第28話 完

「エリーゼ様にプロチウム殿下より贈り物をお持ちいたしました。お目通りをお願いします」


 エリーゼが王都に帰還して数日後、王都のアブソリュート伯爵邸を訪れたのはクレヌだ。その両手には小箱が二つとボストンバッグのような大きな物が一つ。

 そんなクレヌを出迎えたマギは彼を客室へ通し、エリーゼを呼びに行こうとして扉の前で足を止めた。

 ソファーを見れば、「何か?」と人の良い笑みを称える、稀代の天才クレヌがいる。

 マギは自分のこめかみが痙攣したのが分かったが、努めて冷静を心がけエリーゼを呼ぶために「少々お待ちください」と、部屋を出て行こうとした。


 そんなとき、ふいに後ろから声をかけられた。


「アブソリュート伯爵家に来て一番の驚きは貴女に会ったことです。エリーゼ様の侍女が貴女とは思いもしませんでした」

「左様でございますか」

「でも、これで合点がいきました」

「……」


 マギの背後で一人で納得したクレヌ。そのクレヌを振り返れば一癖も二癖もある真意の読めない笑みでマギを見てくる。


「五歳の時に硲の森で氷結魔法を使ったエリーゼ様が、それ以降は氷結魔法を発動しなかったのは貴女のおかげですよね、マギ殿」

「……何のことでしょうか?」

「氷結魔法には核が必要で、エリーゼ様が何かの魔法に触れる必要がある。それはつまり、魔導師すべてがエリーゼ様の氷結魔法の土台となってしまうという事。そこにエリーゼ様の感情の昂りか何かの条件が当てはまれば、どこでも氷結魔法が発動してしまう、そうでしょう?」

「それだとして、何故私が?」

「貴女はエリーゼ様の前では滅多に魔法は使わなかったし、それどころか、エリーゼ様が魔導師扱いすると怒った。そしてエリーゼ様が魔法に不必要に触れないように目を光らせていたはずだ」

「どうやってです?」

「アブソリュート伯爵家に出入りしている魔導師に聞きました。エリーゼ様が魔法に触れそうになるとどうにも魔法がうまく発動しないし維持ができないと。一時は、エリーゼ様は特異体質なんじゃないかという話も持ち上がったそうですよ。マギ殿、貴女が全部かき消していたようですね」


 クレヌにそう指摘され、マギは口元に弧を描いた。

 魔導師が自分の発動した魔法を消されてその原因が分からないなどあり得ない。もし突き止められないならよほどの間抜けか才能がないか、とにかく魔導師に向いていないことこの上ないだろう。


「……魔導師に気付かれずそんなことできませんよ。もし気付かないなら、その魔導師達はよほど腕がないのでしょうね」

「それは魔導師に悪いですよ。貴女相手なら仕方がない。私がいなければ確実に貴女が稀代の天才の名をほしいままにしていたはず。……いや、私がいたとしても、貴女が軍から逃げ出さなければ貴女が実力的には私の上のはずだ。そうでしょう、ラディア・バース」

「……よく覚えていたわねその名前」

「『ラディアのようになれ』と、いうのが軍の連中の口癖だったんだ、忘れるわけがない。そんな貴女なら魔導師本人に気付かれず魔法をかき消すことなど容易なはずです」


 笑顔でため息をついたクレヌの表情が一転した。目が細められ、口から発せられる声がワントーン低くなる。クレヌよりも、プロチウムと言った方がいい雰囲気にマギは大人しく話の続きを待った。


「貴女が失踪して十年が経つが、未だに軍は追跡の手を止める気はない。身バレをしないように気をつけてくれ」


 未だに軍に追われている。

 そのクレヌの言葉にマギは盛大にため息をついた。


 プロチウムのおかげで隣国との国交は正常化されつつある。それなのに未だに腕の立つ魔導師を確保したいと目論む軍の連中のいけ好かない顔を思い浮かべ、マギは心の中でそいつらを二、三回叩きのめした。


 ―――――


 マギ、もとい、『ラディア』はごく普通の一般家庭に生まれた。そう記憶しているが、幼少期の記憶は親から虐げられた記憶が大部分を占める。


 プロチウム同様生まれつき魔導の素質に優れたラディアは、魔法に対する古い認識の両親に気味悪がられたのだ。そして、お金と引き換えに軍に引き渡され無理矢理魔導師にさせられた。それが七歳の時。

 その二年後、隣国との開戦の機運が高まった最中、プロチウムがクレヌと名乗り軍にやって来た。新しい素晴らしい資質の持ち主に夢中になる軍。彼らの意識がプロチウムに集中したこの好機にラディアは軍の施設から逃げ出したのだ。


 当時ラディアがいたのは東部にある国境に近い軍の施設で、そこから逃げ東部地域に身を潜めていたラディア。実力的に手放せないラディアを捕らえようとする軍の追っ手の追及は厳しく、次遭遇したら相手を殺してでも逃げようと、そう市井での魔法戦を覚悟した。


 だが、容姿を変え潜んでいた町でラディアは思わぬ拾い者をした。

 日雇いの仕事をしていた帰り道、果物店の店先で服の裾を、くいくい、と引かれた。見れば、金髪の可愛らしい女の子が涙目で見上げてくる。身なりの良さからするに裕福な家の子供だろう。


「迷子なの……。おねえちゃん、私のおうち知らない?」

「……誰? どこの子よ」

「おなまえは内緒なの」

「それじゃあ、分からないんだけど……」

「あのね、魔法使いのひとのおうちに行く途中でね、はぐれちゃった」

「魔法使い? ああ、魔導師の事? じゃあ、その魔導師の名前は?」

「……おじちゃん」

「だめじゃん……」


 頭を抱えたラディア。憲兵に子供を引き渡すのは、自分の素性がバレそうで気が引けた。そこで、路地裏に子供を案内し「いい、来た道を戻らせてあげる」と提案した。


「戻るの?」

「そう。家はどこだか知らないけれど、家からその魔導師の人の家に行くところだったんでしょう? だったら、来た道を戻れば家に帰れる、それなら帰してあげられる」


 軍属魔導師が使う追跡魔法の一つに来た道を辿るという魔法がある。子供の前だ、魔法を使ったとしても身バレはしないだろう。そう思ったラディアは、胸元から銀の鏡を引き出すと、その鏡面をなぞって使う魔法精油を選んでいく。

 目の前の子供はそれを好奇に満ちた視線で凝視してくるので何ともむず痒くなってくる。


「それ魔法のやつ!! どうやるの? どうやるの?」

「うるさいわね……」

「どうやるのー!?」

「あー、もう。使いたい魔法にあった魔法精油を選んで混ぜ合わせてパチン! よ」

「まほうせいゆ、知ってる! おとうさまが魔法使いの人とけんきゅうしてる!!」

「は? 研究?」

「ねえ、おねえちゃん、私も、パチン! ってやりたい!」

「……魔導適性がないと無理だから」

「ま、まど……てきー?」

「そんなことより、動物は何が好き?」

「うんとね、動物より葉っぱとお花が好きー」

「……却下よ。犬でいいわね」


 そうして銀の鏡から滴った魔法が地面に落ちると、もこもこと子犬が姿を現し、「キャン」と可愛らしく一声鳴いた。それに子供は大層興奮した。


「わあ! 可愛い!! このこおねえちゃんが魔法で出したの!?」

「まあね。その子犬について行けばお家に帰れるから気をつけて帰るのよ」

「はーい!」


 はち切れんばかりの笑顔でそう言った子供は、子犬を抱き上げ頬ずりした。


「ちょっと、抱き上げたら意味ないんだけど――」


 その瞬間だ。

 ピキ、という微かな音と主に、ラディアが出した子犬が氷と化し、周囲の壁が白くなった。


「うそ……、氷結魔法!? そんなバカな!!」

「あれ、おねえちゃん! ワンちゃん動かないーー!」


 そう泣き始める子供を目の前にしてラディアの思考は現状を把握しきれなくなった。文献でしか目にかかったことのない氷結魔法。自分すら使えないものを使う子供。口から出てくるのは現実を否定したくなる言葉だ。


「あり得ない……」


 そんな呆然と立ち尽くすしかないラディアの耳に路地の表から声がした。


「おい! こっちで魔法の形跡が――」

「しまった!!」


 ラディアは思わず子供抱えてその場から逃げた。

 追われているのが自分で子供を巻き込むのは気が引けたが、あの凍りついた現場を見られたらと思うとゾッとする。

 もしもこの子供が使ったと知られたら、超貴重な氷結魔法の使い手を軍が放っておくはずがない。絶対に良いように利用されてしまう。数年前の自分と重なったラディアは子供を抱えて逃げることに尽力した。


「あ、みて、ワンちゃん動くようになったよ! よかったねぇ」


 しばらくしてそうのんきに声をあげた子供。子犬の道案内で家に帰ると、そこは想像していたよりも立派な邸宅。


「げ、ここって……」

「お嬢様!!」

「リゼ!!」

「あー、お父様ー」


(やっぱり、アブソリュート邸!!)


「リゼを連れて行った魔導師から連絡をもらって心配したんだよ!? 無事でよかった!」

「あのね、あのおねえちゃんがワンちゃんを出してくれてね、それでね、連れてきてくれたの!」

「ワンちゃんを出す? それはそれは……。どうぞ中に、是非ともお礼をさせてください」


 人の良い笑みを浮かべた少し線の細いアブソリュートの主。こんな所で油を売る訳にはいかない。その辺まで追手が迫っているなら東部地域を出てもっと遠くへ逃げないと。


「結構よ。それより、一つ良い? 私が口をはさむことじゃないかもだけど……」

「何でしょうか?」

「……魔導師に関わらせない方がいいんじゃない? その子の資質は、……気をつけた方がいいって」

「それは……。ますます中でお話を伺いたいものですね。リゼ、お前もお姉さんに来てもらいたいね?」

「うん!」

「は? 私は――」

「最近、とある魔導師が逃げたとこの辺にも捜査の手が入っていて何かと外が騒がしいんですよ。そんな騒がしい所に戻りたくはないでしょう?」

「それは――」

「そんな年で魔法が使えるなど、滅多にいませんよ? 言っておきますが娘の恩人を無下には致しません。さあ、どうぞ」


 そうして屋敷に招かれたラディアは、エリーゼに懐かれ、アブソリュート伯爵と契約を交わした。


 硲の森を管理するアブソリュート伯爵家。もっと言えば、硲の森は元々アブソリュートの所有地だった。その血筋になら硲の森を色づかせるための氷結魔法の素質がある人間が生まれてもおかしくはない。エリーゼの父親のアブソリュート伯爵も、娘がその資質を持ったことに関してはさほど驚いてもいないようだ。困ったのは、エリーゼがやたらと氷結魔法を人前で晒しはしないだろうかということ。そうなれば、エリーゼが利用される未来が手に取るように想像できる。


「君がラディア・バースなら一つ提案があるのだけれど」

「……何よ」

「その姿は変装だね? ラディア・バースは赤髪碧眼の少女だと聞いているから」

「まあ……。逃げるのに赤髪じゃあ目立つし」

「なら、容姿は今のまま、名前を変えてリゼに付いてくれないかい? 君ならリゼが魔法に不必要に触れないように警戒できるだろう?」

「お言葉だけど、そもそも、その子を魔導師に近づけなきゃいいんじゃない?」

「それがね……」


 アブソリュート伯爵は、そっとハンカチを取り出し涙をぬぐった。


「リゼを魔導師から引き離そうとすると、『お父様嫌い!』と言ってしばらく口をきいてくれないんだ。リゼは植物と魔導師と魔法が大好きなようで……。それに、魔法を見ているリゼは目が輝いていてそれはそれは可愛くてねぇ!」


 一転、嬉々として話しだしたアブソリュート伯爵に、ラディアは心の中で盛大にため息をついた。


(はぁ……、親バカか)


「まあ、私としてはリゼの資質が知られるのだけは何としても避けたい。それを防いでくれるなら、君の事も全力で守らせてもらおう。どうだい?」


 その申し出をラディアが受け入れ、侍女見習いとしてアブソリュート伯爵家に仕えることになり、ラディアという名は捨てマギと名乗ることになり今日に至る。


 ―――――


 そこまで思い起こし、マギは目の前のクレヌを見た。

 自分は十年前逃げ出して救われた。

 その一方でクレヌは無理強いされたはず。心底恨んでいて当然の相手から、先ほど『身バレをしないように気をつけろ』と遠回しに心配されたのだ。それがいささか腑に落ちないマギだった。 


「……十年前自分を置いて逃げた魔導師を気にかけるだなんて、クレヌは随分お人好しになったものね。私がいればクレヌが大々的に表に出ることもなかったでしょう、恨んでいないの?」

「それは、もう十年前に終わりました。エリーゼ様が終わらせてくれたから今は何とも思っていない。それより、エリーゼ様が下手に人目につかないように守ってくれて感謝しているくらいです」

「別にクレヌに感謝されるためにやったんじゃないんだから変に気を使わなくていいわよ。それより、一つ聞きたいんだけどいい?」

「何?」

「何故クレヌの姿で来たの?」

「こっちの方が自由が利くんですよ」

「昔は嫌がっていたくせに……」

「ノアレではプロチウムの姿でしたから、しばらくはこちらでいようかと思いまして。エリーゼ様はどちらでも良いと言って下さいますしね」

「そう、それは羨ましいこと……」

「羨ましい?」

「……」


 思わず出てしまった「羨ましい」という言葉。

 消せない自分の発言に忌々しく舌打ちをしたマギは、もう話はないとばかり部屋を出て行こうとした。


「エリーゼ様はラディアの姿でも受け入れてくれるのでは?」

「……」

「むしろ、『魔法を見せて』と嬉々とされると思いますけど。いや、絶対そうだ!」


 そう面白そうに笑うクレヌ。確かにその通りだとマギも思うが、さも当然のようにいうクレヌが少々面白くない。マギは自分のこめかみが先ほどよりも強く痙攣し始めたのを必死に耐えた。


「あの好奇心は昔から変わりませんね。というか、一層強く――」

「昔から……? ですって?」


 マギの目が細められ、口元が吊り上がった。


「マ、マギ殿?」

「昔からですって!? 最近急にポッと出て来たくせに、私よりエリーゼ様を知っているようなことを言うんじゃない!!! あんたなんて、たった一度、硲の森で会っただけじゃない! 私がついていなかったのを良いことにエリーゼ様をたぶらかして!!!」

「た、たぶらかす!? それはひどい誤解が……」

「そもそも! 硲の森で会った氷結魔法の使い手と同じ年ごろの子供がいれば真っ先にアブソリュートの令嬢を疑いなさいよ!! それを何!? エリーゼ様に『私だけ忘れるなんてずるい』って言われて自分までエリーゼ様の特徴を忘れるだなんてアホじゃないの!?」

「いや、あの時は確か硲の森に隣接した湖で子供たちが大勢遊んでいて……、その中の誰かかと……」

「そうね、その子供たちのお守をしてて私がエリーゼ様から目を離したすきにあんたって奴は!!」

「酷い言いがかりだ!」

「事実じゃない!」


 不機嫌さを露わにしたマギが、胸元から引っ張り出し鏡面をなぞり始める。それを見たクレヌも思わず胸元から鏡を引き抜いた。

 すると、その鏡を見たマギが、「言っとくけど!」と、更に不機嫌さを増した。


「だいたいね! エリーゼ様が銀の鏡を買って『クレヌ様とお揃いなのよ!』って嬉しそうにしているから水を差してないけど、銀の蓋つきの丸鏡なんて、魔導師全員とお揃いなのよ!!」


 マギが蓋を閉じた。


「わ……、それは待った!! ここで魔法はまずい――」


 クレヌの叫び声をかき消すように、アブソリュート邸に轟音が響いた。





 それは自室で本に夢中になっていたエリーゼを現実に引き戻すのに十分な音と振動で、本を抱えて思わずテーブルの下に隠れてしまうほどだった。


「な、なな何!? 屋敷内で何が起きたの!? マギ!? どこよ!?」


 揺れが収まり慌てて部屋から出たエリーゼ。だがおかしい。いつもならこういう時には真っ先にエリーゼのところに飛んでくるマギが現れない。不安に感じたエリーゼは、慌てる使用人たちが駆けていく先へとついて行った。


 客人が招かれる部屋の扉。

 その部屋の前で立ち尽くす使用人たちをかき分けて、エリーゼが声をかけた。


「マギ!? いるの?」


 そう切羽詰まったエリーゼの声と、固唾を飲み込む使用人たち。

 エリーゼが扉を開けようとした時に、急に内側から開いた。


「エリーゼ様、いかがなさいました?」

「マギ! 無事なのね!」

「無事とは? ああ、お呼びに行くのが遅くて申し訳ございません。クレヌ様がいらしてますよ」

「クレヌ様が?」


 部屋を覗けばいつも通りの調度品がならび、何一つ変わらぬ室内。その中でソファに座っていたクレヌが立ち上がった。

 ソファの上には小さい箱が二つと取っ手のついた質のいい素材のボストンバッグのようなものが一つ。


「クレヌ様……、先ほどの爆発音はこの部屋ではないのですか?」

「ああ、凄い音がしましたね。ですがここではありませんよ。外ではないですか?」


 うーん、と考えるそぶりを見せるクレヌが腑に落ちないエリーゼ。そんなエリーゼを残し、マギは他の使用人を連れて部屋を後にしてしまった。


「クレヌ様、何だか部屋が焦げ臭い気がするんですが……」

「そ、それは気のせいです。それより今日は封蝋をお持ちしました」

「封蝋?」

「ええ。以前、プロチウム殿下の封蝋からいい香りがすると仰っていたでしょう? エリーゼ様用に特別に作りました」

「まあ! 覚えていてくださったの!? ありがとうございます!」


 クレヌに渡された小さい箱。エリーゼが箱を開けると丁寧に箱に収められている封蝋からはいい香りがする。エリーゼは箱ごと持ち上げ顔を近づけたが、すぐに箱を机の上に戻した。


「あ、あの……。この香り、も、もしかして。シ、シャ……」

「お気づきになるのがお早いですね。使ったのは『シャスター』です」

「何故そんな高価なものを!?」

「エリーゼ様といえばシャスターでしょう? むしろ、エリーゼ様が実らせたようなものなのですから当然です」

「そんなイコールありません! ああ、もったいない。これは家宝にします」

「それではせっかく用意した意味がないのですが……。そうだ!」


 ほんの一瞬残念そうにしたクレヌだが、すぐに嬉々としてこう提案してきた。


「今日は午前中はこちらでお話しできればと思ってきたのですが、予定を変えてこれから街へ行きましょう。王家御用達の封蝋を扱う店にプロチウム殿下特注の物がありますから、そちらをプレゼントいたします。それなら使って下さるでしょう?」

「でも、それだって高そうだわ……」

「そこまでしませんよ。それに、プロチウム殿下とお揃いですよ。他に誰も使っていない正真正銘のお揃いです」


 やたらと『お揃い』を強調するクレヌに首をかしげながらも、街に行けるとあってクレヌの提案をすんなり受け入れたエリーゼは、「行きましょう!」と席を立った。


「ああ、お待ちください。あと二つございます。一つはフィルスカレントの工場のご夫婦からです。軍の魔導師会にクレヌ宛で届きましたよ」

「アミナちゃんのご両親……? あ!」


 もう一つの包みをいそいそと開けると、中には手のひらサイズの缶が複数入れられていた。そのラベルには『クリ・グレイ』と書かれている。

 その間を一つ取り出しエリーゼは缶に頬ずりした。


「約束した通り本当に送ってくださったのね!!」

「本当にその茶葉が気に入ったんですね。あの時はびっくりしました。民家で出されたものを先に飲むから、何か入れられていたらどうしようかと心配したんですよ? ああいう時は私が先に安全か確かめますから少し待たないと駄目です」


 そう呆れたように言うクレヌ。だが、言われたエリーゼがクレヌを見る目は冷ややかだ。


「な、なんでしょうか、エリーゼ様」

「……お言葉ですけれど。中身がプロチウム殿下にそう言われても素直に『分かりました』だなんて言えません。殿下に毒見させるだなんて、絶対だめですよね? 却下です――ぅ!?」


 エリーゼがクレヌに反論する傍らで、クレヌの横にあったボストンバッグがガタガタと音を立てて形を変えた。中から何かが突き上げているらしく、グイグイとバッグの生地が伸びている。


「な、ななな何が入っているのですか!?」

「ほら、エリーゼ様が危ないことをしようとすると彼が放っておきませんよ」

「だ、誰ですか……」


 クレヌがバッグの天井部分を少し開けると、「遅い!」とばかりに中に入っていた彼が自分の鼻を使ってバッグをこじ開けた。開いた次の瞬間中からひょい、と飛び出してエリーゼのひざに俊敏な動きで乗っかったのは、猫サイズの動物。綺麗な毛並みが特徴的な、絶滅寸前の希少動物、ワックスだった。


「まあ!! コナラの町で会った子ね!! 元気だった!?」

「ピィ!」


 まだ子供のワックスを抱き上げて頬ずりすると、なんとも触り心地のいい毛並みで顔を擦りつけてくる。しばらく抱き心地擦り心地を堪能していると、いつの間にか部屋の外に出ていたクレヌがソファに戻って来た。


「彼らは王都から馬車で三十分の町に引き取られています。王都近郊ですが緑が豊かでいい場所ですよ。流石に大人を連れてくるのは無理でしたので今日はその子ワックスだけです。そのうち他のワックスにも会いに行きましょう」

「そのうちって……。この子は今日はどうするのですか?」

「私が後で町まで連れて帰ります」

「まあ! なら私も一緒に行きます!」

「え!? 流石に今日の今日で王都の外へはちょっと……。それに、返しに行くのは今日の午後、プロチウムとしての視察のついでです」

「じゃあ、それに私も同行――」


 そこまで言いかけてエリーゼは「ハッ!」と言葉を飲み込んだ。


(って、わがまま言ってる場合じゃないわ。これじゃあ、フリーネのパーティーでのリチェルーレ様みたいじゃない!)


 そう考えて動かないエリーゼにクレヌが首を傾げた。


「エリーゼ様?」

「し、失礼致しました。今回は諦めます」

「おや、急にどうしたんですか?」

「いえ……。お仕事の邪魔は致しません。当然でしょう?」


 背筋を伸ばして、そうやせ我慢をするエリーゼの事を見透かしたのか、一瞬驚いたクレヌはすぐに笑みを湛え始めた。


「もう、お笑いにならないでください! それより、封蝋を扱うお店に連れて行ってくださるのでしょう? 遅くなったら午後の予定に響きますから早く出かけた方が良いのでは?」

「ああ、少し待ってください。先ほど届いた茶葉を煎れてもらうように頼んでますから」

「……いつの間に?」

「エリーゼ様がワックスに夢中の間にです。口と手が別人の様ですよ」


 クレヌの視線はエリーゼの膝の上で気持ちよさそうに目を閉じて大人しくしている子ワックスに向けられた。クレヌと話している間もエリーゼの手はずーっと子ワックスの頭を撫で続けており、止まる様子は欠片もなく、クレヌの視線を受けてもその手を止めることはない。

 少々バツが悪くなったエリーゼは、子ワックスを膝の上から持ち上げ抱きしめた。


「だって可愛いんですもの、ほら」


 クレヌに同意を求めたエリーゼ。そんなエリーゼをしばらくじっと見つめてから「ええ、そうですね」と笑顔になったクレヌにエリーゼは若干違和感を感じた。


「失礼いたします」


 ノックと共にマギがお茶を運んできた。


「……これから、エリーゼ様が街にですか? クレヌ殿とご一緒に」

「ええ、封蝋を扱うお店に連れて行ってくれるの」

「エリーゼ様はご自分のがまだございますでしょう? 足りなければ手配いたしますよ」

「プロチウム殿下のお使いの物と一緒の封蠟を下さるらしいの」


 それを聞いたマギの目が細められた。


「プロチウム、殿下と、一緒? まあ、そうですか。それは、それは……。良かったですね、エリーゼ様。では、早く用意をしないといけませんね」


 最終的には笑顔で「どのような街娘姿がよろしいでしょうね」と、言うマギ。そんなマギは少し悩んで、「ああ!」と何かを思いついたように、一度クレヌを見るとエリーゼに向き直った。


「エリーゼ様、先に一つ申し上げておきますよ」

「何?」

「街に出かけられて嬉しいのは分かりますが、同行されるのはクレヌ殿ですからね。プロチウム殿下ではございませんので距離感をお間違いにならないようにしてください。クレヌ殿と親しくなさって、あらぬ噂が立ってしまってはプロチウム殿下にもご迷惑がかかってしまいますから」

「……まあ、確かにそうね。それはまずいわ!」


 マギに言われなければクレヌの手を引いて街に出てしまいそうだったエリーゼ。世間はクレヌとプロチウムが同一人物だと知らないのだから、確かにマギの言う通り、クレヌに対してプロチウムに接するようにしてはいけない。護衛の魔導師というクレヌの立ち位置をあやうく忘れかけていたエリーゼはマギに感謝した。


「言ってくれないと楽しさで忘れるところだったわ。ありがとうマギ」


 エリーゼは紅茶を手早く堪能して支度をするべく席を立った。子ワックスは抱えたまま。


「ではクレヌ様、少しお待ちになってて」

「エリーゼ様は先にお部屋へ。私はこちらを片付けてから参りますから」


 そう言ってマギがエリーゼを送り出した。

 静かになったエリーゼがいなくなった部屋で先に声を発したのはクレヌだ。


「余計なことを……。貴女は小姑か何かですか?」

「おや、クレヌ殿。私は至極まっとうな意見を申し上げただけですが? 何か問題でも? 文句がおありでしたらプロチウム殿下が直々にいらっしゃればいいのですよ」


 お互いどす黒い笑顔を張り付けて微笑みあう。

 見た周囲の人間の胃が痛くなるほどの笑みの応酬をする二人は、最初こそエリーゼに見られぬように気を遣っていた。だが、次第にそれを隠さなくなりエリーゼを困惑させることになるのは、もう少し先の話。

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王子の仮婚約者のお嬢様、魔導師とお出かけして甘やかされる 佐藤アキ @satouaki

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