第15話

 フィルスカレントの町は非常に優れた土壌に囲まれ多種多様な植物が生育している。その植物を原料とした精油の製造で有名だ。

 町のいたるところに観光客向けの精油店が立ち並び、きらびやかな様相を呈している。街灯に掛けられているペナントに描かれているのは『茨に囲まれた薔薇の花』。フルーエルト公爵家の家紋だ。エリーゼは呆れてため息をつき、その隣でクレヌも同様に非難の声をあげた。


「これじゃあ、『町が自分の家のものだ』って言っているようなものだな」

「そうですね」


 エリーゼも呆れてため息をついてしまう自己顕示欲の塊、それは街灯だけじゃなかった。

 店先や民家の壁には薔薇の紋が刻まれたプレートが掲げられ、まるでフルーエルト公爵家を崇拝しているよう。大通りに面している建物全てに取り付けられたその薔薇の紋。しかし、時折その薔薇の紋を掲げていない店がある。その店はいずれも寂れていた。

 エリーゼが足を止めたのはそのうちの一つ。掲げられた看板を見て思わず足を止めてしまった。


「まあ、ここフィルセラの工場だわ!」


 工場の外観にかけるお金はないといわんばかりの廃れた外壁。その看板にはエリーゼお気に入りのフィルセラの文字。所々消えかけてはいるが、なんとか読める範囲で残っていた。


「寄り道はしないよ」

「……そうですか」


 クレヌが釘をさすと、それに大人しく従うエリーゼ。むしろ、クレヌよりも先に歩きだし、町を通り抜けた場所にある馬車乗り場に急ぐべく足を動かした。


「リゼ? どうしたの?」

「別にどうもしておりません。急ぐのでしょう? 寄り道しないことくらい分かります」


 追いついたクレヌが顔を覗き込んで不思議そうにしてくるが、一切そちらを見ずにエリーゼはそう応えた。


「何か、気に障ることでもしたかい?」

「いえ、何もございません」

「いや、なにかあるだろう? 明らかに態度がおかしい」


 肩を掴まれ立ち止まらされたエリーゼは、思わずクレヌを睨んだ。そうすれば、心配そうに見てくるクレヌに対し、思わず「ごめんなさい」と、謝ってしまいそうになる。エリーゼは、口から出かかった言葉を飲み込んだ。

 エリーゼはクレヌが嫌でもこの町が嫌でもない。むしろ、フルーエルト公爵家の息の根がかかっていても、来てしまったからには寄り道を楽しみたいと思うくらい町には興味がある。でも、クレヌとの二人旅は早く終わらせたい。


(どうしましょう、丘で話してからずっと胸が痛い。近づかれると、余計痛くなる)


 だから顔も見てほしくないし触れても欲しくない。

 エリーゼはクレヌの視線に耐えられず、顔を背け、意識して口元に弧を描いた。


「何でもありません。ああ、そうでした。どうせなら先ほどの工場に行ってみたいんです。よろしいかしら?」

「……」

「ふふ、冗談です、先を急ぎ――」

「分かった。少しだけだ」


 クレヌに手を引かれて道を戻る。顔は見られていないのがせめてもの救いだと、エリーゼはクレヌの後ろ姿を見た。


(私、絶対顔赤いもの)





「ごめんください」


 クレヌが工場のドアをノックしても返事がない。しばらく待つも、中から物音一つ聞こえない。これは諦めないといけない、そう思わざるを得ない状況にふと建物の二階を見ると、シャツ、とカーテンが動き、窓が開く。するとコツン、とエリーゼの額に何かがぶつかった。地面に転がったモノを見ると、丸めた紙だ。それが、コンコンとエリーゼの頭に向かって投げられ続けている。


「え、なに、これ?」

「君、よさないか!」


 そうクレヌが叫ぶと、窓はすぐに音を立てて閉じた。

 足元に転がった紙を広げて見ると「あっちいけ」「かえれ」など、まるで歓迎されていない二人。


「諦めます、何だか、へこみました」


 悪いことをしていないのになぜこの仕打ち? そう疑問に思うも、とにかくこの場を去ろうとする二人。その耳に階段を駆け下りる音が聞こえると、すぐに工場のドアが開いた。


「あの、旅のものですが、こちらを見学しても――」


 そう交渉し始めたクレヌにも紙の砲撃が直撃した。


「申し訳ありません! 娘が大変失礼なことを……!!」


 そう言って頭を下げたのはまだ若い男女。聞けば、彼らはこの工場の夫婦で、二階から紙を投げていたのは一人娘だそうだ。「お詫びを」という夫婦に促され中に入ると、もう一度二階から紙を投げられた。


「なんで入って来るの!!」

「止めなさい、アミナ! 降りてきて謝るのよ!」

「いや!」


 そう言って音を立てて部屋に入っていってしまった。


「申し訳ありません。ここを訪れる旅の方などいないものですから、娘が勘違いして大変な失礼を致しました」


 この工場の主人は再び床に就く勢いで頭を下げた。「どうぞ」とお茶を運んでくれたのは夫人で、二人ともまだ若い割には身なりが老け込んでいる。見れば工場も薄汚れており、稼働している気配がない。

 フルーエルト公爵家の息がかかった町で、フルーエルト公爵家の家紋のバラを掲げない廃れた工場、稼働していない機械。そして居留守を使おうとする一家と、来客を問答無用で追い払おうとする幼い娘。


(これは……。とてつもなく大変な問題がおきているんじゃ……)


 エリーゼはもしかしたら厄介ごとに足を踏み入れてしまったのではないかと、クレヌを横目で見た。案の定、クレヌも部屋を見渡し渋い顔をしている。そんなクレヌと目が合うと、慌てて視線を逸らしたエリーゼは出されたお茶に口をつけた。

 隣で「あ」と慌てるクレヌを置き去りにして。


「これ……」

「す、すみません、紅茶になにか失礼でもありましたか!?」


 エリーゼがカップから口を放し思わず凝視すると、途端に慌てたのは夫人だ。だが、エリーゼはすぐにもう一口飲むと、感嘆の声を出した。


「美味しい! この茶葉クリ・グレイですよね!? こんなに香りがよくて美味しいもの初めて飲みました! 凄い!」


 そう絶賛するエリーゼを見てホッと胸をなでおろした夫人は嬉しそうに「ありがとうございます」と微笑んだ。


「こんな茶葉初めてです。どこのものですか?」

「うちで作っていたんですよ」

「こちらで!? まあ、買えるんですか?」

「すみません。今は、もう工場はやっていないんです。この有様で……」


 そう肩を落として答えた主人。そんな主人に耐え切れず、エリーゼは聞いてしまった。


「一体何があったのですか?」


 と。

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