第16話 多重人格偶像

 クリーンな環境を求めて、地域センターの会議室を借りた。仕事場に盗聴器が仕掛けられているので、気兼ねなく話すためにはこういった場所を借りる必要があった。市内在住者なら料金は1時間で1000円。白い壁にあるのは小さな窓と換気扇で全く飾り気がなく、実用一点張りといった感じの部屋だった。使う分には便利で大きなホワイトボードもあるし、申請すればプロジェクターだってレンタルできる。つまりは機能面で十分ということ。

 そんな部屋で、いつもの制服姿の新咲ユリが手にしたマジックペンでホワイトボードへ文字を書き入れていく。カラープリントした紙も何枚か貼られていた。刑事ドラマでよく見る光景かもしれない。印刷されていたのは斎庭ゆにわリエのアイドル時代の顔と現在の顔(こっちは僕が画面越しに隠し撮りしたものだ)、それに与野村誠よのむらまことの顔と何故かカウンセラーの川岸涼太の顔である。


 斎庭リエの過去と現在の写真を見せても、10人中9人は同一人物と気付かないほど変貌している。それは染めていたピンクの髪を黒に戻したからではなく、全体的な雰囲気という意味で。前者が光なら後者は闇……なんて単純なものじゃなかった。

 麻薬中毒者の健全なときの顔と、ボロボロになった後の顔とも違う。

 士官学校を卒業したばかりの新兵と、最前線の戦場を経験した兵士のような差だ。10人のうち1人くらいは見分けるかもしれない。


「斉藤さんからもらった情報を含めて、状況整理しましょう」


 新咲ユリのセリフに僕は頷いておく。

 そのためにわざわざ会議室を借りたのだから。


「現在の斎庭リエはの可能性があります」

「状況整理どころか話がめちゃくちゃ跳躍していない?」

「キルレシアン航空211便墜落事故と、生還した後での世間からのバッシング。過大なストレスによって精神に異常をきたしても致し方なかったと思われます」

「つまり僕は二重人格者にインタビューしていたってこと?」

「多重人格者の可能性があるという意味です。仮にそうだったとして中にいるのが二人だけとは限りませんし、一般的な症例では多人数の人格が発現します」


 初耳だ。そんなこと誰ひとり口に出していない。

 いや、知っていても迂闊に喋ることじゃないか……

 それとも探偵としての推理結果なのだろうか。コメントし難いという風に、自分の眉間にシワが寄るのが分かった。


「新咲さんがそう考える理由は?」

「カウンセラーの川岸涼太が受け持ったクライアントの多くが多重人格症でした。江南クリニックより以前の勤務先では、医師によってそういったマッチングが行われていたようです。得意分野だそうです。あくまでカウンセラーですから、医師と組んで補助的に関わっていたとのことですけど」

「それだけで?」

「他にも幾つか理由はあります。それは後ほど」

「続けて」

「川岸涼太は煌煌館のツテで声がかかっていました。浪費癖があるため報酬目当てだったと推測されます。複数の金融機関に借金があるみたいですね。職業倫理に関しては怪しいところです」

「ハジメさんの報告書、そんなに詳しく書いてなかったけどなぁ」


 クシャクシャになった封筒の中身を思い出す。確かに川岸涼太の経歴など載っていたが、浪費癖がどうとかは書かれていた記憶がない。


鏑木かぶらぎさん、ご存知ないのですか? あの後で斉藤さんから連絡があって、追加の情報をもらったのですが」

「なにそれ全然知らないんだけど。というか、あの後ってどのタイミング?」

「お二人が映画館でイチャイチャして真っ赤でド派手なクルマに乗って、一生懸命追いかける健気な私をぶっちぎった翌日です」

「あー…… うん、イチャイチャはしていないよ。それに陸上選手みたいなフォームで追いかけてくる人を健気だとは思わないかな」

「斉藤さんは『ちょっと大人気なかった。ごめんなさい』ってメール送ってきましたよ。そこに追加の情報が添付されていました」

「メアド交換したの?」

「いいえ。わざわざ調べて送ってきたんだと思います。斉藤さんはもしかして警察の方ですか?」

「違うよ。いや、確信はないけど」

「よりによってお父さんとのやりとり専用のメールアドレスに届きました。家族しか知らないアドレスです。軽くホラーですね」


 それを言ったら君の突飛で的確な推理力もホラーの領域だよ、とはツッコミを入れない。

 新咲ユリの首を傾げる仕草は年相応といった感じだ。厄介事に首を突っ込んでいく普段のアグレッシブさとは程遠い。


「深く考えない方がいいかもね。ハジメさん、『他人の感情』と『自分の身に危険が及ぶような情報』じゃなきゃ何でも調べられるって豪語していたし」

「具体的じゃないです」

「例えば川岸涼太がどんな感情で金融機関から借金したのかは調べられないし、どこかの企業の社内情報を知って値上がりする株を買っておくとかはできないって意味らしい」

「それもまた微妙な感じがしますが…… どちらもその気になれば分かりそうなものですよ」

「ハジメさん自身の趣味や興味の問題かもしれない」

「探偵小説に存在してはいけないキャラですね、斉藤さん。確実に物語をつまらなくしてしまいます」

「僕にとっては、ありがたい存在だけどなぁ」

「でも、動機は理解できました。『他人の感情』を調べられないから、鏑木さんに格安で協力してくれるんですね。鏑木さんがインタビューなり調べるなりして記事が書き上がれば『他人の感情』を読めます。そこに価値を見出しているのでしょう」

「評価されていると喜んでいいのかなぁ……」


 そんな風に考えたことはなかった。

 ハジメさんの場合は単なる気まぐれだと思うけど、実際のところはどうなんだろう?

 でも格安という部分には激しく同意しておく。

 僕は目で「話を戻そう」と訴えた。新咲ユリも心得たようである。


「斎庭リエが多重人格者だったと仮定します。突然、人格が切り替わるから外部の人間に会わせたくない。タブレット越しの面会でも症状が起こるから、お目付役として川岸涼太がいて、まずい場面になりそうだったらすぐに中断する。そんなところだと思います」

「反証いいかな?」

「どうぞ」

「それならそもそも僕のインタビューを受け入れなければいい。煌煌館にはその選択肢があった」

「今現在、敷かれている鏑木さんへの監視シフトとも関連することですが彼らは期待しているんです。鏑木さんのもたらす変化や調査に。だから泳がせているけど、踏み込まれると致命傷になり得る部分があって、そっちには行ってほしくないということでしょう」

「ピンとこないけど続きをお願い」

「仮定を続けます。煌煌館は斎庭リエのインタビューはOKしましたが、彼女の中に潜むと考えています。そこで何らかの不利益あるいは致命傷を被る可能性が考えられます」

「それは難儀な状況だね」


 この辺りは完全に他人事である。何回もレンタカーでG県まで行っているから手間だってバカにならない。インタビューは数分で打ち切られることもしばしば。今のところ、記事にできるほどのネタが揃っていなかった。

 もしも他の人格とやらが実在するなら、その人物だって僕の取材対象となり得る。

 理由はどうあれ、僕から見ればその人格とやらも斎庭リエの一部に属するのだ。


「煌煌館は斎庭リエを軟禁できていても、コントロールできていません。情報が足りずに詳細は全く不明なのですが、があると推測されます。きっと、それが鏑木さんのインタビューで出てくる可能性が高いんです。一方で、他の人格は彼らにとって極めて不利な情報を鏑木さんに喋ってしまう可能性がある。というのでいかがでしょうか?」


 結局、色々と書き込んだホワイトボードは使わずに全部喋って説明してくれた。

 いくつもツッコミどころが存在するのだが、果たしてそれらにどう答えてくれるのか。

 僕は(不本意な形であれ)『道具箱殺人事件』を解決した新咲ユリに敬意を抱いている。あのときみたいに僕からの状況説明だけで答えを出してくれれば助かるのだが、今回は安楽椅子探偵をやめて普通の探偵になってしまった。


「納得がいかないという顔をしていますね」

「その話だと僕をインタビュワーにする必然性が無いな。状況でなし崩し的に、そうなっただけかもしれないけど」

「鏑木さんは煌煌館と利害関係が一致しているからですよ」

「一致?」

「斉藤さんの情報収集力を使ったとはいえ、現状で斎庭リエの所在を掴んでいるジャーナリストは鏑木さんだけです。独占記事を書きたいという意欲を見透かされているから、情報拡散の危険性は低いと考えられているのでしょう」

「つまり、使える可能性がゼロじゃないから泳がせておこうってことね……」

「そのくらい手詰まりなんでしょうね」

「そうまでして斎庭リエが重要な情報を握っているなんて考え難いよ。だって、事故の前までは普通のアイドルだったわけだし」


 そもそも『奇食ハンター』なる肩書きを持つアイドルが普通かという論争は忘れておこう。

 この疑問に対して新咲ユリは即答してくる。


「同じ事故に遭って斎庭リエに食べられたマネージャーの与野村誠は、煌煌館の信者だったんですよね」

「それは裏が取れているよ。間違いない」

「与野村誠が死の直前に、斎庭リエに何か話したとは考えられませんか? 煌煌館に関わる重大な何かです。それも話を聞いた人間では重要性が自覚できないようは内容です」

「隠された財宝の在処かな。あるいはその鍵」

「あながち間違いじゃないかもしれません」

「じゃあ、新咲さんが仮定している他の人格はどんなまずいことを知っているんだろう?」

「修行中の信者を死なせてしまった事故とかですかね」

「あり得そうだ」


 ギリギリ矛盾はしていない。突飛な意見だけど、こういった発想の跳躍は素直に感心する。

 証拠を見つけてから結論を出すのではなく、結論を仮定してから証拠を見つけるのも手法としては悪くない。ただ、必要とされる才能が異なるだけだ。


「頭を使ったから喉が渇いてきた。何か買ってくるけど、どうする?」

「じゃあ、トマトジュースを。色が血っぽいので」


 完全に余計な一言である。血に飢えているのかこの子……

 そういえば『道具箱殺人事件』の被害者の状況を話したとき、嬉々としていた気もする。

 学校の道具箱に死体を詰めなければならなかった犯人の状況をトレースしたのは見事だったけど、冷静に考えると殺人犯の思考回路をきちんと理解できるということだ。あるいは想像力だけの賜物か。

 ともあれ会議室の外の自販機で買って戻ると、新咲ユリは神妙な顔をしてスマートフォンの画面に見入っていた。


「鏑木さん、また斉藤さんからメールが届いています」

「お父さんとのやり取り用のアドレスに?」

「はい。今朝、川岸涼太が亡くなったそうです」

「え?」


 もしかして、と思い僕も自分のスマートフォンを確認する。ハジメさんからメールが入っていて、新咲ユリが話したのと同じ内容が書かれていた。着信時間はほんの数分前である。


『斎庭リエのカウンセリングを担当している川岸涼太が今朝、死体になって発見されたわ。現場の状況から自殺の可能性が高いそうよ』

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