第27話

 ノアレ領に着くとプロチウムはすぐに公務に入ってしまい、エリーゼは到着した日はそれ以降プロチウムには会えなかった。ドレスのフィッテイング、ずらりと並べられた宝飾品。プロチウムが開く外交関連パーティーの準備が大忙しなのだ。

 そしてここにきてエリーゼを悩ませたのは机の上に積まれた資料だ。三つの山に分けられた紙の断面が不敵に笑っている幻覚がエリーゼには見えた。


「こ、これを、全部、覚えるのですか?」

「はい。今回お招きした各国の来賓の方、並びにその国の基本情報です」

「そう、それは仕方ないわよね、って、ちょっと!?」


 エリーゼは思わず今話しかけたメイドを振り返った。


「マギ!?」

「エリーゼ様、ご無事で何よりです」

「何故ここに!?」

「ストーンレイクの村から電話を頂きましたので、飛んできました」

「は、半日で!?」

「魔導師ですから、当然です」


 シレっと口にしたマギに肩の力が抜けたエリーゼは、他のメイドがいないのをいいことにソファに雪崩れ込んだ。


「エリーゼ様、お行儀がお悪うございます」

「いいじゃない……マギだけだものぉ! 無理よ! こんな沢山覚えられないわ!」

「貴族方の情報ならバッチリ頭に入っていらっしゃるじゃありませんか。令嬢として社交界では当然のことですよね。同様にプロチウム殿下の婚約者なら、他国の事に通じていて当然なのです、泣きごとを仰らないでください。未来の王妃ともなれば、覚えることは山の様にございます」


 あくまで冷静なマギ。普段は魔導師としての力など一切見せないが、腕が立つことは確かのはず。エリーゼは恨めしそうにマギを見た。


「そんなお姿プロチウム殿下の目に入ったら百年の恋も冷めてしまいますよ。ほら、しゃんとなさい!」

「うう……」


 そうして資料とにらめっこするうちにソファで寝たエリーゼ。

 翌朝、ベッドの上で目覚めると、青ざめる羽目になった。


「嘘でしょ!? 無い!」


 机の上に置いてあった箱がない。プロチウムからもらった壊れたヘアドレスが入ったものだ。勿論中身が残されている訳もなく、エリーゼの元からきれいさっぱりと無くなってしまった。


「だ、誰!? どうしよう……」


 まさか、ノアレのプロチウムの居城に来て紛失するとは思わなかった。呆然とあったはずの机を見て一向に動かないエリーゼにマギが「こほん」と、咳ばらいをした。


「エリーゼ様、こちらを羽織ってください」

「なによ……、こんな時に」


 涙目のエリーゼがドアの方を向くと、マギが開けたドアから入って来たのはプロチウムだ。プロチウムは入って来るまでは笑顔だったが、エリーゼの顔見た瞬間に血相を変えて駆け寄った。


「エリーゼ嬢!? どうした?」


 エリーゼの目に溜まった涙を指で掬ったプロチウム。エリーゼを気遣いソファに座らせると優しく背中を撫でてくれた。


「申し訳ありません……」

「何があったんです? 何故、エリーゼ嬢が謝るのですか?」

「プロチウム殿下からいただいたヘアドレス。壊すだけじゃなく、失くしてしまって……」


 そう口にした途端、ハラハラと涙が頬を伝った。だが、プロチウムは事態を理解すると「ふ」と笑って面白そうにエリーゼを宥めにかかった。優しく抱き留めて背中をさすってくれるが、どことなく楽しそうだ。


「殿下?」

「いや、すまない。机の上にあったヘアドレスは昨日私が預かった」

「……え、いつですか!?」

「昨夜、やっと手が空いたから部屋を訪ねたら、エリーゼ嬢は書類を握りしめたままソファで眠っていたんだ。起こすのも悪いし、ベッドに運んでヘアドレスを借りていった。昨日中に修理に出したかったんだ。黙っていてすまなかった」

「そ、そうだったんですか。いえ、私こそ取り乱して申し訳ありません。お恥ずかしい所をお見せしてしまって……」


 寝間着姿に寝ぐせでもついていやしないかと今更ながらに髪に触れて整え始め、恥ずかしそうにプロチウムを向いたエリーゼ。対して満足そうに微笑むプロチウム。

 笑顔をたたえるプロチウムは、初めて会ったときの仏頂面とはえらい違いだ。


(こちらのプロチウム殿下が本当なのかしら?)


 そうぼんやり考えていると、プロチウムはエリーゼが撫でている反対側の髪に手を伸ばした。


(しまった、寝ぐせはそっち!?)


 恥ずかしさから思わず赤面したエリーゼを笑わずにはいられなかったのか、プロチウムが「ぷ」と吹きだした。


「で、殿下? 申し訳ありません、重ね重ねお恥ずかしい所をお見せして……」

「いや、気にする必要ないのでは? むしろ、この方が貴女らしくていい」

「……ボロボロの方がいいという事ですか? それはちょっと……」

「そうじゃなくて。着飾っているよりも、リゼの方が自然で好きだ、とういう意味だ」

「んなっ! ごご、ご冗談を!!」

「どうして? 道中貴女に惹かれてはいけないと何度も自分に言い聞かせていたのに? あれは苦労した」


 そう少し困ったように笑ったプロチウムに全身が熱をあげたように熱くなったエリーゼ。間近でプロチウムに笑顔を向けられ続け、一向に落ち着く気配がない。離れようとしても逃がさないとばかり腰に手を回されたエリーゼは、その後マギが朝食だと呼びに来るまでひたすら自分の頬を手で押さえていた。




 エリーゼのノアレ領の滞在は、プロチウムの公務に付き合う形で思いのほか長くなり、王都に帰還したのは三週間後だ。エリーゼが王都に帰還した翌日、真っ先にアブソリュート伯爵家を訪れたのはフリーネイリスだった。


「それで、プロチウム殿下とリゼは正式に婚約するの? というか、婚約破棄はしないのでしょう?」

「多分……」

「リゼ、何故そんなに自信がないのかしら。二人の婚約が決まってからほどなくして、あの硲の森が色づいたでしょ? 二人の婚約を歓迎しているとまで噂が流れているのよ? もっと喜びなさい」

「そんな噂流れているの?」

「そうよ、良かったじゃない!」


 そう面白そうにエリーゼの正面でお茶を飲むフリーネイリスは、ここ三週間で王都であったことを一から教えてくれた。


「フィルスカレントでの一件でフルーエルト公爵家はもう駄目よ。独占禁止法違反、精油製造の手順書違反、実際に出ていた健康被害。そして何より、私利私欲でディーデリウム殿下に近づいて殺すところだった。未遂に終わって死罪を免れたとしても公爵は生涯牢生活ね。リチェルーレ様も遠縁に引き取られて一生監視下よ」

「そう、リチェルーレ様も……」


 第二王子を殺めるところだったと思えばフルーエルト公爵家を庇う必要などないとは思う。だが、今までちょっかいを出して来たあの強気のリチェルーレが、環境が一変し果たしてやっていけるだろうか、それがエリーゼには気がかりだった。そんなエリーゼを見ていたフリーネイリスは、俯いてしまったエリーゼのおでこを指で押し上げた。


「ちょっとリゼ。まさかと思うけどリチェルーレ様に同情したりしてないでしょうね? マグネ様から聞いたわ、リゼだって危なかったんでしょう? 間違ったら死んでいたのはリゼかも知れないのよ? リゼが気にしては駄目、いいわね!」

「……分かった」


 そう笑うと「本当に?」と、訝し気な目でエリーゼを見てくるフリーネイリス。少し納得はしていないようだが、エリーゼのおでこから手を離して自席に着いた。


「で、話は変わるけど、リゼがこだわったプロチウム殿下からいただいたヘアドレス、ちゃんと直ったの?」

「うん」

「プロチウム殿下はきちんと褒めてくださった?」

「うーん、そうね。褒めてくれたと思う」

「……何故そんなに曖昧なのよ!? ノアレ領のパーティーでつけたのでしょう!?」

「だって、外国の招待客の方にご挨拶してばかりでその記憶しかないの! き、緊張したんだから!!」

「だからってプロチウム殿下の仰ったことも覚えていないのはどうかと思うわよ……」

「大丈夫よ、どうせプロチウム殿下は着飾っているより普通にしている方がお好みのようだから、大した問題じゃないわ」

「どういう事?」

「旅している時の方が良かったんですって。自然体の方がお好みのようよ」

「……リゼ、それは惚気かしら? 私は今、プロチウム殿下がリゼに仰った惚気話を聞かされたのよね? リゼの口からそんな話が聞ける日が来るとは思わなかったわ!!」


 フリーネイリスが「きゃぁー」と興奮し、エリーゼの話に興味深々、さあこれから根掘り葉掘り聞きだそう、とそう姿勢を構えた。


(しまった……。迂闊だった)


 こうなったフリーネイリスは手ごわい。エリーゼがどうしたらいいものかと頭を悩ませ始めたが、意外にも、フリーネイリスが「ん?」と首を傾げ始めた。


「ねえ、リゼ。一つ聞きたいのだけどいいかしら」

「な、何?」

「どうして、プロチウム殿下が、ノアレ領に向かう道中のエリーゼのことをご存知なのかしら? 同行されたのはクレヌ様でしょう?」

「……!」


 言葉を失ったエリーゼ。そんなエリーゼを見るフリーネイリスの瞳が細められ、鋭く光った。


「リゼ、あなた私に何かを隠しているわね?」

「そ、そんなことない……! きっと、クレヌ様から私の事を洗いざらい聞いたのよ!!」

「嘘おっしゃい! 人伝で聞いてそんなことなる訳ないわ!! 白状しなさい!!」

「ひーー!」


 フリーネイリスの追及をかわしつつ、絶対に自分とプロチウムの話を人前ではしないとエリーゼは固く心に誓った。

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