第16話

 隣でクレヌのため息が聞こえた気がしたがこの際放っておこう。

 普段から茶葉を取り寄せて飲んでいるエリーゼが未だに出会ったことのないほど美味しい自分好みの茶葉。こんな絶品を作れるのに廃れるなんてどう考えてもおかしい。首を突っ込まないなんて考えられない。


「この町フィルスカレントはフルーエルト公爵家と深いかかわりがあるんです。といっても、昔は設備投資にお金を貸してくれても無理な徴収もなかったし、フルーエルト公爵家の事業展開に異を唱えても何がある訳でもなかったんです。先代の公爵様までは異論も一意見と考えてくださるご立派な方でした」


 だが、先代が亡くなったのち現フルーエルト公爵が跡を継いでから様子は一変した。

 強気の現フルーエルト公爵のおかげで香水や精油はこの国の輸出品としても重宝されている。だが、フィルスカレントの町に対するフルーエルト公爵家の要求は、国内向けにより低コストで高品質な物をと現場の首を絞めるしかないものだった。フルーエルト公爵家から提示される買取価格では生活が成り立たない。そして生活に困窮した家には援助という形で金を与えて恩着せがましくするのが今のフルーエルト公爵家のやり方だ。


「なら、そんなフルーエルト公爵家と取引しなければいいのでは?」


 疑問を呈したのは静観していたクレヌだ。


「そうはいきません。香水や精油の流通ルートは全てフルーエルト公爵家が買収しました」

「それじゃあ独占だな。禁止しているはずだが……」

「表向きは複数の商会があるように見せていますが、根っこでは一つです。フルーエルト公爵家を蹴っては昔から精油の抽出で名を馳せているフィルスカレントでは生きていけません」


 顔を見合わせた工場の夫婦。諦めたように項垂れる姿にエリーゼの手に力が入る。


「あの、お聞きしますが、クリ・グレイの茶葉だけでなく、フィルセラの精油抽出もなさっていたんですよね?」

「はい。ですが、フィルセラは最近販売が思わしくなくて……」

「まさか、皮膚が火傷するとか、そんな噂でですか!?」

「ええ、ですが、噂は本当の部分もあって――」

「そんなの今に始まったことじゃないわ!」


 エリーゼが机を叩きつけ立ち上がった。


「間違った使い方して悪く言われるだなんて心外よ! そう思いませんか!? だいたい、この茶葉もそうです。普通に売れば絶対に絶賛される、それほどの品質です! それが日の目を見られないなんておかしい!!」

「リゼ、落ち着いて」


 工場の夫婦が言葉を失うほど怒りを露わにしたエリーゼをクレヌが宥めて座らせる。だが、エリーゼの怒りは収まらない。


「まさか、フィルセラの精油を扱っていたからフルーエルト公爵家がこちらの工場を見限ったんですか?」

「いえ、そういう訳ではありません。むしろ……」


 そこまで言い淀んで主人は口ごもった。夫人も同じく下を向いてしまう。だれもエリーゼの疑問には答えない。そんな沈黙した工場に響いたのは可愛らしい声だ。


「パパは悪くないもん! やっちゃいけないことを駄目だ、って言っただけなの!」

「こら、アミナ!」

「ホントだもん……。パパのばか! 弱虫! カッコ悪い!」


 父親にダメージを与えて再びアミナは部屋に閉じこもった。母親が二階に上がって部屋をノックするが一向に開かない。それを見て主人はため息をついた。


「ご主人、よろしければ詳しく話していただけませんか?」

「いや、しかし……」

「何かお力になれるかも知れません」

「そうですよ! こんな素晴らしいものがここで埋没するなんて許せません! きっと、ここのフィルセラの精油も上等な一品なんでしょうね」


 そう考えてうっとりするエリーゼを無視してクレヌが話を進めた。

 最初は渋っていた主人も、クレヌが「実は私……」と、胸元から鏡を出すと表情が一変、「魔導師の方ですか!?」と驚き、鏡とクレヌを交互に見てから「実は……」と口を開いた。


「数年前から、精油の抽出量をあげるために、もともと抽出には使わない部位を混ぜて使い始めたんです。そんなことすれば品質は落ちますが、消費者には気づかれないとフルーエルト公爵はそれを推進していて……。従わなければ既定の生産量には満たず、援助も打ち切られ、作った精油も販売できない。とても生活できません」

「つまり、王都をはじめ、町で流通している精油の品質は粗悪だということですか?」

「いえ、そうじゃありません! ほとんどが従うふりをして原料も製造方法も変えていませんよ。一部を除いて品質も変わっていないはずです。その代り、過労で倒れる職人仲間も増えました。原料が足りなくて、遠隔地まで取引にいかないといけなくもなりましたし……」

「建物に薔薇のプレートが掲げられているのは?」

「プレートがあるのがフルーエルト公爵家に賛同した家ですよ」

「あなたも従うそぶりを見せて援助を受ければよかったのでは? 何故そうしなかったのですか?」

「最初はそうでした。ですが、一度やり方に異を唱えてしまったんです。そうしたらフィルセラをつけると肌が火傷するという話が広まってしまって、もうどうにもならなくなりました」

「何故異論を唱えたのです? 大人しく従っていたんでしょう?」


 主人は握った手を祈るように口元にあてた。


「グルハランスという植物をご存知ですか?」

「ああ、白や黄色い花をつける草の事か?」

「はい。その葉を――」

「待って!! グルハランスの葉を、花と一緒に圧搾しているの!?」


 エリーゼは思わず話を遮った。


「は、はい。なので、それを止めようと……。でも、今のところ止められていませんが」

「じゃあ、まさか……。クレヌ、最近王都で『ルール』の香水の評判が落ちているのです。使うと気分が悪くなるとか言われています!」

「ああ、そんな噂も耳にしたけど……」

「グルハランスの葉も使っているなら噂じゃなく事実です! グルハランスの葉は食用のニラと間違えやすくて、食べると中毒を起こすのです! そんなものを混ぜて普通に売っているだなんて許せません! 品質が悪いとか使い方が間違っているとかではありません、あれは毒です!」


 幸い死者が出るほどではないが、健康被害は現に出ている。ここの主人のようにグルハランスの精油に異論を唱えた店は軒並み廃れてしまい、今となってはこの町の人間にとってその話はタブーとなっている。


「知っていて見て見ぬふりするのはいただけないな……」


 そう冷ややかな目を向けるクレヌをエリーゼは「お言葉ですけど」と睨みつけた。


「町をフルーエルト公爵に好き勝手されて気付かずにいる国にも問題があるでしょう? それに、フルーエルト公爵家に一般人が立ち向かえると本気で思っているのですか? 現に王都で健康被害が出ていても王家も軍も何もしてくださらないじゃない。だからみなお父様に相談に来るのよ! それでもご自分に落ち度がないといえるのかしら?」


 そこまで口にしエリーゼはハッとした。


「まあ、クレヌは魔導師だし王族の方にも軍のお偉い方にも会う機会あるのでしょう? お会いしたらそう言っておいてください!」

「まあ、確かにそう、言われればそうなのだけど……」

「あの、お二人は一体どなたなのですか?」

「夫婦――」

「違います!」

「ちょっとリゼ!?」

「……訳ありという事だけは分かりました。あまり追求しない方が良いのでしょうが……、ですがお一つ聞いてよろしいでしょうか? 魔導師で、クレヌ殿とおっしゃるのですか? 先ほどそう呼ばれていましたけれど」


 エリーゼは「う」と言葉に詰まり、隣からの呆れた視線を感じて固まった。そのエリーゼの隣でため息と共にポツリとクレヌが呟いた。


「……その辺は忘れていただきたい」

「いえ、大事なことです」


 意を決した表情の主人。その主人にクレヌは佇まいを直した。


「フルーエルト公爵が新しく売り出そうとしている精油があるんです。それを、第二王子のディーデリウム殿下を使って広めようとしてらっしゃるんです」


 新しい精油という言葉にエリーゼが食いついた。


「どういう精油なのですか?」

「アスリーという実です。よく、鎮痛剤として布に塗って打撲したところに貼り付けたりしますよ」

「民間療法でよく使われますね。すごく役立ちますよね。ちょっと、注意が必要ですけど」


 最後に難しい顔をしたエリーゼ。そんなエリーゼにクレヌが首を傾げ疑問を呈した。


「何か気になることでも?」

「咳の発作を起こすことがあるんです。でも、全員じゃないですよ、元々咳がしやすい体質の人に起きやすいんです。だから、使い方には注意しないと」

「咳……。それって、ミントとか他の植物でも出たりする?」


 クレヌの声がワントーン低くなった。それと同時にエリーゼに向けられる眼差しも冷ややかなものになる。思わず自分が悪いことでもしたかと記憶を探るが、ここまでクレヌを怒らせるようなことはしでかした記憶はない。エリーゼの我儘くらいでここまで怒ることはなかったはずだ。ただ、記憶の端で何がか引っ掛かる。何か忘れていないだろうかと頭を働かせようとするも、怒気を隠し切れなくなったクレヌに気圧され、エリーゼは思わずひっくり返りそうになる声音を落ち着かせることで精一杯だった。


「え、ええ、それです。ミントの香料で、気分が悪くなる方もいますよ。よくご存じですね、流石はクレヌ――」

「ディーデリウム殿下がそれだ!」

「ディーデリウム殿下が? 確かによく咳き込んで……」


 エリーゼの再び動き出した頭に浮かんだのは、フリーネイリスとマグネの婚約パーティーの事だ。リチェルーレに無理矢理連れ出されたディーデリウムが少し咳をしていた。その時ディーデリウムは確かに言っていた。「ハーブティーにミントが入っていた」と。

 そこまで思い出して血の気が一気に引いたエリーゼ。だがそれ以上に取り乱したのは、他でもないクレヌだ。

 バン! と机を割る勢いで立ちあがったクレヌは、主人に迫った。


「そんなことされたら、ディーデリウム殿下の命が危ない! 今まで何度咳の発作で危ない目に遭ったと思っているんだ!? フルーエルトめ!!」


 迫られた主人はクレヌの怒気に「す、すみません……」と委縮してしまいそれ以上は何も言えずに口をつぐんでしまった。

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