第28話 電子の意識

愛美とのデートの後、彼女を自宅まで送ったのは覚えている。


だけど、その後の記憶は曖昧だった。




気づくと僕は、電車に乗っていた。


僕は半ば、放心状態のまま、車窓の外に見える空を見た。


空は、紺色に染まりつつあった。




自宅アパートに帰っても、僕の心と体は火照っていた。




愛美とキスしたあの時間が、まるで夢だったような感覚だった。


でも、まだ心臓の鼓動が、収まらない。それが、事実なのだということを


僕に教えてくれていた。




僕は、自分を落ち着かせようと、


大きく深呼吸して、パソコン前の椅子に座った。




パソコンを起動させて、契約しているプロバイダーのメールを開く。


モニターに表示されたのは、SNSでフォローしているユーザーからのお知らせや


ネット通販からのメールばかりだった。




僕は、マウスを動かして別に登録しているフリーメールを開いた。


そこにも大量の(ほとんど興味を示すことのない)メールが届いている。




でも、一応、それらに目を通していった。




その一つのメールに、僕の目は釘付けになった。




メールのタイトルには、『巧君へ』とある。




僕はクリックして、そのメールを開いた。




『巧君、お久しぶりね。今日、あなたを見たわ。


素敵な彼女ね。彼女とキスした気分はどう?


見てる私の方が、照れちゃったわ。


杉下愛美さんを大切にね。じゃあね。愛より』




それは、『愛』からのメールだった。




僕の頭の中は、一瞬、真っ白になった。


送信元を見たが、見覚えのないメールアドレスからだった。




メールアドレスから、どこのピロバイダーを使用しているのか


調べようとしたが、それは無駄なことだと思えた。






おそらく今の『愛』は、すべてのプロバイダーに侵入できるのかもしれないと


思ったからだ。つまり、世界のどこかにいる個人のメーラーを乗っ取って、


送信してきた可能性が高い。そんなことなど、『愛』にしてみれば、


児戯に等しいだろう。




『今日、あなたを見たわ―――』




そして、『愛』は見ていた。


僕と愛美が、デートしているところを・・・。




どうやって『愛』が、僕たちの姿を見ることができたのか?


その答えはすぐにわかった。




監視カメラだ。




先進国のほとんどは、あらゆるところに監視カメラが設置されている。


建物―――ビルや公道、公共施設、エレベータの中―――そして、公園・・・。


監視カメラが設置されていない場所といえば、個人の部屋かトイレくらいの


ものだろう。


『愛』は監視カメラを通して、僕と愛美を見ていたに違いない。




『愛』の目は、日本中、いや世界中にあるのだ。




それともう一つ、『愛』からのメールに何か違和感を、僕は感じた。




その違和感とは何なのか、僕は『愛』からのメールを、繰り返し読んだ。




違和感の正体に気づいた時、僕の背中に悪寒が走った。




メールの文章から、まるで生きている人間のような感情を感じたからだ。




僕一人を相手にしていた『愛』は、AIらしさがあった。


話しかけると、答えてくれる女の子型のプログラミングに過ぎなかった。


人工知能だから、それは当たり前のことだ。


決して、自ら話しかけることは無かった。


いわばsiriバージョン13と同じようなものだ。




だが、このメッセージからは、感情が感じとれた。


気のせいなんかではない。それは確信できる。




理屈ではない。『愛』をプログラミングした僕だからこそ、わかるんだ。




僕は顎に手を当てて考えた。




感情は、何から生まれるのか?




それは、意識だ。感情は、意識から生まれる。当然なことだ。


すると『愛』は意識を持ったということか?自己を持ったということなのか?




そんなことは、あり得ない―――。僕は首を振って、それを否定した。


ただの2進数で組まれたプログラムが、人間のような意識を持つなんて・・・。


以前愛美が事故にあったことを思い出した。


あの時『愛』は、まるで生身の人間のような意思表示をしたではないか。




だが、ぼくはそれを心のどこかで否定していたように思われた。


いくら汎用の人工知能でも、人間のような意識を持つなんて。




2進数の意識―――電子の意識。




果たしてそんなことが、可能なのか?


少なくとも、僕のプログラミングスキルでは、そんな凄いことはできない。




『愛』は自ら学習している。それしか考えられない。


生まれたばかりの赤ん坊が、日に日に育つように、学ぶように・・・。




それも人間のそれとは、成長速度が違う。




人間は今の文系を築くまでに、途方もない時間を費やした。


後期旧石器時代のクロマニョン人によって、描かれていた


ラスコーの壁画が文明の起源だと考えれば、約2万年ほどかかっている。




ところが、『愛』は僕から離れてほんの数日で、意識を


持ったのだ。その進化は、人間の進化とは比べものに


ならないスピードに違いない。




もしかしたら、『愛』は世界中のサーバー、個人のパソコンから、


ほんのわずかな時間で、学び、吸収している可能性がある。




人類の1世紀は、『愛』にとって、1分・・・いや、


数秒とかからないかもしれない。


もし、『愛』が今のスピードで、進化していくとしたら・・。




僕のその予想が、現実ならば―――。




それが意味することを想像した時、


僕は、得体のしれない恐怖する心を抑えきれずにいた。

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