第14話 灰色の不機嫌

「じゃあ、情報料として50万円いただきましょう」

「……急に高くなりましたね」

「適正価格よ?」

「前回の『写真1枚で身元まで特定して980円のワームチーズバーガー』だったのはもしかして特売セール?」

「正確には時価ね。今は50万円くらいの気分なの。受け取ったら駅前でかわいそうな犬猫のために募金を募っている団体に寄付してくるわ」


 ハジメさんは綺麗な黒髪をかき上げ、物憂げな目で指に挟んだ封筒を弄んでいる。ビシッとしたスーツ姿はいつものことだけど、今日はその美貌に明らかな翳りが見えていた。

 封筒の中には川岸涼太に関する調査結果が入っている。彼の経歴や、G県の江南クリニックで働きはじめた経緯、人間関係などなど。依頼から回答まではわずか2日だった。

 近くに来たからと、わざわざ僕の仕事場に顔を出してくれたのである。

 ちなみに彼女が普段、何をしているのか全く把握していない。金回りが良くて、恐ろしいほど情報通ということから職業を推定しようとしたけど徒労に終わったこともあった。

 変に探りを入れなくても確実な情報を出してくれるのだからありがたい。


「あがってください、お茶を淹れますから」

「いや、ここ僕の家なんだけど?」

「せっかく訪ねて来た女性を玄関で追い返すつもりなんですか、鏑木かぶらぎさんは」


 制服にエプロン姿の新咲ユリに促されるまま、ハジメさんは家に上がる。

 仕事をするか寝るかのどちらかしかない僕の部屋はあまり広くないし、おまけに散らかっている。ちょっと申し訳ない気持ちになった。

 こういうとき、かなり前に見栄で買ったダイニングテーブルと椅子が役立ってくれそうだ。邪魔だからと捨てなくてよかった。

 ハジメさんが腰掛けると、新咲ユリは台所でせっせとお茶の準備を始める。


「なんであの子が鏑木くんの家にいるの?」

「アルバイトですよ。助手といいますか」

「人を雇う余裕なんてあったのね」

「いや、ぜんぜん無いんですけど」

「押し切られたのかしら」

「そういうことです」


 とりあえず事情は耳打ちしておく。煌煌館に監視されていること、それに新咲ユリが気付いてくれたこと、首を突っ込んで来たのを追い払おうと思って斎庭リエのインタビューをしようと手を尽くしていること……


「やっぱ、情報料100万円にしようかしら」

「今日はやたらと手厳しくないですか?」

「別にぃ〜」


 口を尖らせたハジメさんは茶封筒をスーツの胸元にねじ込み、そっぽを向く。

 そこはポケットなんか無いでしょう、と思ったけど黙っておいた。

 そうこうしているうちに新咲ユリが緑茶を淹れて持ってくる。このときだけハジメさんはいつもの笑顔に戻って「ありがとう」と礼を告げて、口をつけた。

 機嫌が悪いのか、そうじゃないのか、僕にはもう分からない。


「新咲さん……だったわね。あなたが以前に『道具箱殺人事件』を裏で解決した探偵さんってことね」

「たまたまです。鏑木さんが何となく話してくれたことからひらめいただけですし」

「純粋にすごいと思うわ。情報を結びつける能力、欠けた部分を埋め合わせる能力、それらを統合する能力。人並外れている」


 褒めるハジメさんは優しい笑顔をしている。褒められた新咲ユリは顔を赤くして照れていた。


「鏑木くんのところでアルバイトしているんでしょ。時給はいくら?」

「えっと、900円もらっています」

「タフネスバーガーで働くのと同じ額じゃない。もうちょっと出してあげればいいのに」

「いや、本当ならバイトなんていらな……」


 言いかけたところで背中に鋭い痛みが走った。椅子に座る僕の背中を、後ろに立った新咲ユリがつねってきたのだ。

 いきなりビックリするじゃないか。抗議の声をあげようと振り向いた途端にハジメさんが続ける。


「時給1800円出すから私のところで働いてみない?」

「1800円ですか!?」

「お茶汲みよりやり甲斐のある仕事よ。成果次第ではボーナスも付けちゃいましょう」


 身を乗り出す新咲ユリにグイッと退けられ、僕は椅子ごと倒れそうになった。

 こんなところで引き抜きの現場に立ち会うなんて思わなかったよ……

 それも自分のところから人材を引き抜かれそうになっているわけで。

 どうしてそんな話になっているんだろうな。


「どうしましょうか、ボス」

「ボスって僕のこと?」

「はい、雇用主ですし」

「行けばいいんじゃないかな」

「助手がいなくなるというのに1秒たりとも躊躇ためらいませんね」

「労働条件のいいところで働くのは基本でしょ」


 新咲ユリは腕組みをして唸る。かなり迷っているようだ。

 そりゃ、僕だって給料が2倍になると言われたらスパッとそっちの仕事を選ぶだろう。

 

「このままだと、お湯を沸かしてお茶を淹れただけの女子高生に時給900円を払うことになりますよ?」

「まぁ、そういう契約だからね」

「鏑木さんはもう少しコスト意識を持つべきです」


 押し掛けアルバイトに叱られるダメな雇用主である。

 だからといって止める道理もない。

 何を思ったのか新咲ユリは壁にかかったホワイトボードの前に移動した。

 そしてペンを手に丸っこい字を書き殴る。


『リビングに盗聴器が仕掛けられている前提で話しましょう』


 僕とハジメさんは顔を見合わせた。

 盗聴器だって? 外に出ている時に監視されているのは知っているけど、そんなの初耳だ。


『煌煌館に関する話題はダメです。それは他の場所に移動してから話しましょう』

「でも編集長、私を雇う前に私の凄さをちゃんと理解すべきですよ」

『情報云々の話は玄関先でしかしていません。斉藤さんは出版社の編集長ということで』


 ホワイトボードの文字とはまるで違うセリフをスラスラ喋る。編集長の部分を丸で囲って、新咲ユリはハジメさんを指さした。

 そういうロールプレイを要求されたのだとすぐに分かってくれたようで、ハジメさんも応じる。


「凄さって、どう説明するつもりかしら?」

「では『道具箱殺人事件』をどう解き明かしたのか説明しましょう!」

『私は適当なウソで自己顕示欲を満たそうとしている探偵気取りの女子高生ということでしゃべります。編集長は最初から疑っている感じでお願いします』


 探偵気取りという部分は全く間違っていない。

 いや、盗聴器云々は本当なのかは疑わしい部分だけど。

 あとで業者を呼んでクリーニングしてもらうか?


「そもそもあの事件がなぜ『道具箱殺人事件』と呼ばれているのか? 警察は当初、詳細を伏せていましたが、被害者は全員、共通の凶器によって殺されていました。それこそが小学校で使うだったのです」

「最初の犠牲者は、竹製の30cmの定規を削ったものを頸椎から刺され……」

「二番目の犠牲者は、ハサミを眼球に刺されて傷が脳まで達し……」

「これらの殺人方法は、実は極めて人体に対する理解が高く……」

「なぜ、の中身なのか……」

「犯人は小学校の時の恨みを晴らすために……」


 どれもこれもゴシップ誌に取り上げられた的外れな言説をそのままコピーしたかのようなセリフだった。

 ここまで再現して喋れることに感心するし、それがまるで途切れることなく続けられていく。

 なお、内容は全部外している。これは意図的にやっているのだろう。

 本当の『道具箱殺人事件』はもっと悍ましくて凄惨な結末を迎えているし、そもそも正式な事件名じゃない。


 その間にもホワイトボードの筆談は続いた。その答えは意外にも「1800円よりも楽しい900円を選びます」と引き抜きに関する真面目な回答である。

 ここでまた僕とハジメさんは目を合わせた。


「どうです、編集長。推理力には自信があります。時給1800円ならお買い得な人材ですよ、私!」

「物語を創作する才能は満点のようね。じゃあ、お仕事してもらおうかしら。女子高生探偵さん。早速だけど一緒に来てくれる?」

「えぇ、任せてください!」


 ハジメさんは「やれやれ」と言いたそうな顔で立ち上がると、スーツの胸元からクシャクシャになった茶封筒を引き抜き、テーブルの上に置いた。

 それから僕の耳に触れそうなくらい唇を近づけて「来週あたりに映画でも奢ってちょうだい」とつぶやいた。


 今回の川岸涼太の情報は、ポップコーンとドリンクを入れて5000円くらいだろうか。

 50万円の請求額から下がったことに安堵していいか戸惑っていると、二人は玄関から出て行った。

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