第15話 キネマティック・ラン

 困ったことに、僕の仕事場には本当に盗聴器が仕掛けられていた。ハジメさんの紹介で業者に入ってもらって調べ、発覚したのである。ただし、調べるだけで撤去はしていない。

 業者の人にも「盗聴器を探している」という内容を口にしないようにお願いし、ただの清掃サービスのフリをしてもらった。

 煌煌館こうこうかんの動きは分からないけど、気付かないマヌケのフリをしているほうがいいだろうというのが新咲ユリの提案である。

 そんなわけで盗聴器と同居しているのだがこれが結構なストレスになった。有益な独り言なんて無いとは思う。でもいちいち喋るのにも気を遣う。仕方ないからジャズを流して音を誤魔化してみたものの集中力は確実に低下していた。

 こうして作業に行き詰まったらコワーキングスペースへ行き、そこでもカメラで隠し撮りしている煌煌館の信者に待ち構えられている。

 僕は割とドライにやり過ごせると考えていた。しかし、思ったよりも堪え性がなくてナーバスになり易い人間かもしれない。

 いつの間に忍び込まれたのか、気が気でなかった。そもそも宗教団体が尾行や監視や盗聴のノウハウを持っていることに違和感を覚える。

 とまぁ、マイナス面もあったけどプラス面だってある。

 果たしてこれがプラスなのかと聞かれたら多少は首を捻るけど……


「大丈夫、ハジメさん?」

「大丈夫」


 青褪めた顔で口元を押さえながらハジメさんはフラフラと立ち上がる。いつもの余裕ある態度は嘘みたいに影を潜めていた。見慣れたスーツ姿ではなく、今日は私服で髪型も少し違っている。香水のことは全く分からないけど、匂いも心なしか甘い気がした。

 映画館から列を作って外へ出て、休める場所を求めてとベンチの並んだ遊歩道に向かう。

 幸い、晴天だ。気温もちょうどいい。休みの日だけあって、親子連れやカップルも多くて平和な光景が広がっている。

 まぁ、いつもの監視者がどこかに潜んでいるのは間違いなさそうだけど。


「なにか飲みます?」

「いい…… いらないわ」

「ごめん。ホラーが苦手だなんて知らなかったから」

「笑ってちょうだい。いい年齢としして、あぁいうのダメなの」

「苦手なものに年齢は関係ないと思うけど」


 どうやら映画のチョイスは失敗だったらしい。

 いや、最初のハジメさんの反応を真面目に観察しておけば避けられた事態なんだから僕に非がある。

 迂闊に「もしかしてこういうの苦手ですか?」なんて聞いてしまったせいで、ハジメさんは変な意地を張ってしまったのだ。

 落ち着くまでしばらく待とうと彼女の隣に座る。こうなってしまうとフォローしておくべきだ。


「また違う映画、観にきましょう」

「今度は何の情報が欲しいの?」

「いえ、そういうことじゃなくて今日のはノーカンで。ちゃんと聞いておくべきでした。ハジメさんはどんな映画が好きなんですか?」

鏑木かぶらぎくん。正直に答えてもいいけど、あなた絶対に笑うわよ」

「笑わないですよ」

「本当に?」

「もちろん」

「れ、恋愛映画……」


 ボソッと呟いたかと思うと、さっきまで青かった顔が紅潮していた。

 これまた珍しい表情である。


「分かりました。じゃあ、そのジャンルで良いのを探しておきます。上映している場所も」

「笑ったでしょ?」

「笑ってませんよ」

「絶対、心の中で笑った」

「笑ってませんって」


 口では信じてもらえず、軽い握り拳でポカポカ叩かれる。

 その仕草が妙にかわいくてそちらの方で笑ってしまった。だから余計に弁解が大変だった。

 僕は曲がりなりにも取材して文章を書く仕事をしているので、それなりに映画も観る。専門とまではいかなくとも、オーダーに答えて満足させてあげたい。その旨を伝えてようやく納得してもらえた。

 それはそれとして、この後はどうしようか。食事でもしようと考えていたけど、ハジメさんの体調が優れないのなら中止したほうが無難かもしれない。


 判断に迷っていると、ハジメさんが目を細めて人混みの方を見ていた。

 さっきまでとは違う空気を急に纏い、小さく舌打ちする。


「どうしたんです?」

「尾行されていたみたいね」

「またですか……」


 慣れてくると危機感が無くなってしまうものだけど、僕から言わせれば慣れるなんて無理だった。煌煌館の連中だろう。

 忘れかけていたストレスで胃が縮むのを自覚する。

 ハジメさんは僕の手を強く握って立ち上がった。いきなりのことで驚いていると、そのまま人混みをかき分けて走り出してしまう。


「ちょ、ハジメさん!?」

「撒いてやりましょう」

「えぇ!?」


 これは悪手なんじゃないだろうか。煌煌館の監視に対しては気付いていないフリで通す予定だったのに……

 それでも、スタートを切ってしまったのだから仕方ない。僕は手を繋いだまま走ることにした。ハジメさんは意外と足が速い(よく考えれば脚がすごく長いから)。


 遊歩道を駆け抜けていると、物珍しそうに見られてしまった。でも自然と人が避けてくれるのはありがたい。

 景色がスッと後ろへ流れて、次第に身体が熱くなってきた。運動不足でもつれそうになる足をどうにか交互に前へ、前へ。

 追手が来ているのか確かめようと背後を振り返ったけど、それらしい影はなかった。


「どこまで行くつもりですか!?」

「駐車場!!」


 赤信号に変わる直前の横断歩道を抜けて、ようやくハジメさんは止まった。

 肩で息をしながら子供っぽく笑っている。どういうわけか、こんな姿の方がしっくりきてしまう。

 美しい大人の女性よりも、ハンバーガーを食べたがったり、ホラー映画を怖がったり、突然走り出したり、そういうのがハジメさんには似合う気がする。

 辿り着いたのはコインパーキングで、ファミリーカーに混じって1台だけ凶悪なフォルムのクルマが停まっていた。聞くまでもなくそれが愛車だと分かる。

 ボンネットの真ん中には闘牛のマークが入っていた。


「ランボですか」

「コレクションのうちの1台でね、前期型の悪魔ディアブロよ。気に入っているの」

「つまり他にも何台も持っている」

「そりゃそうよ。コレクションだもの」


 真っ赤なボディは全幅2メートルほどありそうだ。僕が持ち主だったら絶対にコインパなんかに駐めない。

 駐車料金の支払いを済ませたハジメさんはクルマのドアをかち上げ、天井の低い運転席へと滑り込んだ。


「走っていれば邪魔は入らないわ」

「今からドライブですか?」

「もしかして時間が無いとか?」

「いえ、大丈夫ですよ」


 僕は助手席に乗ろうとやたら太いサイドシルを跨ぎ、しかしルーフに頭をぶつけ、不恰好に乗り込む。シートに座ってみると異様に腰の位置が低い。なんとも贅沢な乗り物だ。


「それじゃ、行くわよ」


 背中からエンジンの爆音が響いて、通行人たちがびっくりしてこちらを向く。

 脅かしてしまって申し訳ない気持ちになりつつ、悪魔ディアブロは発車した。

 道路へ出て、そのまま比較的遅いスピードで走っていく。流石に混んだ道で飛ばすような真似はしないらしい。


「あれ?」


 歩道を必死に走ってこちらに向かってくる人物がいた。いやというほど見覚えがある。

 エプロンはしていないけど、制服姿の新咲ユリだった。ポニーテールを派手に揺らして、陸上選手みたいに綺麗なフォームをとっている。


「ちっ、なかなかの根性ね……」

「もしかして追手って、新咲さんのこと?」

「いくら探偵だからって無粋じゃないの。映画館デートを尾行するだなんて」

「あー……」


 アルバイトで雇っているので僕のスケジュールは教えてある。

 この時間帯、彼女はフリーの筈だ。特に仕事を言い付けていない。

 わざわざ僕たちの様子を見にきたということか……


「まだ追ってきますね」

「こっちが時速300キロ出せるって知らないのかしら?」

「出すんですか?」

「必要とあらば、ね」


 いくら頭脳が切れても肉体には限界がある。それが本日の教訓だろうか。

 新咲ユリは二つ目の信号を左折したところで姿が見えなくなった。

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