第4話 この度、自分を知りまして!

 

「白清水 凛后」は所謂悪役令嬢だ。

 だが美しい彼女には、妹なんて存在しない。彼女と共に育ってきた、「白清水 鏡花」なんて人間は本来存在しないのだ。


 じゃあ、私は誰なのか。どうして白清水家の一員になったのか。

 その答えを知ったのは別れの悲しみが少しだけ落ち着いてきたある日の出来事。


 お母様が亡くなって二年の月日が流れた後の、私が5歳の頃の話だ。





 その時はまだ、家族はすれ違っていた。


 お父様は変わらず屋敷には寄り付かず、お酒を嗜むことも増えた。泥酔して帰宅することもあったが、屋敷では口にしないと決めて律儀に守っている。


 茨沢さんは新人教育も始まって、一番元気そうに過ごしている。前にも増して多くなった叱責の声は、静かな屋敷に良く響いてほんの少しの賑やかさをもたらした。




 お姉様は……とても変わってしまった。

 穏やかな微笑と言葉遣いはどんどん様になっていき、お母様を真似するようなその姿は知る人から見れば不自然にも見える。

 スキンシップも少なくなって、手を握ることも抱きしめることも無くなって、時折子供をあやすみたいに頭を撫でてくれるぐらいだ。


 年不相応に落ち着きを持った彼女は別人みたいで、並んで歩んできた筈なのに気付けば後姿しか見えなくなっていた。


 そんなお姉様の様子を見続けた私は、変わらず空虚に過ごしていた。

 気持ちを訴えることも無く、自ら変化を起こすでも無く、過去の優しい記憶に微睡みながら自分の殻に篭もって過ごしていた。


 そんな日々が終わりを告げる。


 大きな秘密の到来と共に。












「鏡花お嬢様の噂、聞いたことある?」


 それは私の気分が悪くなくて、散歩でもしようとこっそり廊下を歩いていた時に、曲がり角の向こうから偶然聞こえてきた。

 私の噂なんて多分良くないものだろうが、聞いてしまったら無視は出来ない。


 噂話に夢中のメイドは私に気付いた気配も無く、自然と私はメイドの話に耳を澄ませる。


「あ、それって鏡花お嬢様が「バンシー」って呼ばれているやつですか?」


「そうそれ! 奥様が亡くなった日にそれは凄い泣きっぷりで、まるで死を予言してたんじゃないかって話。見た目も相まって誰かがバンシーみたいだって言いだしてね」


 人の事を死を呼ぶ妖精呼ばわりなんて、あんまりな言葉に目元が潤む。確かにあの日泣き喚いてしまったけど、それは心からどうにかしたくての行動だ。それを死を告げる妖精呼ばわりされて、悲しいやら悔しいやらで心がかぁっと熱くなる。


「確かにお嬢様って髪も肌も透き通ってるし顔も妖精みたいですしね。でも何であんなに家族と似てないんですかね? 隔世遺伝だったりするんでしょうか」


「あれ、あんた知らないんだっけか。詳しくは知らないんだけど、なんでも鏡花お嬢様は凛后お嬢様のお願いで連れてこられた養子らしいわよ」


「えっ……?」


 どういうこと?私は本当の家族じゃない?あまりの衝撃に涙は引き、心も頭も真っ白になる。

 家族と過ごしたあの幸福な思い出にひびが入り、皆の笑顔にノイズが走って感情を抑えられなくなる。

 詳しく聞かなければならない。うるさい鼓動を押さえつけ二人の前に躍り出と、二人は驚き顔を青褪めさせ取り繕うように言葉を発した。


「き、鏡花お嬢様!? す、すいません今のは軽い冗談で本気で思ってるわけでは無くて……」


「さっきの話本当なの?」


「え? さっきのって……噂が流れてることなら本当でs……」


「違うっ! わたしがっ、養子って話……!」


「あ、あぁそっち……。多分本当だと思います。長くいるメイド仲間から聞いた話なので……」


 頭の奥がキィンッと冷たくなる。そうか、私が抱えてきた異物感もこの特異な容姿の理由も簡単に答えが出せたんだ。

 私は、本当の家族じゃない。

 その事実はストンと胸に降りてきて、おかしな話だが私に安心感を与えた。


「……そう、ですか。ありがとうございます」


「いっいえ、私達はお礼を言われるようなことは何も……。大丈夫ですかお嬢様、お顔が真っ青ですよ……?」


「大丈夫です。青白いのは、もともとだから……」


 ああ、嫌味なんて言いたくないのに。強張ったメイドの顔に、罪悪感が浮かんできてその場を足早に去る。

 頭が混乱して、まっすぐ歩けているのかすら曖昧だ。だけど止まらない、止まりたくない。止まれば黒い思考と感情に、染まってしまいそうで。




「お姉様、鏡花は一人ぼっちじゃまっすぐ歩くこともできないよ……」


 弱音が自然と漏れる。いつもは取り繕える心が、さらさらと砂のように崩れていく。

 嫌われたのではない、みんなも悲しくて仕方ないのだと考えていたけれど、やっぱり嫌われていたのが事実なのかもしれない。寧ろ実の家族じゃない私との、家族ごっこに飽きてしまったのかも。


「私は誰にも好かれない……私は誰も好きになれない……私はどうしようもない出来損ない……」


 不意に口にした言葉は、妙に実感があって心にじんわりと残る。

 この不思議な感覚は、「前世の私」が関係しているのだろうか?


 考え事に意識を持っていかれていた私は、目の前に誰かが迫っていることにも気付かず、

 ドン!という衝撃と共に尻餅をついてしまう。


「あぅっ!」


「おっと。すいません、大丈夫ですか鏡花お嬢様?」


 相手は茨沢さんだったようで、すぐさま助け起こそうとしてくれる。心配無用だと伝えたくて顔を上げると、その顔は驚愕に染まり焦った様子で側にしゃがみこむ。


「一体どうしたのですそのお顔は!? 何かありましたか? 何処か痛みますか?」


「えっ……?あっ……」


 気付けば私の顔は涙でぐしゃぐしゃだったみたいだ。ぼんやりする視界も、考え事だけじゃなくて涙も原因らしい。

 久しくしていなかった触れ合いに不謹慎ながら嬉しくなって、少しだけ心が軽くなる。


「ん、大丈夫。何んでもないから気にしないで」


「それなら良いのですが……あぁ、目を擦ってはいけませんよ、今暖かいタオルを用意しますから少しお待ちなさい」


「うん、わかった。ありがとう茨沢さん」


 その姿を見送ろうとして、気付く。

 私が物心つく前からお屋敷で働いている茨沢さんなら、私の出自を知ってるのではと。

 私は決心してその背中に声をかける。


「ま、待って!!」


「はい?」


「私知りたいの! 私が、この家の家族になった時のこと!」


「――っ! それはつまり、知ってしまった……ということですか?ご自分が養子だと……」


 しっかりと頷き、意思が固いことを伝える。茨沢さんは少しの思案の後、観念したような表情でため息を零した。


「誤魔化しは効かないようですね。わかりました、私が知っていることを全てお話します」


「うん、ありがとう」


「お礼は話が終わってから受け取ります。お顔もどうにかしなきゃいけませんし、まずは場所を変えましょう」


 手を借り立ち上がり、その後ろを付いて歩く。久しぶりに触れ合った手が、切なく熱を残していた。




 黄昏時、居間の中はがらんとして静けさが立ち込めていた。

 お姉様がいた頃はティータイムで使われていたけれど、小学生になってからはとんと使われなくなった。

 そんな寂しげな場所で私と茨沢さんは、テーブルを挟んで向かい合っていた。


「紅茶をお入れしました。話はそれを飲んで落ち着いてからにしましょう」


 そういうと紅茶を一口飲み、何やら思案顔だ。

 私もいただきますを言ってからゆっくり飲み進める。子供の私には少しだけ渋い紅茶は、茨沢さんの性格が溶け込んだみたいで嫌いになれない。

 少し落ち着いた私は、意を決して口を開く。


「あの、茨沢さんは知ってるんだよね、私が貰われてきたって」


「ええ、知っていますよ。誰が、どうして、どんな風に連れてきたのか。今でもあの時のことが眼に浮かぶようです」


「じゃあ、教えて。どんな真実でも、私にはそれが必要なの」


 そう。

 例え今までの記憶が偽りで、本当は愛されていなかったとしても、きっと私は立ち上がれる。

 誰かに期待して不安になるよりも、一人だと気付くほうがよっぽど楽だ。


 遠く眩しいものを見るように、茨沢さんは目を細めて語り出した




「あの日は雪が降っていました。まだ幼い凛后お嬢様はそれがとても気に入ったみたいで、一日中窓の外を眺めては奥様と楽しそうに過ごしていましたね。

 そんな夜、帰宅した旦那様はそれはもう慌てていらして、理由を聞けばご友人が事故にあったからまたすぐに出掛けると言って奥様達に謝っておられました。


 結局共通の友人ということで奥様も出かけることになり、凛后お嬢様の怒りようはそれはもう酷くて。翌日までその怒りは続いて、帰宅した旦那様達を見つけては怒鳴り込む勢いだったのですが、その怒りは一瞬で霧散していきました。


 奥様の腕の中に小さな天使を見つけたからです。その子は朝日に照らされキラキラと輝いていて、凛后お嬢様は目をまん丸にして見つめておりました。

 銀色の髪、透き通る肌、両腕には痛々しい火傷の痕がありましたが、天使の羽のようなその形は寧ろ神聖さを強めていました。


 鏡花お嬢様、あなたのことですよ。


 奮闘むなしくも命を落としたご友人方の忘れ形見、命がけで守られた宝物。

 初めてその瞳を見た時、私も思わず感動してしまいました。

 あなたは祝福された子供だと、生きててくれて良かったと仕切りに旦那様達も仰ってました。


 特に嬉しそうだったのが凛后お嬢様でした。可愛い、綺麗、守ってあげたいとしきりに口にしては、可愛いがっておられました。


 最初数日預かるつもりで、気付けば何週間も経っていて、一月も経てばもう家族の一員になっていました。

 その間凛后お嬢様は殆どの時間をあなたと過ごしていました。ベッドの側で、いつも手を握って。


「わたしがついてるよ」

「ずっとそばにいるよ」

「鏡花に祝福がおとずれますように」

 そんなことを口にしては、愛おしそうに寝顔を眺めていました。

 あなたを見つめる凛后お嬢様の姿は慈愛と幸福に溢れていて、見守る私達まで嬉しくなってしまったほどで、そんな凛后お嬢様の姿を見て、旦那様は家族に迎え入れるのを決心したそうです。


 鏡花お嬢様、あなたが今どんなことを思って、どんなことを想像しているのかは私にはわかりません。

 確かに耐えられないほど悲しく、辛い事が起こりました。私だって未だに立ち直れません。

 強くなれなんて言いません、ただ今流してる涙と家族のことを信じてあげなさい。

 自分を嫌うのをおやめなさい。


 あなたは確かに愛され、祝福されてここに来たのだから」






 暖かい涙が止まらない。胸がいっぱいになって理解できない感情に押し潰されそうだ。優しい家族の笑顔がフラッシュバックして、今の姿とリンクしていく。

 みんな決して目を逸らさなかった。みんな私の言葉に耳を傾けてくれた。

 辛いのに、悲しいのに!

 愛が無くなったわけじゃなかった!

 信じられなくなったのは私で、フィルターをかけたのは私の方で!


「みんなお互いを思い過ぎて、少し臆病になっていたみたいですね。あなたがそんなに思い詰めていたとも気付かずいたなんて、自分が恥ずかしい限りです。

 ……ねぇ、鏡花お嬢様?」


「グス……グス……んぅ?」


「今夜凛后お嬢様と話して、その思いを伝えてご覧なさい? きっと何かが変わるはずだから」


「わ゛、わ゛がっだ……」


「よろしい。落ち着くまでここに居ますから、ゆっくり呼吸を整えなさい」


 嗚咽でまともに返事も出来ない私を、茨沢さんは静かに待ってくれる。頭を撫でたり手を繋いだりなんかしてくれなくて、目線すらどこか別の場所を見てて。

 それが茨沢さんらしくて、すごく久しぶりに笑いたい気分になった。


 そんな気分とは裏腹に、心には奇妙なつっかえが残る。

「祝福が訪れますように。」その言葉を思い出すと、なんだか頭がチリチリとして何かが私を急かしてるようで。

 お姉様の事を思うと、違和感がより強まっているような……。




 お姉様が帰ってくるのは、まだもうちょっとかかりそうだ。











「うぅぅ……先輩っ!! バンシーなんて酷いですよぅ!! あんなに綺麗で天使みたいなお嬢様に向かってぇ!」


「ぐす……ほ、本気で言ってたわけないでしょ! 私だって鏡花お嬢様のこと殆ど知らなかったんだからぁ」


「ふぅ……でもお嬢様とメイド長、仲直りしたみたいで良かったです。これでお屋敷の空気も明るくなれば良いんですけど……」


「なるでしょきっと。ここから見ててもあんなに嬉しそうなんだし、あれ見たら誰でも幸せになるって」


「ええ、本当に……」


「「可愛くて天使みたい……!」」




(あそこの覗いてる二人は説教ですね。おおかた鏡花お嬢様を泣かせたのもあの二人なんでしょうし、事情をしっかり聞き出しませんと……!)


 その後鏡花の良くない噂は、茨沢と2人のメイドによって収束したそうな。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る