視察・デスレース・防衛線④

 7年前、エリが8歳の時の話である。その頃、スタァライトS.A.では歴史上5度目となる空前のトランプ・ブームが訪れており、中でもポーカー、テキサスホールデムがとにかく流行っていた。クレジットをそのまま賭けると口座を監視している統治企業に目を付けられるので、場に賭けられていたのはスタァライトS.A.住人共有の計算資源リソースだ。エリにはこれが魅力的だった。ちょうどその頃実験していた疑似量子天気予報機を造るためだ。


 だが、これを魅力的だと思う者は他にもいる。たとえば、当時12歳だったエンターである。当時からプログラマとしてバリバリ活動していた彼女の当時の趣味は電子ガーデニングで、砂利の一つ一つまで物理演算を行う電子上の庭園があればいいなと思っていた。


 これにより二人の目的はかち合い、ギャンブル狂いどもが跋扈する胡乱なポーカー賭場のトップ2とトップ3として――トップはエンターの姉だった――熾烈な闘いを繰り広げたのである。


 そして、優勢なのはエンターだった。タネを明かせば当然で、エンターは自作の嘘発見器インプラントを自らに埋め込んで、あらゆるブラフを見抜くギャンブラーとなっていたのである。確率計算と運だけではギャンブルには勝てない。エリはじわじわと自らの計算資源が喪われていくことと、何より自分が負けた時にエンターが繰り出すドヤ顔にいら立っていた。


 絶対に潰す。いつしか戦利品のことすら忘れ、すごく個人的で強い意志が当時のエリの根幹を貫くようになっていた。だが、エリは賭場に姿を見せなくなり、エンターの天下が続く。


 エリが賭場に帰ってきたのは一か月後。彼女はエンターに「所有する全ての計算資源」を、「足りない分は負けたら一か月菓子を奢る」という補填付きで大勝負を持ち掛けたのだ。表情筋の変化、脈拍、眼球の血管の収縮に至るまでを見通す嘘発見器プログラムで調子に乗っていたエンターは二つ返事でそれを承諾。が、そのことをすぐに後悔することになった。


 エリが一か月で習得したのは、究極のポーカーフェイスだったのである。人体の構造を機械構造と読み解き、その天才性を遺憾なく発揮して数種類のインプラントを自らに敷設したのだ。技術による嘘発見器潰し。これでようやく五分。だがしかし、結果はエリの圧勝だった。


 というのも、エンターはこのところの勝ちを嘘発見器に頼り過ぎていたのだ。彼女は自身のプログラムを信用するあまり、彼女自身を信じられなかったと、そう自慢げに語ったのはエリだったが、ともかくここで勝ち取った計算資源がきっかけで、エリの趣味はもっと充実することになるのであった。




『さァ、皆さまお待ちかねェ、ホット・ホイールズのデッド・ホット・ランブルは間もなく開始だ! 威勢の良いエンジンの音! 良い感じに温まってきたって感じだぜェ! イカレたスピード狂いども、覚悟は良いかァ!?」


 ホット・ホイールズの司会者がバイカー集団の後方で、巨大トレーラーのコンテナのを改造して作られた実況席から叫んでいる。現在、レースはスタート直前、コースの確認を兼ねた一周の慣らし運転の最中だった。


 バイクに乗り込む前、サラはなぜあんな話をされたのかが分からなかった。が、スピード狂たちの熱狂と共に始まりつつあるレースの中、全てを悟った。団子状態の参加者集団、熱気、喧騒、爆音のオーケストラめいたエンジン音、、サイドカーのSSTに応答するエリの横顔をサラは見ている。


〈エリ様〉

「エリでええよ」

〈了解しました。エリ、質問がいくつかあります。ホット・ホイールズのデッド・ホット・ランブルといえば、下層ロウアーで指名手配中のバイカー集団ではありませんか?〉

「ちゃう。名前がおんなじなだけ。ちゅうか、アイツらがウチの祭をパクって名乗っとるんや」


 エリは真顔で答える。サラも見たことがない、一切の濁りを感じさせない、清廉潔白の、であるが故にエリからは想像もつかない表情だった。無茶と無法を技術で通す彼女とはとても思えない冷え切った表情には、普段のエリを知っているサラからすればすごく違和感がある。


 が、それは普段のエリを知っているからだ。


〈了解しました。では次に、スピード狂いとはどういうことでしょうか。法定速度を遵守しない集団での走行はマイナスの評価をくだすことになることを警告します〉

「それについては、そもそもこの街自体が代表の私有地ってことになっとるから確認しといて。法定速度は厳密には存在せんのや」

〈……照会、確認しました。しかし、だからといって治安を乱す走行は……〉

「限定的期間における文化的裁量。こんなのは祭の日だけやし、後ろにおるトラックは治安維持と事故対応用や。だから全く問題ない」

〈了解しました〉


 どれもこれも大嘘だった。ただ、その嘘を支えるエリの真顔があまりに強靭すぎ、SSTに備わった嘘発見ルーチンを完全に無力化していた。自信満々にエリがSSTを連れ出した理由はこれだったのであろう、蛇口から水が流れるように嘘は淀みなく、当然顔で繰り出されていた。それを見てサラが思うこと――さすがはエリさんという100%の尊敬なので、彼女も少しどうかしていた。


 ともかく、危ういが故に反則級の強度を誇る作戦で、エリはなんとかSSTをごまかしていた。そんな3人の右斜め後方、2台のバイクで追走するのはキールとタヌマ。サラに持ってもらっている通信機から届く音声に、キールは若干のめまいすら覚える。


「あいつ、ムチャクチャですよ。一から十まででたらめだ。化かすんだったらもっと論理的に……」

「化かし狐……そりゃそういった工作はお前の本分かもしれんがね」


 愚痴をこぼすキールを諭すタヌマ。


「即興で、かつ現実に可能なラインであれだけのことをやってのけるってのは凄いぜ。機械相手の知識だけじゃない。度胸の賜物でもある。おれもこの道は長いが、嬢ちゃんは視察管理官に向いてるな」

「なっ、ちょっと、ほめ過ぎじゃありません!?」

「才能ってのはあるって話さ。己たちにだって仕事はあるしな。。それが必要な大前提だ」

「……ええ、分かってます。人間相手に誤魔化しやるなら俺らの方が長いんだ。


 視察監察官の二人は断定的にそう言って、拳と拳を突き合わせた。


 レースの開始が迫っている。その頃、司会の乗る巨大トレーラーのコンテナ、そのが変形する。コンテナの両サイドが開かれ、床が拡張し、登場するのは巨大スピーカー、巨大ウーファー、巨大アンプ、それからそれからエトセトラ……コンテナ後半はみるみる車上ステージへと変貌し、ホット・ホイールズ皆同じの黒の革ジャンを着た7,8人のバンドが登場する。その光景は街のあらゆる場所に(いつのまにか)設置されたホロ・ディスプレイとエア・スピーカーによって中継されている。


 まずドラムス、そしてベースのリズム隊がその存在感を走る全てのバイカーに知らしめる。後ろを向かずとも、腹の底に響く低音が全員の高揚を増幅させた。そしてギターが加わってイントロが始まり、キーボードが彩を加えた。さらにはサックスとバイオリンが加わりゴージャスに。始まったセッションは響き渡りながらも、バイクのエンジン音を邪魔せず、むしろ引き立てるものになっている。一つ一つが、エンジンを主役にするために計算された音の連なり。


 その真ん中でマイクを握った革ジャンの老女が、ビカビカ光るハロゲン投光器の光を背負って立っている。


『聞こえるかい、スピードを愛する馬鹿ども!!!』


 芯の通った、ビリビリと肌に来る声に鳥肌が立って、エリは思わず振り向きそうになった。ガツン、と殴られたような衝撃を皆が感じている。声の出し方、盛り上げるタイミング、あらゆる要素に長年の経験を感じさせる、色々な意味で場慣れした呼びかけに、エリとサラはつい言葉をもらす。


「おおう、ヤバいな、あの婆さん……」

「ペッパーさん、すごい……」


『聞いているんだろう、疼いているんだろう、知っているんだろう!? いい唸りだ。この音を聞くために、アタイらは走る!!!』


 駐車場で聞いたのとは違う。これは宣誓なのだと、走り屋たちは直感的に理解する。ラブコールといってもいい。セッションが昂るに応じて、鳴るエンジンの音も艶を増していく。最高潮とはこの瞬間を言うのだと、ある種のトランス状態に近い空気感が場を支配する。


『デッド・ホット・ランブルは死地の輝き。向こう側を夢見る馬鹿ども、愛してるぜ』


 スタートラインは近い。皆、速度を上げる。最高の瞬間、加速の栄光を夢見て。狂気が街を覆い、スピードだけが唯一絶対の正解となる。これこそがデッド・ホット・ランブルだ。


 エリもその気持ちが分からないわけではなかった。彼女はスピード狂ではないが、何かに情熱を注ぐことへの熱狂は痛いほどに分かる。静かな興奮の中、「なんか、わくわくしますね!」と背中越しに声をかけてくるサラに微笑みかけて、ハンドルを強く握った。

「まあ、楽しませてもらおうや」


『それと、誰よりもはやくゴールした奴、スピードの栄光を手にした奴には、アタイの秘蔵コレクションから好きなパーツを譲ってやる。ま、副賞みたいなもんさね』


 街中のホロ・ディスプレイに、どこかのガレージに並べられたペッパーのパーツ・コレクションの映像が映しだされる。しかし、これ自体に食いつく者は少なく、皆迫るスタートラインを見据えて、今か今かと加速を待っている。コレクションに興味を持ったのは例えば、そういう、スピードそのものには興味がない者だった。


「頑張りましょうね、エリさん!」

「……参った」

「エリさん?」

「サラァ……わっしは、あの婆さんを舐めとった」


 スタートラインを超える。皆、一斉に加速する。エリは小さく、「捕まっとれよ」とサラに呟き、思いっきりアクセルを握り込んでスピードを上げた。


 視察監察官の二人は一手遅れて加速する。

「おい! なんであいつっ……安全に終わらせるんじゃねえのかよ!」

 キールの悲鳴に近い文句もエンジン音に消える。打ち合わせと違った。ただ視察を終わらせればいいのだから、適当な順位で、激戦区からは離れて「ただの祭でした」と済ませるつもりだったのだ。


 だが、エリはぐんぐん加速し、先頭集団に食らいつかんとめいっぱいに風を浴びる。背中を押すのは一つの野望だ。


「V12はわっしのもんじゃぁ!!!!!」

「いっけ~~~!!! エリさん~~~!!!」


 映ったのは一瞬だった。が、見間違いはしない。ペッパーの秘蔵コレクションの内の一つを、エリは見逃さなかった。それは旧時代遺物級、古典も古典、V型12気筒エンジン。かつて、戦闘機やら高級車やらに使われたハイパワーエンジンであるV12の中に、バイク用に開発されたV12があるという都市伝説級の噂を、エリは密かに追っていた。


 スカベンジャーズ・ヘヴンを度々訪れる理由の一つ、垂涎ものの激レア案件。その実在を嗅ぎ取って黙っていられるほど、エリは大人ではない。


『さあ……死んでも悔いのない風を夢見な! 最高の馬鹿ども!!!』


 ペッパー・カーチスの高らかな笑いが、狂気と共に街を貫いた。

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ハイウェイ・クーロン・ファンク 前野とうみん @Nakid_Runner

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