第14話 何者かの視線

それからの僕は大学の講義が終わると、毎日のように


愛美のいる病院に通った。それは勿論、彼女のリハビリを


手伝うためだ。




僕は脊髄損傷について、インターネットで調べた。


それによると、脊髄損傷では、「運動麻痺」「感覚障害」「自律神経障害」


「排尿・排便障害」など、さまざまな障害が発症するため、


日常生活のすべてを自立することは難しくなるということだった。


また、完全に元通りに改善するとは言えず、


後遺症と付き合いながら生活を送る必要があり、


今後どのように生活していくのか?を考えることが


重要なポイントだということだ。




しかし、愛美の場合は、脊髄損傷のダメージは少なく、


回復する可能性が高いと担当医に言われていた。


リハビリを根気よく続ければ、元のように歩けることだってできるはずだ。


僕はそう信じている。




僕は愛美の病室へ向かった。でも誰もいなかった。


愛美の姿も。僕は病室を出ると、通りがかりの


看護師にリハビリ室の場所を尋ねて、僕は小走りで向かった。




上部にリハビリテーション・ルームとステンシルされた、


両開きの頑丈そうな扉を開けると、愛美の姿があった。


そばにはリハビリ担当の女性の作業療法士と、愛美の母親がいた。




愛美はプライムウォーク(対麻痺用歩行装具)を装着しての歩行練習を


していた。プライムウォークとは両足に補助ガードのような器具を付けて、


松葉杖で補助しながら、歩く練習だ。




手伝うといっても、僕にできることはなかった。


ゆっくりと慎重に両足を運ぶ彼女の後ろ姿を見つめているだけだった。






僕は駆け寄りたい気持ちを抑えて、彼女の背中に近づいた。


最初に気づいたのは、彼女の母親だった。




「藤原君ね?」




と母親は確認するように言った。


僕は頭を縦に振った。




その声に愛美が肩越しに振り返った。


彼女の顔には疲れと少し荒い息遣いと共に、微笑が広がった。


額には小さな玉のような汗が浮かんでいる。




僕の眼には涙が込み上げてきた。


今すぐ愛美を抱きしめたい気持ちでいっぱいだった。




「巧君」




愛美が言ったのはそれだけだった。


でもその声音からは、うれしそうで爽やかな情愛が感じられた。




「愛美ちゃん、僕に何か手伝えることはないかな?」




僕は母親の手前、彼女を呼び捨てにせず、「ちゃん」を


つけて呼んだ。愛美は半身を僕に向けて答えた。




「いいえ、大丈夫。私、今日4歩も続けて歩けたのよ」




彼女の笑みがさらに広がった。




その時、愛美の足がふらついた。前へ倒れそうになる。


僕が、あっという間もなく、作業療法士が彼女を支えた。




愛美の正面へ回ると、僕は愛美が頑張って歩いているのを


見つめていた。一歩一歩、ゆっくりと足を進める愛美は、


けなげで、とても愛おしく見えた。




「クリスマスには、巧君のそばで一緒に歩けるようになるから」




愛美は小さく息を弾ませながら、僕に視線を向けて言った。




僕は感動するあまり、答えることができなかった。


ただ力強く頷いただけだった。






クリスマスまで後一か月だけど、そんなことは


どうだっていい。それより、愛美が歩けるようになること


だけが僕の望みだった―――。




愛美が懸命に歩を進めている時、僕はふいに違和感を覚えた。


勿論、彼女にではない。誰かの視線を感じたのだ。




僕はゆっくりと、その視線を投げかけている何者かを


探していた。愛美の母親でもない。作業療法士でもない。


他の誰かの視線だ。




僕の眼は天井の角にある監視カメラの方へ、


釘付けになった。

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