第44話 銀河の街

僕は、パソコンをスリープ状態にした。


今日は愛美と過ごす、最初のクリスマス・イヴだ。


そのことを思うと、正直踊る心を抑えられなかった。




今日だけは『愛』のことを、心から締め出そうと決めた。




僕は、クローゼットを開けて、


クリーム色のテックリブ長袖ニットセーターを身に着けた。


スリムなブルージーンズを履くと、アウターにキャメル色の


フード付きバックスキンハーフコートを羽織った。


左腕には、使い込んだGショックをはめた。




内ポケットには、愛美にプレゼントする、リボンをつけた


指輪をしまった。




そこで僕は、ふと思った。


なぜ、指輪にしたのだろう?ネックレスでも良かったんじゃないのか。


これじゃまるで、プロポーズするみたいじゃないか。


僕の顔は、紅潮した。




いいじゃないか。それでも。彼女がどう思うかわからないけど、


これが僕の想いを込めたものなんだから。


僕は、愛美を愛しているんだから。他の誰よりも―――。




腕時計に目を落とした。午後3時を回っていた。


愛美との待ち合わせは、4時だ。僕は、少し急いで玄関を出た。




それから僕は、電車に乗って渋谷駅へ向かった。


待ち合わせ場所は、いつもの渋谷駅南口モヤイ像だ。




渋谷駅を降りると、人込みでごった返しだった。


街並みは、銀河がそのまま、地上に降りたような


イルミネーションでまばゆいほどだ。


樹々には葉の代わりに、無数の光をまとって、


シャンデリアが、永遠と続いているようだった。




やはり、カップルが多い。僕は人込みをかき分けるようにして、


渋谷駅南口モヤイ像へと向かった。




まだ、愛美らしき人影はなかった。


僕は、少し落胆しながらも、約束通りそこで待った。




空を見上げると、薄暗く灰色の雲に覆われていた。


もしかしたら、ホワイトクリスマスになるかもしれない。




僕は両手を擦りながら、息を吹き込んでいた。


寒さは感じていたが、ほとんど風は吹いていないから、


我慢できないほどの、寒さじゃなかった。




バックスキンのハーフコートの両のポケットに


手をつっこんで、空を見上げて白い息を吐いていると、


背後から声がした。




「巧君、待った?」




振り返ると愛美が立っていた。少し息切れしている。




「いや、僕も今着いたとこなんだ」




彼女は、淡いピンクのプルオーバー チュニック タートル ネックに、


ブルーのチェックの入ったサーキュラー スカート、上着には


白に近いカシミヤリバー ダッフルコートを着ていた。


首元には、深紅のマフラーストールを巻いている。


肩からは小さな薄いブルーのショルダーバッグを掛けている。




僕は、思わず両目を細めた。


いつもの愛美より、数段も美しく見える。




「じゃあ、お店に行こう」




僕は、肘を愛美に向けた。彼女は嬉しそうに


腕を組んできた。




その時、僕の脳裏に、寄り添っている愛美は本物だろうかという、


疑問が浮かんだ。『愛』が、僕の頭に送り込んでいるナノボットが、


見せているバーチャルリアリズムかもしれないと。




でもその考えは雲散霧消 した。それは理屈ではない。


以前に現れた『もう一人の愛美』とはまったく違う、


本物の彼女だと、僕の五感が教えてくれていた。




僕たちが向かった店は、イタリアンの専門店だった。


予約していた窓際の席に腰かけると、


ウエイターが、注文を訊いてきた。




愛美は小食なので、コースで頼むのはよした。


彼女の注文したのは、トマトとサーモンの冷製パスタレモンペパーミントソースだ。


僕は、パンプキンソースのシェルパスタグラタンを頼んだ。




僕らは、食事を楽しみながら、いろんな話をした。


大学での苦手な講師の話や、今度一緒にディズニーランドへ行こうなんて、


他愛の話で盛り上がった。




食事を終えると、デザートが運ばれてきた。


愛美は、ストロベリーがのったパンナコッタ。


僕は無難に、生クリームののったメロン味のジェラート。




愛美は、ショルダーバッグから、おもむろに


リボンのついた、長方形の小さな箱を取り出した。




「巧君、はい、プレゼント」




彼女は、少し顔を赤らめながら、僕を真っ直ぐに見て言った。




僕は、その箱を手に取って言った。




「開けてもいい?」




「うん」




僕は、丁寧に包装紙をはがすと、箱を開けた。




そこにはハミルトンの時計が入っていた。ブラウンの皮ベルトに、


銀色の文字盤が光っていた。




「これを、僕に?」




「うん。気に入ってくれた?」




僕は古びたGショックを外すと、ハミルトンをはめた。


愛美に、左腕を掲げる。彼女も満足そうな笑顔を見せた。




「そのGショック、私にくれない?」




「いいけど・・・」




愛美は言うが早いか、Gショックを左手にはめた。


彼女はうれしそうに、古びたGショックを自慢げに見せた。




僕は、慌てて内ポケットからリボンのついた箱を取り出した。




「こ、これ、僕から愛美に」




テーブルの上に置いた箱を見て、愛美の両の瞳が大きく見開かれた。




「開けてもいい?」




「もちろん」




彼女は、丁寧にリボンをはずすと、包装紙を折りたたんで、


その上に置いた。




濃紺のビロード生地の丸みのある、小さな箱を見て、


愛美の瞳は輝いた。




箱を開けて、彼女は満面の笑みを浮かべた。




「素敵!」




「キミの誕生石を選んだんだ」




僕は頭を掻きながら言った。




すると、愛美は、指輪の入った箱を僕へ向けた。




「巧君が、はめて」




僕は驚いて、彼女を見た。




これって、まさか―――。




僕は、指輪を手に取った。同時に愛美が左手のひらを下に向けて、


差し出した。




僕は心の中でわかっているはずなのに、


彼女の中指にはめようとした。




「その指じゃないよ」




やさしい声で、でも力強く、愛美が言った。




僕は、震える手で彼女の薬指にはめた。


サイズは、ぴったりだった。




「この指輪・・・婚約指輪って思っていい?」




彼女の声は、心なしか震えていた。その大きな両目は少し潤んでいた。




そんな愛美を見て、僕は意を決したように答えた。




「う・・・うん。そう思ってくれると、うれしい」




最高の夜だった。そう、最高の夜になるはずだった・・・。

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