る。

 しかし、これは不可解な状態だった。光源たるものが存在しないのだ。


「い、一体何だ……?」


 俺がこの広い部屋の中央奥を見遣ると、この光を生み出した術者が、そっと椅子から立ち上がるところだった。


 玉座のような、豪奢な椅子。そこから腰を上げたのは、人体標本のような骸骨だった。

 普通の大の男よりも、やや背は高い。不自然なほどに真っ白なその姿は、しかし布切れ一枚纏っていない。


「お前がこの森に出るグールやゾンビを操っているんだな?」

「いかにも」


 キリアの厳しい声による問いに、頭部の骨を鳴らしながら頷く骸骨。その所作は、慎重ではあったが余裕もまた兼ね備えていた。


「私は『シャドウ』の力を授けられ、この森を統べる者。ここでこうしている限り、やって来る怪物狩りの連中を逆に狩り食らっている。もちろん、『魂』をな」

「それも終わりだ、『シャドウ』の下僕。僕があなたを斬り伏せる」

「ほう、大した自信をお持ちのようだ。今更言い争いをしても、全く以て無益だろうな」

「ああ、僕もそう思っていたところだよ」

「では」


 その短い言葉が、戦闘開始の合図だった。この明るい空間に、一気に血生臭さが充満した。

 見れば、骸骨の前で赤黒い液体が大きな円を描いている。

 きっとこれは、コイツが吸ってきた血液の具現化だ。問題はその量である。人間何人分の血だ、こりゃあ?


「さあ我が眷属、神聖なる血潮よ! 部外者を排除せよ!」


 骸骨の叫び声に応じ、円を描いていた血流は途中から途切れた。キリアに向かってくる血でできた大蛇――血蛇、とでも呼ぶべきか。それが身をくねらせながら迫ってくる。


 それは、俺たちが森の外縁部で遭遇した大蛇とは比較にならなかった。速度も、殺気も、身体の滑らかさも。

 幸か不幸か、俺はまたもや蚊帳の外で、狙いはキリア一人に向けられてる。


 そのキリアはと言えば、斜め下方向に長剣を構え、真正面から迫る血蛇を睨みつけていた。


「はっ!」


 短い呼吸音と共に、血蛇は真っ二つになった。脱力し、びしゃびしゃと床に落ちる血液。

 しかし、元が液体であるから、裂かれた首部を構成していた血液は根元へと流れつき、融合して元の姿に戻った。


 これではキリがないのではないか。そう思った矢先、キリアもまた状況打開を図っていた。得意の床面を滑るような走行。次々に迫りくる血蛇の胴体を斬り払いながら、一気に接敵。骸骨本体を狙う。


 袈裟懸けに振り下ろされた長剣は、しかし、空中で固定された。骸骨が手に取った剣によって。


 それは、キリアの長剣よりもリーチがあり、しかも硬質な外見をしていた。更によくよく見れば、骸骨はその剣に手を触れていない。片手を掲げて、指先で操作している。

 この骨野郎、魔術の心得もあるのか。


 キリアはバックステップを試みるも、背後からは復活した血蛇が迫っている。

 どうにか空中できりもみ状態を取り、血蛇の身体を斬り刻むキリア。しかし着地直後、上方から骸骨の剣が降ってきた。


「くっ!」


 長剣を上方に思いっきり振るい、何とかこれを弾き飛ばす。

 だが、今までのキリアとの違いを、俺ははっきりと感じ取っていた。

 

 今までのキリアは、息をするよりも容易く悪党や怪物を駆逐していた。それが、呼吸を整える間を必要としている。これは、この骸骨が今までにない強敵であることの証左ではないのか。


 骸骨が直接操作する剣。間接操作する血蛇。その二つに、キリアは完全に挟まれた。どうしたらいい?


 すると、キリアは長剣を仕舞い、短剣とショットガンを抜いた。何をするつもりなのか。

 と、俺が考え付くよりも早く、キリアはその場でくるり、と回転した。背後から迫っていた血蛇の頭部が、ショットガンの一撃で形を失う。


 正面、骸骨の方に戻ったキリアは、再び疾走する。すかさずその進路上で、骸骨の剣が踊り狂う。だが、キリアはわざとリーチの短い短剣を用いている。


「あの馬鹿、何を考えていやがる!」


 俺は呻くように声を絞り出す。もちろん、キリアに聞こえるはずもない。

 だが、キリアには勝算があった。長剣を使っていた時に比べ、明らかに俊敏になったのだ。いや、それ以前からとんでもなく素早かったが……それにも増して、と言う意味だ。


 その時、俺はようやく気づいた。キリアの狙い、すなわち骸骨の弱点。

 骸骨は、自分は『魂』を食らうと言っていた。しかし、これだけの量の血液を使役するには、相当な直接的吸血行為も必要になる。もちろん、それを制御するだけの臓器も。


 そう、キリアの目的は、骸骨の心臓を破壊し停止させることだ。肋骨に阻まれないよう、敢えて小回りの利く短剣を手にした。そう考えられる。


 そこから先の剣戟戦は、圧巻だった。俺は自分の置かれた状況を忘れ、見入ってしまった。

 これぞまさに剣の舞。キン、という高い音が連続し、火花が飛び散る。

 互いの剣先を撫でるように、鮮やかに、しかし残酷に二つの剣は振るわれる。

 すると、キリアはショットガンを断続的に発砲し始めた。片手でだ。目にも留まらぬ速さで銃身を回転させ、次弾装填を行う。どんだけ扱い慣れてんだ、コイツは。


 対する骸骨は、数歩後ろに退き始めた。ショットガンの射程から逃れるつもりだろう。

 だが、俺には容易に想像がついた。もし骸骨に表情があったなら、きっと頬を引き攣らせていただろうと。

 

「小癪なッ!」


 骸骨は戦闘を剣の間接操作に任せ、胸部、肋骨の前で腕を交差させる。

 しかし、それが決定的な隙となった。まるで瞬間移動したかのように、キリアが懐に潜り込んだのだ。


「ふっ!」


 ショットガンから放たれる魔弾が、凄まじい圧を以て骸骨の腕を跳ね上げる。そして、


「はあっ!」

「ぐっ⁉」


 キリアの短剣が突き出され、見事に骸骨の心臓を捉えた。

 その背後で再び形を成そうとしていた血蛇が、ばしゃん、と音を立てて崩壊する。復活する気配は――ない。


 それは骸骨本体も同様だった。ぐったりと、前のめりに倒れ込む。キリアは横っ飛びして、骸骨の転倒を回避した。がしゃん、ぐしゃんと細かい音が響き渡る。骸骨は、完全に伏していた。


「……はあっ!」


 キリアは大きく息をつき、その場に膝をついた。次弾を装填しようとしているのか、ショットガンを取り上げようとしている。


「キリア! 大丈夫か! 無理するな!」


 叫ぶ俺。その意識が奪われたのは、キリアに向かって駆け出したその瞬間だった。

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